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ハッピースモークバレンタイン

バレンタインの思い出を綴ろうと思ったのだが、残念ながら僕には甘酸っぱい記録が無いことに気付いた

下駄箱を見たらチョコがあったとか、放課後に女の子に呼び出されてチョコを渡されたとか

彼女と一緒にお菓子作りをしたなど、そんな眩しいキラキラした思い出がひとつも無い

かと言って苦い思い出も無いため、果たしてバレンタインについて何を書こうか頭を抱えた

友人から聞いたバレンタインにまつわる面白エピソードも無いのだ

自分にチョコをくれると思ったのに友だちに渡してくれと言われちゃったよーなんて使い古された経験も無いのだ

そんな僕からするとバレンタインは本当にこの世の中で行われているのか疑問に思うほどである

それでもバレンタインは今日もどこかで恋とチョコを焦がしているのだろう

こんなふうに

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高校3年の僕は進学先の大学を指定校推薦で早々に決めてしまい、部活も受験勉強も無い学生生活をダラダラと過ごしていた

友人はみんな受験勉強に必死で遊ぶこともできず、彼女もいないため正直言って退屈な毎日だった

放課後に教室に残ってシャーペンを握る同級生達は同い年なのに、ひとつの目標に向かって努力する姿が大人びて見えて尊敬した

帰り道に自転車を漕いで知らない塾の前を通り過ぎる時にはガラスの窓越しに見える制服を着る戦士達に向かっていつも心の中で「がんばれ」と言った

しかしその日はバレンタインだった

放課後には緊張感が走る教室にはどこかぎこちない空気が流れていて、参考書に向き合っているはずの彼らはチラチラと廊下を見ている

ある教室では男女グループで机を寄せ合いお菓子を食べていたし、下駄箱ではカップルであろう奴らが目も合わせず紙袋を渡し合っており、こちらまで恥ずかしくなるほど初々しい青春の1ページを刻んでいた

受験生のくせにバレンタインはちゃんとするんだな

これまでバレンタインというどこかのお菓子メーカーが作った皮肉にもありがたいイベントと縁が無かった僕は、いつも通りの退屈な1日を過ごした

その日は久々に雪が降り、まるで天候までバレンタインを祝っているようだった

雪が積もったせいで自転車で家に帰れないことに腹が立ったが、その憤りをぶつける術もないため仕方無く歩いて帰ることにした

いつも「がんばれ」とエールを送っていた塾でさえもその日はペンを置いてチョコを手にし、ありがたいことに張り詰めた顔しか見たことがない奴らの笑顔を拝むことができた

バレンタインなんてただの行事だ
まんまと菓子メーカーの仕掛けた罠にハマるなんて馬鹿がすることだ

そう思いながらも正直そんな馬鹿な行事を心から楽しんでいる奴らが少し羨ましかった

しんしんと降っていた雪は次第に吹雪に変わり、とても歩いて帰れそうに無かったため遠回りしたところにあるバス停に向かった

正直こんな雪の中バスが来るのか不安だったが、なんだか真っ直ぐ家に帰るのも勿体無いような気がして、僕は小さい屋根があるバス停で孤独感と僅かな期待を持ちバスを待った

バス停には僕の他に他校の女子高生が1人でアウターも羽織らずにマフラーだけ口元まで覆い、寒そうに細い足を震わせながら立っていた

定刻になってもバスは来ず、10分経った

女子高生「ねぇ、バス待ってる?」

突然なんだ急に。しかもタメ口かよ

僕「うん、本当に来るのか分かんないけど」

女子高生「それね。雪すごいからバスでも使うかって思ってみたらこれだからさ、うざいよね」

口が悪いな…

僕「そうだね」

女子高生「あ、ハッピーバレンタイン」

彼女は目も合わせず取ってつけたようにそう言った

長く伸びたまつ毛には雪の結晶が乗っていた

僕「バレンタインなんてくだらないよ」

女子高生「お、て言うことは誰からもチョコ貰えなかったんだね、かわいそうに」

僕「別に可哀想じゃないよ。そもそも甘いものって嫌いなんだ」

嘘をついた

僕は甘いものが好きだ

女子高生「苦い方が好き?」

僕「苦いのもあまり好きじゃない」

女子高生「なんか、あなたがモテない理由が少し分かった気がする」

僕「じゃあ君は誰かになにかあげたりしたの?」

女子高生「するわけないじゃん、めんどくさい」

僕「じゃあ同じだね」

女子高生「絶対違うけど、まあそういうことにしておいてあげる。ねえ、ライターって持ってない?」

僕「持ってるわけないだろそんなもの」

それから僕たちはバレンタインと、それに浮かれる奴らの悪口を言い合って時間を潰した

それから5分後、ようやく来たバスには誰も乗っておらず僕たちは距離を空けて座席についた

降りる予定のバス停が近付くと僕は停車ボタンを押して、到着するとバスから降り雪が積もった地面に足をついた

誰も歩いていないのであろう、積もったばかりの雪は僕の足に絡みつき、跡には僕の足の形がくっきりと残った

彼女も同じバス停で降りた

女子高生「あれさ、私が押したかったんだけど」

僕「そんなの知らないよ」

女子高生「私の楽しみを奪ったお詫びとしてさ、ちょっとコンビニ寄るから付き合ってよ」

コンビニは僕の帰り道の途中にあるため、僕は渋々同意した

コンビニの狭い屋根でまだ容赦なく降り続く雪をしのぎ、彼女がコンビニから出てくるのを待った

コンビニから出てきた彼女はライターを手にしており、ごめんごめんと棒読みで言いながら薄いカバンの中からARK ROYALという夕焼けのような配色をほどこした箱のタバコを取り出した

雪が降り注ぐ中で取り出されたその箱はどこか不釣り合いに見えた

女子高生「絶対誰にもチクんなよ」

彼女は僕を睨みながらそう言ったが、マフラーで隠れた口元は笑っているように思えた

僕「誰にもチクらないし、そもそもチクる相手もいないよ」

女子高生「チョコくれる女の子は?」

彼女は口を隠していたマフラーを首元まで下げた

やはり笑っていた

僕「はいはい、それもいないよ」

可哀想だねとやる気無く言いながら、彼女は細い指でライターを操りタバコに火をつけた

僕「タバコって美味しい?」

女子高生「ううん、全然」

僕「じゃあなんで吸うの」

女子高生「カッコいいから」

僕「チョコ食べてた方がモテるよきっと」

女子高生「別にモテなくてもいいもん」

僕「かわいくないね」

女子高生「あなたもね」

彼女は吐息と煙が混じった白く半透明の息を降りかかる雪にぶつけていた

彼女はタバコを吸い終わり、箱からもう1本出した

僕「まだ吸うの?寒いんだけど」

女のタバコも待てないようじゃ彼女なんてできないよ?と彼女は笑いながらタバコに火をつけて言った

関係無いだろと思ったが、僕はそんな彼女のペースに流されていた

女子高生「モテない可哀想なあなたに、私からバレンタインをあげよう」

彼女はそう言うと、火をつけたタバコを無理やり僕の口に当ててきた

女子高生「はい、吸って吸って」

僕は流されるまま、その少し湿ったタバコのフィルターに口をつけて大きく吸った

もちろんタバコを吸ったことがない僕はむせて大きな白い息を吐き出した

彼女はそんな僕の姿を見て楽しそうに笑っていた

女子高生「大人への階段を登った良いバレンタインになったね」

彼女は遠くを見つめ、何かに狙いを定めたようにキンとしたら冷たい空気に煙を吐いた

僕はその後も彼女が無理矢理くれたバレンタインのタバコをゆっくり吸った

彼女は降り注ぐ雪でタバコの火種を消し、じゃあねと言ってマフラーで口元を隠し、どこかに歩いて行った

白い景色はすぐに彼女の身を隠した

僕はもう見えなくなった彼女の姿を真っ白の中に写し、ARK ROYALの甘いフィルターと苦い煙の味に酔っていた

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