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「私以外私じゃないの2」から感じる違和感

「私以外私じゃないの、他人にだけはなりたくない」という出だしから続く自己肯定感高めの曲。私は、私以外私じゃないというのはまだわかる。私以外は私であるはずがないのだから。しかし、途中で登場する「私だけが正しい」という歌詞にただならぬ違和感を感じるのだ。現代(もっとも、私は現代にしか生きたことがないし、過去のことをそこまで深く知っているわけではないということはお知りおき願いたい)にはこのような自己中心的な考えが蔓延っているのではないかという懸念がある。というのも、「個人」とか、「多様性」とかを重要視しすぎるあまり、炎上を恐れるあまり、誰もが平等に生まれ育ち、平等な権利を持っているという当たり前のことを拡大解釈しているのではないかと思う。

つまり、誰しもが平等な権利を持つ一方で、その権利を保持するには誰もが守らなければならない義務もあるし、常識だってある。何も、私はこの歌にマジレスをして、このような正論めいたことを述べているのではない。現代の風潮が、「私だけが正しい」という歌詞に現れているように感じ、「あなたは個人として生きなさい。誰にも侵害する権利はない」ということなのだろうが、これを現代は私が全てなのだから、私が面白いと思えば面白いし、嫌だと思えば、それは嫌なことであり、叩かれるべきなのだという自己中心的で視野が狭い考えが広まってしまっているのではないかと、切に感じている。

「回転寿司ぺろぺろ事件」などのネット上における炎上。これらは人のことを考えることを放棄し、自分が良いと思っており、また自分を取り巻く人たちは良いと思っていることをただおこなっているだけなのだろう。人は自分が属しているコミュニティー内の価値観が全てだと感じてしまう節がある。インターネットでAIが提示してくるような同じような動画を見続けることも、同族のコミュニティーで飼い慣らされるのと同じ構造だと思う。私はインターネットがなければならない時代に、歯止めの効かない過激な行為で人目を集めたり、お金を稼げればなんでも良しの風潮がとても危険だと思う。こんなことを今更言うのは遅いのだろうが、多様性が叫ばれ、何をするにも「〇〇ハラ」と言う名前が付き纏い今まで暗黙に許されてきた行為全てが一度考え直してからではないと炎上の危険性を孕む。この状態はとても危険だと思う。一刻も早く対策を練り、平穏に過ごせる社会の構築が必要だ。


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