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日本には「縁」という便利な言葉があって。

「縁がなかったんだなー」
と、口にすることが近年増えた。

これはネガティブな意味ではなく、むしろとっても前向きな気持ちで使っているものです。

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例えば、半年前から企画して、スケジュールも開けておいた展示の話が急に立ち消えるなんてこともある。(あんまり頻繁にはあってほしくないけど)

あなたのためにスケジュール空けといたんだけどな。
このタイミングまで連絡してこないとかちょっと失礼よね。
見込んでいた売上がゼロになるってことかあ。
その分のリカバリーはどう責任とってくれるんだろう。

ぶつけようと思えば、こういった不満・愚痴のボールはいくらでもぽんぽん浮かんでくるけれど、それを投げたところで事態が好転するわけではないので仕方ない。ボールは投げずに、懐へ。

あたふたして、なんとか少しでも良い方向に、と思うけれどたいていこういう場合、無駄。

そんなときに私が唱えるのが、
「縁がなかったんだな」
という言葉。

この言葉には2つの良い効果があって、
・自責の念を消すこと
・頭を次に切り替えること

です。

先のような仕事の話でも、人間関係(私たちが頭を悩ませる9割の不満の種)においても、なんだかなーー、思った通りにいかんなーーーってことがあると、ついつい「私が悪かったのかな」という自責小悪魔が心の奥からむくむく湧き上がってきがち。

この子はとても厄介で、放っておくと今目の前にあること以外にまであっという間に被害を及ぼす。
「そういえばあのときも私はダメだったな。。」「いつも私はこうなんだ」わざわざ思い出す必要のない反省の種まで記憶の底から引っ張り出して、自分自身を痛めつけるのであります。今その話する必要なくない?自責退散!!!

私が悪いわけでも、相手が悪いわけでもない。
縁がなかった。それだけ。

これはね、その相手との関係をバッサリ切り捨てることともまた違います。

縁というのはタイミングだから。
今、じゃなかった。
この人、じゃなかった。
この職場、じゃなかった。
この環境、じゃなかった。
このやり方、じゃなかった。

ただそれだけなんです。
そう思うと「自分のせい??」なんて考えるのは馬鹿馬鹿しく思えてきませんか。
全ては空(くう)なんだよ。
色即是空です。
(突然の般若心経。)
(最近over the sunを聴き始めて心が穏やかです。)
(仏陀が言うことは全て正しい。)

そしてこれは逆も然りで。
縁があればまたどこかで繋がりますから。

お互いの準備がきちんと整ったタイミングでまたきっと重なるときがくるんだな。今はその準備がちょっと足りてなかっただけなんだな。
そう思っていれば、その人、モノ、仕事、場所、ともきっとまたどこかで再会します。
意外とそういうときのほうが、前よりすんなり進んで良い結果になったりしてね。

だから「今ままならぬこと」に対してあーだこーだ唸って足踏みするよりも、
「縁じゃなかったんだね」と唱えてさっさと次に進みましょう。
言葉って不思議で、口に出して言ってみることがとても大事です。
私たちの脳はその自分で発した言葉を耳にすることで「あ、そうなのね」と腹落ちしてくれます。(気になるひとはセルフトークとかで検索してみて)頭を切り替える魔法の言葉かもしれません。

そんなふうに考えていると不思議なもので。
空いたスケジュールに、それ以上の良い話が舞い込んできたりする。
よし次いこ、と思った瞬間に新規のメール通知がポーンと届く。
もうこの人のことは忘れよう、と決めた瞬間に新しい出会いがあったりする。

不思議だねえ。
縁だねえ。

いつだって、自分の手に収まる範囲は限られているのだと実感させられます。
無駄なもの、ただ重たいだけであなたをそこに押し留めようとする厄介なもので大事な手を塞がないようにしましょ。


読んでいただきありがとうございました! サポートしていただいた資金で美味しいものを食べて制作に励みます。餃子と焼肉とカオマンガイが好きです。