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【映画感想100】ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア/トーマス・ヤーン(1996)


“天国ではみんな、海の話をするんだぜ”

100本目指して週2で映画の感想を書いてきて、いよいよ最後の100本目になりました。

今まで「観たことがない映画」縛りでしたが、
今回は好きな映画をもう一度観てみることにしました。100本観たら感想が変わるのか気になったのと、先日ライブの待機時間に流れたボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」が良くてまた観たくなったからです。
(※ちなみにこの映画で流れるヘブンズドアは本家ではなくバンドカバーです、逆にこのガサガサした音が映画にあってるんだけど曲については後で書きます)


映画のストーリーは、

「天国ではみんな海の話をするんだ」
「海を見たことがないやつは仲間はずれだ」

と、偶然同じ病室になった余命宣告をされた男2人が病室を脱走してマフィアの車を盗み、銀行から金を奪い、マフィアや警察から追われながらまだ見たことがない海を目指すというものです。

この「余命僅かな男2人が海を探して旅に出る」
という内容に絶対に泣ける話だと思ってみてみたら全く泣けず、ただただ「終わった」という感覚が割と衝撃で、ラストシーンを何度見返した映画でした。

今回見返してみて、もうひとつこの映画に惹かれた部分がありました。

ルディとマーチンが自分のことしか考えていない
ところです。

「死ぬまでにやりたいことリスト」の中でマーチンがママに「プレスリーのキャデラック」をプレゼントするシーンがあるのですが、このママは「免許を取らなくちゃ」と泣きながら笑う。
たぶんこれってママのために何かしたいというより、「こんな人間なりたかった」って長年のしこりを取り除きたいという純粋な自分の願望なんじゃないかと思います。
だってこの後、もう二度と会えないママの目の前でしんだふりまでして海を目覚すので。

また、ルディがマーチンのために他人に銃口を向けるシーンも、わたしは個人的に「マーチンを失いたくない」という理由な気がする。

最後に余ったお金を見ず知らずの人たちに無差別に配るシーンもあるのですが、これも余命僅かで、追手が迫っている中でわざわざ時間がかかる方法をとるのか?とちょっと引っかかって、
もしかしたらこれは海に着くのを遅らせたかったんじゃないかという気もしました。
旅が終わればもうやることがなくなり、
リストには死しか残らないから。

マーチンが最後に言おうとしたのも、「やっぱりいきたくない」じゃなかったんじゃないのかな。

そして作中で2人の旅は、
「死を前に自暴自棄になった男が同じ病室の男を人質にして逃亡を図っている」とニュースで報じられていて、たぶん本当の理由も誰にも知られず、いろんな人が勝手に解釈してく(さらに映画を見ている側もその「勝手に解釈」する側である)
結局映画自体も明確なアンサーを出さずに幕を閉じるのですが、だからこそ「本当のことは誰にも理解されないし知られないのだから、誰に何を言われようとやりたいことを突き通すべきなんじゃないか」といまは思いました。
誰しも天国の扉までの道中にいて、
海にたどり着けるのか、そもそも自分にとっての海ってなんなのかをぼんやり考えています。


★音楽について余談
もうひとつ見方が違ったことといえば、
ボブ・ディランの曲について気になった&調べたことでした。
ベトナム戦争に関連する曲だということは当時も読んだはずなのですが、映画を100本みるうちに「ベトナム戦争」というワードで思い浮かぶ景色が増えたせいか頭にするする入っていく感じがして、「ただ数をインプットするだけじゃなくて良く考えろ」はよく聞くのですが、もしかしたら「うまくインプットするためには数をこなさなきゃいけない」んじゃないかという気がしています。
(ちなみに今ではベトナム戦争と聞くと、ランボー1でみた「戦争が終わった?なにも終わっちゃいない、なにも終わっちゃいないんだ!」と叫ぶランボーと、父親達の星条旗でみた恋人が戦地から戻ってきて無邪気にはしゃぐ女性ととてもそんな気持ちになれない帰還兵の温度差を思い出す)

〈わかったこと〉
・Knockin' On Heaven's Doorは、『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』で、老保安官が死ぬ場面のために書き下ろされた曲
・歌詞の最初に出てくる"this badge"とは、映画の中の保安官がつけているバッジという意味と、ベトナム帰還兵というレッテルの両方の意味が含まれている
・保安官にとっては勲章のようなもので、ベトナム帰還兵にとっては汚名だった

4コードで弾ける簡単な曲で、
いろんなアーティストがカバーしているらしい……とほんとうに今更なが他のカバーも聴いてみたのですが、全部ぜんぜん違う曲に聞こえる。

たぶんシンプルな音だからより演者のクセが目立つというのもあると思うのですが、
歌詞の意味が極限まで削ぎ落とされているのも一因な気がします。

読む人で何千も物語ができるからこの映画も生まれたわけで、トーマス・ヤーンがこの曲を選んだことも、この曲のタイトルをそのまま映画にしたこともたぶん全部意味がある。
いま見るとベトナム帰還兵への周囲からの好き勝手な印象と、ルディとマーチンに対する世間のそれは似ていて、
「わたしにとってのヘブンズドアはボブディランじゃなくて映画の方なんだ!」と思ってすらいた学生時代の自分をちょっとはっ倒したい気持ちになりました。
ボブ・ディランはすごい。ちゃんと聞きます。

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