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サッカーW杯から見る「個」の重要性、そして、「個」を受け入れることの重要性

サッカーW杯!!
アルゼンチン優勝!!
おめでとうメッシ!ありがとうメッシ!!
そして、日本代表の皆様、素晴らしい時間をありがとうございました!

今回は、これまでにないくらいW杯を楽しめた大会だった気がする。
さすがに子供の寝かしつけとかあるので、リアルタイムではあんまり見れなかったけど、
メッシの物語とか、各国の世代交代とか、日本代表の数々の奇跡とか。
やっぱりサッカーっておもしろいなぁと思った。


そんな中で、個人的に今回のW杯は、「個」の力を象徴するような大会だったように思う。
アルゼンチン、フランス、クロアチア・・・
勝ち上がっていったチームには、その象徴となる「個」の存在があった。
決勝は、アルゼンチンvsフランスだったけど、
メッシvsエムバペの試合だったといっても(内容含めて)過言ではないと思う。
そのくらい2人は圧倒的だった。


「個」の重要性


そう考えると、今の日本代表には、圧倒的な個がいなかったのではないか。と考えてしまう。

もちろん、今の日本代表は個性的で、歴代最強だと思う。
でも、チームの象徴となる選手、ボールを持っただけで何かやってくれそうな、存在が勝敗に直結するような選手。
そんな選手が欠けていたのではないかと、勝手に思っている。
(なんかブルーロックみたいになってしまった。)

それは日本だけではなくて、スペインやドイツも然り。
個々の能力はもちろん世界レベルだけれど、今の両国に、チームを引っ張る「圧倒的な」個はいないと思う。
スペイン代表といえば?という質問をすれば、おそらく色んな名前が出てくる。
でも、アルゼンチン代表といえば?と聞かれたら、おそらくほとんどの人がメッシと答えるだろう。

そのくらい圧倒的な、一人でチームを引っ張れる個の存在が、現代のサッカーには必要なのだ。


しかし、多くの約束事があり、組織的でシステマチックな戦術が主流となった現代サッカーにおいて、そういった特異な存在を認めることは難しいように思う。

ではなぜ、メッシやエムバペは存在することが出来たのか?

「個」を受け入れることの重要性


過去には、個の象徴とされたファンタジスタ。
サッカー界で「ファンタジスタ不要論」が唱えられて、はや20年余り経つ。
これにはもちろん戦術的に不要になったという面もあるけれど、その「わがままさ」が受け入れられなくなったことも一因だと思う。

つまり、個が出現することと同じくらい、個を受け入れることも重要なのだ。


個を受け入れる方法は二つある。
一つは、圧倒的な個で有無を言わさず受け入れさせる状況を作ること。
もう一つは、周りが個の存在を受け入れること。
今回の決勝、勝手に僕の想像で言わせてもらえば、前者はフランスで、後者がアルゼンチンだ。

そして、アルゼンチンが勝利した。

完全な妄想で勝手な意見だけれど、やはり受け入れる側の度量みたいなものも必要なのだと思う。
(ただ今回のアルゼンチンの場合は、受け入れたというよりは、「メッシのために」という表現が正しいと思うけれど。)


そして、これはきっと、僕たちの生活においても同じなのではないだろうか。
多様性が叫ばれる昨今。
皆が同じ方向、同じ目的に突き進むのではなく、自分の個を磨き、ブランド力を発揮する時代。
大多数の中の一人、ではなく、自分自身を見てもらえるような「個」の力が、これからは必要だ。

そして、それを受け入れる、受け止める側の存在も同じくらい必要なのだ。




最近、自分の考え方が変わってきたためか、今回のW杯を見てこんなことを考えてしまった。


サッカー界にも僕らの生活の中にも、周りがかすむくらいの突出した存在が、今後出てくるかもしれない。
その時までには、僕も世の中も、そんな存在を認められるだけの器の大きさを持っていれたらいいなと思います。





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