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青々とした空の下「あらあら」と笑った声が今も聞こえた

僕の記憶に焼き付いている「あらあら」という声がある。

だれの声なのかは知らない。
当時もだれだったのか、知っていたかは記憶にない。

ただ、そのシチュエーションだけは覚えている。

かつて、
僕が通っていた幼稚園で、スカートめくりが流行ったことがある。

僕の過去の記憶を話すにあたって、少なからず必要な情報になるかもしれないので、ここで「僕」という人間の概要を説明しておく。
僕は、現在30代。80年代に幼少期を過ごし、首都近郊で育った、シスジェンダーの女性だ。
なぜ、僕の一人称が「僕」なのかについては、
「一人称のはなし」
という別記事にて説明をしているので、気になる方はリンク先でご確認いただきたい。


スカートめくりというものは、どういうものなのか、
僕には当初わからなかった。

スカートを履いている女の子のスカートを無理矢理めくっている、
ということに僕が気が付いたのは、園内でのブームがすでに半ばを迎えた頃だったのだと思う。
スカートを履いている女の子は軒並み狙われているようで、スカートをめくろうとするのは一部の男の子たちだった。

そうっと女の子に近づいて、まんまとスカートをめくった男の子は笑いながら去っていく。

女の子の大半は、「やめてよ」と怒鳴った。
やめてよと怒鳴る女の子の中には、冗談めかして笑っている子もいた。
互いの行動が遊びの域を出ないものと、つとめて認識しようとしているようでもあった。
言葉通り頑なに怒っている女の子もいたし、大きな反応をしない女の子もいた。反応をしない女の子は少し大人びた感じの子で「バカバカしい」「あいつら子どもだよね」と、騒ぐことで増長する彼らを下に見ている雰囲気だった。

僕はと言えば。
実はスカートを履いていなかった。
おかげでそういった行為が、どうやら流行っているらしいことに気がつくのが遅くなったのだと思う。
僕は、どちらかといえば走り回るのが好きな、活発な子どもだったので、保護者からはいつもズボンを履かされていた。
そんなわけで、このスカートめくりブームにおいて、気が付いた時には僕は完全に門外漢となっていた。

スカートめくりが起きるのは、大概が表に出て遊んでいるときだ。
室内では、逃げるために走り去る場所が無いからかもしれない。
保護者が迎えに来るのを園庭で待つ間、すでにいる保護者の目の前で起きることもあった。


僕の記憶の中で明確に大人たちが、男の子たちのその行為をやめるように指導する姿を見た覚えがない。
そういう時代だった、のかもしれないが、僕はそのことにもやもやとした感情を抱いていた。普段どんなに仲良く平等に遊んでいても、ひとたびそれが始まると、「する側」と「される側」になるのがどうしようもなく気持ちが悪かったのだ。

僕は相変わらずズボンのまま。
スカートを履く予定もなかったので、このまま免れていくことになるだろうと思っていたのだが、僕がずっとズボンを履いていることは、次第にスカートめくりをしたい男の子たちにとって不愉快なものになっていったらしい。
おおかた大半の女の子にやり尽くして、あと標的になっていないのが僕くらいだったのだろう。

ある時期から、僕は「スカートを履いていないこと」についてやたらと揶揄われたり、嫌味を言われたりするようになった。
言われたことの詳細はろくに覚えていない(何しろ30年近く前だ)が、
おぼつかない記憶を辿ると、たしか「みんなと違う」だとか「可愛く無い」だとか「おとこおんな」だとか言われたように思う。

彼らからの嫌味は、正直僕にとってはあまり意味を持たず、刺さらなかった。
僕は、ズボンを履いている僕自身が気に入っていて、満足していたので、他人と違おうがなんだろうが、気にならなかった。
そのうえ、僕にとって僕自身はとても「可愛い」ものだったので、「可愛い」か「可愛く無い」かの他人からの評価を、そもそも必要としていなかったし、気にしていなかった。

「おとこおんな」は言われている意味が分からず(正直今もよくわからない…)、
何を言っているのか、よくわからなかったのだけれど、ただただそう言われること自体を不愉快には感じた。
何を言われているかわからなくても、それを発した相手が、こちらを意図的に貶めるつもりがあることは不思議と伝わるものだ。
(それにしてもどこでそんな言葉を知るのだろう)


僕に対する執拗な、それでいて無謀でもある「スカートめくり」を狙う男児たち。(無謀だ。何しろ履いていないんだから)

存在のない「スカート」をめくらんと欲す
こうなるともう禅問答みたいだ。

そんな彼らが具体的な事件を起こした日に、僕は今も覚えている「あらあら」を聞いた。

その日、彼らはとうとう僕を絶対に標的にすることにしたようだった。
唐突に追い掛け回された僕は、なんとなくいつもと違うものを感じてとにかく逃げ回った。
けれど結局多勢に無勢(なにしろ相手は複数人で徒党を組んでいたのだ)、
僕は園庭の中でも一番門に近い雲梯の下で、身体の大きな男の子に捕まって羽交い絞めにされた。
捕まった僕は当然暴れに暴れたのだが、当時の僕は平均よりも華奢な女の子だったので、歯が立たなかった。
そうして、僕の当時一番仲が良かった男の子(一人称の話に出てくる男の子の一人だ)が、僕のズボンに手をかけて無理矢理引きずりおろした。
スカートめくりができなかったので、ズボンおろしをしたというわけだ。
僕はものすごく驚いた。想定外だった。
勢いあまって下着まで落ちて、一瞬虚を突かれた僕に男の子たちは大笑いをしたのだが、そんな声よりも耳に響いたのが、すぐ隣に立つ大人の女の人からの、

「あらあら」

という声だった。

僕は猛烈に怒りながらズボンを履きなおして、僕にいやがらせを行ったその連中を声も発さずに蹴散らした。
たしか、誰かの背中を思い切り殴りつけたと思う(これまで被害にあった女の子たちからは怒鳴られるばかりで直接的にやり返されたことはなかったようで、ものすごく驚いた顔をされた)。
当然全員を殴ることはできず、散り散りに逃げられたのだが、僕がその時強烈に気になった相手はそいつらではなかった。
慌てて逃げていくその連中の背中を見送ってから、僕はおもむろに振り返った。
そこに立っていたのは、だれかの母親だった。
それも二人。
そこには大人の女の人が二人立っていたのだ。
僕が、僕よりもかなり体の大きな男の子に羽交い絞めにされ、多勢に無勢で襲われているのを黙って見ていた。
その時に彼女たちが発した声が

「あらあら」

だった。

今思うと、他人に対して激しい「憤り」を感じた人生最初の瞬間だったかもしれない。
僕は、その二人に話しかけようか迷った。
どうして止めなかったのか、どうして助けようとしなかったのか。
僕は、とても嫌だったし、何をされるのかわからなくてとても怖かった。
そして、されたことはとても恥ずかしかった。

けれど、目が合ったときの、ぼうっとこちらを見ている顔が、気持ちが悪くて、僕はその二人に話しかけるのをやめた。
その二人の女性は、僕を見て笑っているように見えた。

その後、僕は二度と標的にはされなかった。
されたことを、ほかの大人たちに訴えたかどうかの記憶はないが、ものすごく怒っていたので、誰かに訴えたかもしれない。
もしかすると、この異常なブーム自体、僕が最後だったのかもしれない。
スカートめくりはそのまま下火になっていった。


ところで、僕は喉元を過ぎると色んな事を忘れてしまうところがあったので、僕に性的な嫌がらせをした実行犯の一人だったにも関わらず、そして特に謝られたわけでもないにも関わらず、この仲良しだった男の子とはその後も卒園するまで仲が良かった。

小学校で疎遠になったが、地元は変わらなかったので、大人になってから会う機会があって、SNSでやり取りをするようになった。
そのうちお茶でもしようか、なんて、具体的なやる気はお互いにないテンションで会話をしていたある日突然、

(そういえば、こいつはあの時僕のズボンを下ろした奴だったな)

と思い出した。
僕は彼のアカウントをブロックした。
その後の消息については知らない。



僕には今もたまに「あらあら」が聞こえた気がするときがある

願わくば
(それは本来能動的なものであるべきことなので、本当は願っている場合ではないのだけれど。それでも。あえて。「願わくば」)

僕が誰かの窮地に対して
誰かの切実さに対して

「あらあら」

と言わない人間であるように、と思う

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