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『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争―物語生成のポストナラトロジーの一展開』

ロシア・ウクライナ戦争を、「ロシアとウクライナ」及び日本国内の「物語の戦い」として記述した拙著『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争―物語生成のポストナラトロジーの一展開』が新曜社から間もなく刊行されます。
物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争:物語生成のポストナラトロジーの一展開 - 新曜社 (shin-yo-sha.co.jp)
以下、序論の内容を援用して、本書の大体の内容を示す。

第一章では、私の研究の一基盤を成す物語論(ナラトロジー)の観点からロシア・ウクライナ戦争の物語生成の過程と機構を検討した後、戦争に関連する物語の諸概念を幾つか紹介し、私自身の物語戦の概念を導入する。関連する概念には、ハイブリッド戦争や情報戦・認知戦の文脈における偽情報物語や、アメリカの研究者アジ ト・マーンによる物語戦などが含まれる。

続く第ニ章では、研究の理論的な背景、基盤として、物語生成のポストナラトロジーの方法を要約して説明する。同じ新曜社から出版した前著『物語生成のポストナラトロジー―人工知能の時代のナラトロジーに向けて2』は、現時点でのその体系を示した書物であり、ここで要約する内容の詳細な記述を含んでいる。本章では、古典的ナラトロジー、ポストクラシカルナラトロジー、ポストナラトロジーから成るナラトロジーの全体像を示した上で、ポストナラトロジーのもう一つの基礎を成す情報学系の認知科学・人工知能の動向とそれらに基づく物語生成研究を紹介する。さらに、本研究の最終目標が「ロシア・ウクライナ戦争の統合的物語生成システムモデル」 の構築であることも明らかにする。

第三章では、 ロシア・ウクライナ戦争の構造を考える上で不可欠な、プーチン=ロシアの物語とゼレンスキー=ウクライナの物語とを、交差と離反の観点から見る。前者については主に、ロシアとウクライナは (序列的もしくは包含的関係を持っ) 一体化した存在である、というプーチンのテーゼを検討する。 ウクライナに関しては、ゼレンスキーによる演説その他を含む、ウクライナ側からの情報発信の現状を調査し、アメリカによるロシアの偽情報物語の把握についても触れる。プーチンの主張や自己正当化を批判的に検討するためには、ロシアから見られたウクライナの歴史ではなく、ウクライナから見られたウクライナの歴史を知る必要があり、その概要の調査も行う。さらに 、ロシアや自由を抑圧する全体主義に対する根源的な内部的且つ外部的批判を、ウクライナ出身のユダヤ人(ロシア語)作家ワシーリー・グロスマンの諸作品に探る。

第四章の前半では、ロシア・ウクライナ戦争全般の見取り図を日本における言説情報から描くための方法として、書籍・論文・記事等の分析に基づく、 一種の概念体系としてのロシア・ウクライナ戦争オントロジーの構築に向けた考察を行う。後半では、戦争勃発以来数多くの言論人によって展開されている日本の物語戦の様相を俯瞰しその全体像を描き上げるための方針を示す。今回は開陳されている意見や思想のごく一部にすぎないが、「ロシア・ウクライナ戦争原因論」・「停戦・降伏勧奨論」・「非暴力抵抗論」・「ウクライナ客体論および二項対立批判論」・「権威主義的修辞」等の観点から、幾つかの文章を取り上げ論評する。今回のロシア・ウクライナ戦争をきっかけに、 日本の言論人の対立‐交替の季節が訪れつつあることにも言及する。この章は橋下徹批判も含む。

最後の結論では特に、各章ごとに今後の課題や展望を示す。

私は、各国政府が仕掛けるより直接的なものとしての情報戦や認知戦を超えて、特に現代日本に生きる人々が、日本の現在や過去や未来との関わりにおいて、ロシア・ウクライナ戦争をどのように捉えているのか、そしてどのように対立し協調し合っているのか、その様相を極めて大きな物語として展望することに関心を持っている。広くロシア・ウクライナ戦争を巡る物語の戦いは、将来の日本の現実を決定する極めて重要な一要因となるだろう、そのような問題意識を持って、本書を執筆した。
私は、ロシアの専門家でもウクライナの専門家でも国際関係の専門家でもなく、全くの野次馬的素人に過ぎないが、私が続けて来た(人工知能や認知科学、そしてナラトロジーなどを基盤とした)「物語生成システム」の研究は、既存の専門分野を横断する(縦断でも良いが)、領域超越的な「私的研究領域」であり、私の頭の中では昔話も歌舞伎もロシア・ウクライナ戦争も三島由紀夫も、物語ないし物語生成という軸において、それぞれ密接につながっている。
また、ロシア流の物語を本当に打倒する気が日本人にあるなら(と思っているような人は殆どいないのだろうと絶望している、というのが本当のところである、ということは置き)、その存在を認めるところから始め、二重包囲作戦を着実に進展させて行くことが必須だ、との問題意識も持っている。今の日本人にはおそらくそんなこと通じないだろうが、などと書いてしまえばまた本が売れなくなるだろうから、この辺で止めておきたい。
本書『『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争―物語生成のポストナラトロジーの一展開』』については、再度言及したい。


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