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会社員だった頃(4)〜趣味を仕事にできるのか?〜

しばらく間が空いてしまったこのシリーズ。以前インスタで質問を募集したときに「どういう経緯で作家さんになったのか?」というお声もいただいたし(嬉しい!)、自分自身も文章にすることで当時の気持ちが整理されていくので、ゆっくり思い出しながら書いていこうと思います。

会社員としての生活に疑問を感じ、「仕事」をもっと充実させようと思い至ったところまでが前回(会社員だった頃(3)〜労働と対価〜)。

具体的な日々の業務が嫌だったとか人間関係が苦痛だったとかではなく、「誰かが作った大きな枠の中で与えられた仕事をこなすこと」に対しての漠然とした違和感だった。大きな会社であるがゆえに「私の仕事は誰の為になっているんだろう?」ということが見えにくかったこともある。満員電車も嫌だったし、飲み会も好きじゃなかった。それなりのお給料をもらっていたし、不自由な生活はしていなかったけれど、高いランチにも服にも靴にも、何にも満たされていない自分がなんだか虚しいなーと思っていた。

で、「これってこの先何年この会社で働いても変わらないよな」と思い至る。学生の頃に出会った生の舞台やライブのように、自分の内臓が熱くなるような、脳味噌がヒリヒリするような、そういうものを仕事に求めたい。もっと、「自分のやっていること」が見えるような仕事をしたいと考え始めた。

そんなときにたまたま触れたのが陶芸だった。

なんてことはない、旅行先でのいわゆる「陶芸体験」が初めてだった。なんとなく「陶芸やってみたいなー」くらいの軽い気持ちだったのが、土に触れた感触がとても気持ちよかった。そこからもっとやってみたいなという気持ちになり、陶芸教室に通うことになる。最初は目黒の陶芸教室で手びねりで器をつくっていた。続いて電動轆轤(ろくろ:映画ゴーストのあれね!)を触ってみたいと思うようになり下北沢の陶芸教室へ。ここで私が求めたのは、いわゆるカルチャースクールのようなものではなく、陶芸作家さんが個人で教えてくれるものだった。陶芸の「先生」ではなくて、「作家」さんに会ってみたいと思ったのである。

今振り返ると、この選択は大きかったなと思う。当時はもちろん、自分がその後陶芸家になりたいと考えるなんて1ミリも思っていなかったのに、なぜかそういう場所に惹かれ、選んでいた。

そしてそこで出会った陶芸作家さんたちが、本当に素敵な人たちばかりだった。今でこそ「丁寧な暮らし」という言葉は色んなところで目にするけれども、まさにそれを自然と体現している人たちだった。自分の作った器で食事をする、季節を感じながら旬のものを美味しくいただく、相手との会話を心の底から楽しんで真摯に耳を傾ける、大切に選んだ愛着のもてるものに囲まれて生活する。毎朝決まった時間に起きて、30分で身支度をしてろくに朝食もとらずに満員電車に揺られ、時計に縛られながら週末までのカウントダウンを繰り返して日々を必死にこなしている私からすると、そのどれもこれもが衝撃的だった。目の前にいるのに、別世界に生きている人たちのようだった。

けど、この人たちは別世界に生きているわけじゃない。

どこかで私は、「大学を出て、企業に就職して、定年まで働き続ける」というルートを「正」のように思い込んでいて、それ以外の線に生きている人たちを想像すらせずに、見てこなかったのだと思う。それこそ、私とは別世界の話として、捉えていた。

けどそうじゃない。この人たちにとってはこれが当たり前なのかもしれないし、芸術が爆発しているような、話の通じないアーティスト全開の人たち(芸術で食ってる人=そういうイメージだった笑。そういう人も実際はいるのかもしれないけど笑)ではない。むしろ私がそれまで関わってきた人たちよりも、不思議と一緒に過ごす時間は心地よく、本音で話せている気がした。私となんら変わりない、同じ人間で、その上でこうやってこれを仕事にして、毎日を大切に生きている人たちがいるんだ。

私がそういう人生を選ぶことだってできるはずだ。そうなったら、今の自分の働き方、生き方に対して感じているこのモヤモヤした言い表せられない「これじゃない」感は、もしかしたら拭えるんじゃないだろうか。そんな気持ちが芽生え始めた。

でも今から?本当に?陶芸って趣味なんじゃないの??それを仕事にできるの??

小さな気づきと大きな疑問。それでもそこに見出した希望のようなものから目を背けることができずに、「どうしたらそうなれるんだろう?」という問いに向き合っていくことになる。


読んでいただきありがとうございました! サポートしていただいた資金で美味しいものを食べて制作に励みます。餃子と焼肉とカオマンガイが好きです。