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時に海を見よ。

2011年3月11日。
東日本大震災。
当時、Twitterで話題になった文章である。
良い文章なので、読んだことのない方は是非。


「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」 渡辺憲司

https://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/20110311.html卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 | 立教新座中学校・高等学校niiza.rikkyo.ac.jp



震災2週間前までは「時に海を見よ」という題で、
卒業生を真っ青な大海原に送り出す、
そんなメッセージになるはずだった。

しかし、その海は、津波によって荒れ狂う鉛色の海となった。

そんな中、
大学に行く意義を、語る。

学ぶことも、友人をつくることも、どこでもできる。

ならば、なぜ大学へ行くのか?

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

(中略)
時に、孤独を直視せよ。
海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。



2年前、大学を卒業した。
ありがたいことに、人に恵まれた4年間であった。
孤独を直視する時間もないほどに。


大学院に進んだ。
コロナ下で、薄いつながりが消えていった。
ひとりの時間が増えた。
そこで、本を読み始めた。
とにかく本を読んだ。
毎日読む。
それで何か変われた気がした。

「本さえ読んでいれば大丈夫」

そんなことない。
読書が、孤独から目をそらす行為になっていた。
今、そう思う。

大学院2年生。
人と会うことが増えてきた。
みんなちゃんと変わっていた。
進んでいた。
大人っぽくなっていた。

未だ、子供の自分。
取り残された。

これが「立ち止まる自由」なのだろうか?



みんなといる空間。
なのに、一人を感じる。
浮いていると思う瞬間が増えた。
孤立。

子供から、大人になる。
自立。

孤独。孤立。自立。
今まで、直視してこなかったから、
あと100日くらいは、向き合ってみよう。

ゆっくりしていられないかもしれないけど。

落ち着いて。


深呼吸をする。

暖房で乾いた空気が鼻腔を通る。

スー
ハー

スー
ハー

すこしだけ、波の音のように聞こえた。

なさのや




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