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【読書感想文】『アルケミストー夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ

あらすじはこんな感じ。

羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。長い時間を共に過ごしてきた羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて少年はピラミッドを目指す。「何かを強く望めば宇宙の全てが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」少年は錬金術師の導きと旅の様々な出会いと別れの中で、人生の知恵を学んでいく。

ここに出てくる言葉は非常に爽やかで、私の中で飼っている少年が早く続きを見せろと騒いでいました。しかし言葉が詩的で爽やかだからこそ、その中にある真意を見出していくのは難しい。これは私の中で飼っている長老的なおじいちゃんが言っています。

少年は風の自由さをうらやましく思った。そして自分も同じ自由さを手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだ。

そういえば太宰治も同じようなことを『人間失格』のなかで言っていたと思います。

「それは世間が、ゆるさない」
「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」

太宰の言う世間(=縛るもの)とは自分自身ではなかったが「自分を縛るものは個人」という意味においては同質なのではないかと思います。

そして少年が風の自由さをうらやましく思ったのはきっと「世界中のどこへでも行ける」ということだけではないように思います。「過去も未来も環境にも左右されることなく、今この場所で生きている」ことなのではないでしょうか。

自由には責任が伴います。それは人間が社会の中で自由を求めた時に現れる問題です。本当に自由を求める者は、その責任にすらうっとおしいものを感じるのではないでしょうか。だから風になれたらどれだけいいことだろうなと。

ただここで少年は、さも風のように精神を解放していると私は見ます。よく言う「自分の考え方ひとつで世界は変わる」と言えばちょっと一般的になってしまいますが、彼は長い旅路の中で様々な人を見て、土地を感じて、声のない声に耳を傾けながら宝物を得ることができたのです。

多分、私を不自由にしているものは「この世に知らないものがある」と言う事実なんだろうな、と思いました。

だから私はこの少年のように、既に存在するものや、これから起こるすべてのものに体を任せられたらいいなと思います。それが「今を生きる」と言うことなのでしょうか。

確信が持てないのは、私が未だ自由ではないという証拠なのかもしれないです。

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