自閉症傾向と独学 - わたしと本

前回の記事で、自閉症傾向を持っていることを書きました。

私には小さい頃の「思い出の絵本」の記憶がありません。絵本を読んだことがあるかどうかも怪しいです。小学校に入ってからも、本を読むことがとても苦手でした。国語の授業で無理やり読まされる「物語」には、どう興味を持ったらいいかすらわかりませんでした。国語が苦手というよりも、強制されるだけで私は一切のやる気を失ってしまうタイプのようでした。一方で、私は漢字にだけはなぜか夢中になりました。

ちなみに私の両親は、2人とも四年制大学の卒業ではありません。娯楽小説をたまに読んでいた気がしますが、特に本が身近にある家庭ではありませんでした。

中学生になるまで本を読むことなく過ごしました。強制される勉学からは中学時代も(その後の高校時代も)逃げ続けました。ある時私は例によって、中間試験か期末試験かもう覚えていませんが、とにかく何らかの試験に向けて勉強をしなければならない時に、新しい恰好の逃避先を見つけました。読書です。中学3年生の頃でした。

実は読書を発見する1,2年前に、すでに私は音楽の楽しみを発見していました。電子音楽を作ることに夢中になったのです。父に頼んでPCで音楽を作れる、サンプラー/シーケンサーのソフトを買ってもらいました。サンプリングでビートを作っていましたが、並行して歌詞を書き、自室にこしらえたちょっとした録音設備でボーカルを録音したりして遊んでいました。ですので、本を読むよりも前に、歌詞を書く、という流れで言葉に接近しつつありました。

そこに「本」が姿を現しました。家の近くの古本屋で適当に買った文庫本の村上龍『KYOKO』という小説に「食らって」しまいました。言葉だけでこんなにすごいものが作れるのか、という驚きを今でも新鮮に覚えています。それからというものの、高校を卒業するまで、私は本、文学に異様なほどのめり込みました。

私が当時、音楽や文学にのめり込めたのは、ひとえに「誰からも強制されなかったから」だと言えると思います。

私はあらゆる勉学を放棄しました。高校時代は1秒も机に向かって学校教科を勉強した記憶がありません。私が机に向かったのは、本を読む時か、音楽を作る時か、自宅の電話で級友に意味のない電話をかける時だけでした。その間に家庭環境が大きく変わり、音楽はいつしか作らなくなりました。

最初は日本の文学だけを読んでいましたが、手当たり次第濫読するうちに、関心が海外文学に移っていきました。本屋の店先で投げ売りされているような『世界文学全集』的な本を片っ端から読んだり、翻訳による違いを比較するために同じ作品の、訳者が異なるものを同時に読んで比較をしたりして楽しみました。

引っ越した家の近くに『KYOKO』を買った古本屋とはまた別の古本屋がありました。そこには、岩波文庫のカバーなしの本の在庫が、かなり廉価で大量にありました。高校時代にあまりにも足繁く通ったので、店員のお兄さんと仲良くなりました。毎回何かしら文庫本をサービスとして1冊くれるので、私の蔵書はどんどん増えて行きました。

読書経験を重ねるうちに、私は自分がどうやら海外文学、特にフランス文学が好きなようだということに気がつきました。これまで誰からも強制されなかったために、音楽と文学を発見できましたが、逃避することにかけては一人前になりつつあった私は、また新たな逃避先を見つけました。フランス語です。

周囲は受験勉強の真っ只中でした。高校3年になって、級友が英単語帳や文法の参考書や問題集を熱心にやっている時に、私は英語の「関係代名詞」が何なのかさえ分かりませんでした。先に述べたように、あらゆる勉学を放棄して、ステータスを読書にだけ振り向けていたので、英語とは音の感じだけで適当に正解不正解をあてるクイズだと思っていました。

ここでもまた、私は学校教育のなかで強制されるものはことごとく何も身につけることができませんでした。その代わり、私はフランス語を始めました。完全に独学で、音楽や文学を独学してきたのと同じように。

私はその頃には、独学で何かを身につけることはハードルが高いとは考えていませんでした。学校の勉強はまったくできないくせに、独学なら自分はできると思いました。高校を卒業するまで、私はフランス語をひたすら独学しました。フランス語を通して、関係代名詞が何なのかをようやく理解することができました。英語を通してでは、私は関係代名詞というものを一生理解することはできなかっただろうと思います。

続きます(多分)。

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