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「私の目的地」と「時代による戦略の変化」を考える。

今回は被写体という枠にとどまらず、私の人生の目的地と絡めて、被写体の位置付けについて考えてみます。

私の最初のnoteで、「被写体活動についての明確な目的地は無い」と書いたが、私の経営する会社としての目的地は既に決まっている。
今回は、その目的地へと到達するための経路と、時代による戦略の変化を整理したいと思う。



私の目的地

私の目的地は、「個々人が好きな事で稼げるプラットフォームを作る事」と「それに伴うコミュニティを作る事」の2つだ。

これらの詳細については関連note(会社アカウント)から確認してもらえるとより一層ご理解いただけるかと思います。

「弊社コンセプト【没頭】」では、私の実現したいことについて、その魅力について、その可能性について書いています。

「世界観の必要性。またはコミュニティの在り方について。」では、これからの時代におけるコミュニティの重要性について書いています。

私はこれらの考えが融合し実現するための手段が被写体活動の先にあると考えている。

この勘案の投稿先が会社アカウントではなく当アカウントである事にもそういった意味があり、支援頂いている方と共に被写体活動の先について考える事を楽しみたいと思っている。

私の考えるコミュニティについて、いくつかの理想はあるが、まだ確実な言葉にすることは難しく、今回のnoteでも明確なコミュニティの形を提示することは叶わないかもしれない。
この記事では「私自身が見えていない世界」を言語化するため、難解な内容になるかもしれないが、それを形成するに至る過程について共有し、被写体活動の初期から唱えている”手探り感”を大切に、一緒に考えてもらいたい。


目的地までの経路として、

私にとって「被写体としての成功」自体は目的地ではない。
しかし、この、被写体活動の可能性の追求こそが、目的地までの最良の経路だと感じている。
それは、この活動の先に私の目指すコミュニティ形成が期待できるからだ。

このコミュニティは、「私による私のためのコミュニティ」ではない。
私の活動を通して得られる知見を共有し、その展開に興味を持った人達による、「参加者のためのコミュニティ」に成り得ると考えている。
私の理想とするコミュニティの在り方を今風に言えばDAO(分散型自律組織)が近いだろう。

DAO:
従来の組織の場合、意思決定は上層部で行われ、決定されたことを上から下に指示を出す「トップダウン方式」が一般的です。
それに対してDAOでは、組織を統率する代表者(中央管理者)が存在せず、参加者同士で意思決定されます。

私が目指しているコミュニティの在り方は、これまでの記事で語ってきた「私が理想とする環境の構築」が叶うだけでなく、このコミュニティを用いる事で「参加者のビジネスの可能性を広げる」ことや、「趣味を大幅にアップデートする」ことに繋がると考えている。

どのようにこれらを実現するか、もう少し話を広げて考えていきたい。


コミュニティは全ての始まりを加速させる

最近、自分の無力さを痛感する2つの困難な課題が現実味を帯びて現れた。
ひとつ目は、自由に使える大量のお金があってもそれを有効活用できる事業が無いこと。
ふたつ目は、大きなイベントを行うチャンスがあっても集客ができないこと。

これらの課題を解決するためには、まずミニマムにスタートを切る必要があると考えている。
ひとつ目の問題の場合、100万円の有効な使い道を知らない人は1000万円を動かすことはできないし、1000万円を正しく使えない人は1億円を動かすことはできない。殆どの人はビジネスシーンにおいて、100万円どころか10万円の正しい使い道さえ見誤る。
この問題を解決するためには、ミニマムな事業規模でトライ&エラーを繰り返しながら金銭感覚を育てていくことが理想だろう。

ふたつ目の問題の場合、10人呼べなければ30人は集められないし、30人集めれなければ100人規模のイベントには至らない。
集客度合はイベントのコンテンツによって多少の振れ幅はあるものの、個人主催レベルの弱小イベントなどに大した告知力は期待できず、結局コンテンツを問わず似た様な結果になるだろう。
この問題を解決するためにもまた、ミニマムにイベントを行い集客実績を作りつつ内容をアップデートしていくことが理想だろう。

私はこのふたつの課題を解決するカギがコミュニティにあると考えている。
しかし、上記解決策を理解した上で「よし、ミニマムに始めていこう。」と言ったところでまずその環境がなく、一歩目を踏み出す事が叶わない場合が多い。
私の考えるコミュニティでは、最小単位でトライ&エラーを繰り返しつつ、問題点や可能性について熱心に議論する事が可能だと考える。


やってみないと気づけない自身の無力さ

一歩目を踏み出す事の難しさについては、思い当たる節がいくつもある。

人は自分のアイディアを語らず、それを内に留める事によって立派な発想だと思い込み、長年大事に抱え続ける。「俺はいつかやるんだ」という話を何度聞いただろう。一方でそのための準備を進めている人はほとんど見た事がない。
「お金が溜まれば」「年を取れば」「経験を積めば」できると思っているのだろうか。
そのアイディアを、もう少し真面目に現実味を持って想像すると、今の自分では何もできないと分かるだろう。

殆どの場合、「やったことが無い事は何故かできると思ってしまう愚かな脳」と「ミニマムに始める事が難しい環境」のコンボによって、結局何も生み出す事ができない現状がだらだらと続くことになる。

突然夢が叶う事は無いという事を自覚してから始まる「地盤を固めていく作業」においてコミュニティがどれだけ機能的かということは、すでにビジネスを始めている人には痛く理解できるだろう。
ミニマムに始める事については友人や家族に相談する事などもひとつの手だが、こういった背景を理解して集まったメンバー間で交換される意見とは質が異なるという事は容易に想像できるだろう。


個人レベルでのランチェスター戦略

ランチェスター戦略:「弱者の戦略」と呼ばれ、販売競争において小が大に勝つための理論と実務の体系である。

我々弱者は資金や従業員数が限られるなどの様々な制約がある中で、どうすれば大企業を相手に競争を勝ち抜くことができるだろうか。
今回は「局地戦・差別化」にフォーカスを合せて考えていく。
大企業に対して大きな土俵で総力戦を仕掛けても勝つことはできない。そのため勝負所を限定し一点突破するか、これまでと全く違った在り方を提示するほかない。

しかし、カッコ良く「ランチェスター戦略だ!」とは言うものの現実的な差別化を図る事は難しく、容易に適応・変化できるわけではない。
そこで目を向けたいのが地域戦略であり、コミュニティの創出である。
地域に根付き、顧客とより近い距離感で接することでファン化を狙いつつ、細やかな方向転換を可能にすることこそ、弱者の戦略としてふさわしいだろう。


サブカルの変化

差別化の話を少し広げて考えてみる。

インターネットの登場により、ここ十数年でサブカルの価値が変化している。ひとことで言えば受信リテラシーから発信リテラシーへの変化だ。

受信リテラシーとは、まだ誰も知らないようなニッチな情報を収集し公開することによって、「すごい!」「新しい!」という形で周囲に評価されることで、発信リテラシーとは、tiktokやinstagramなどのSNSやブログ等を用いて自らを表現することでフォロワーを獲得し評価されることだ。

これまでインターネットが発達しておらず情報が取得しづらかった時代では、「物知り博士」こそが人々の中心となることができた。しかしこれからの私達が注目を集めるためには情報発信によって自己を表現していくほかない。
こういった発信活動は、「スキルとして可視化できない経験」を客観的に把握できるようにする意味もあり、自らのポートフォリオになるという点も考えればかなり合理的な話だろう。

ここまでの話を総合的に考えると、自ずと「やるべきこと」の方向性が見えてくる。
自分の持つナニカを発信する事で大枠を作ると同時に、自分に適したコミュニティを創出もしくは所属することでミニマムなスタートを可能にし、そこからトライエラーを繰り返しアップデートして行くという事だ。
まさに私が今行っている発信活動がそれと言えるだろう。


何者でもない私達の生存戦略

数年前、「何者かになりたいブーム」が起きた。
「好きなことで生きていく」や「個人で稼げるスキルを身に着ける」といった事に意識が高い人達の熱が注がれた。
しかしそんなブームは数年の内に廃れていった。
なぜなら、どれだけトレンドに便乗したとしても、どれだけ多彩なスキルを身に着けたとしても、本当に成功できる人は一握りであり、変化を求めたが成功できなかった人の方が圧倒的に多いからだ。

結局「個の時代」と呼ばれたこのブームで生き残ったのは、本当に何者かになる事ができた個人と、独自のコミュニティを築き上げた人(もしくはそのコミュニティ内で自分の居場所を作ることができた人)だけだった。

「何者かになる」という事は非常に難しく、再現性のあるものではないと思う。そのため私達は自らの成功のために、コミュニティに着目する必要があると考えている。
しかしこのコミュニティというものもまた難しく再現性がないようにも感じるが、「個人の力で本当に何者かになること」に比べればまだ実用的なアイディアではないだろうか。

【コミュニティを用いる事で「参加者のビジネスの可能性を広げる」ことや、「趣味を大幅にアップデートする」ことに繋がると考えている。】冒頭で書いたこの内容のうち、「ビジネスの可能性を広げる」については凡そのイメージが掴めたのではないだろうか。

次に「趣味のアップデート」について触れていく。
これには2種類の意味を持たせている。
ひとつ目は、自らの「ビジネスレベルではない趣味」を他者に共有することで、新たな価値の発見を行い、ビジネスチャンスを見つけ出すということ。
ふたつ目は、他者の趣味を深く理解し自身の能力と融合することで、そこから別の可能性を発見するということだ。
この可能性はひとりでは生み出す事ができないため、受信・発信が相互に行われるコミュニティだからこそ得られるメリットと言えるだろう。

わたしは、「何者かになりたい」という思いや、「エキスパートになりたい」と思う一方で、知識の偏りの怖さを知っている。
変化していく時代の中で生き残るには、常に興味の対象外の部分へとアンテナを張る事が重要だと考える。
コミュニティ内では複数人によって情報が往来するため、自動的に「自分の興味の対象外のネタ」が提供される事となり、最良のアンテナの役割を果たすのではないだろうか。

とはいえやはりエキスパートへの憧れは消えないもので、そういった人たちを支援する組織を作りたいと思ったのが今の会社であり、「弊社コンセプト【没頭】」に記した思いだ。


協業を意識しない組織

私の理想とするコミュニティは、それ自体が何かを生みだそうとするための集まりではない。
何かを生みだそうとする個々人のハブとなる場所になればと願う。
「私による私のためのコミュニティではない」とはそういった意味だ。

これまで私のイメージする形について書いたが、これらこそがDAOの魅力であり、個々人の成長を加速させるための最適な装置と言えるのではないだろうか。
一方でこれは上下関係のある組織ではないため、「ひとつの目標に向かってみんなで頑張る」という事には不向きかもしれない。
つまり、コミュニティには意欲的な人が集う事を願うが、彼らを束ね、同じ目的地に向かって足並みを揃える事は返って個人の自己実現の妨げになると考える。

そのため、「協業するための組織ではない」という前置きは必ず必要なものであり、それをメリットと捉え、組織の力を個人へ落とし込み、個人は成長した能力を組織へと還元していく形によってこのコミュニティは価値を持ち、成り立つのではないだろうか。


コミュニティーの存在意義

これらを理解した上で理想的なコミュニティを作り上げたいと思うが、これまでの話だけではまだコミュニティとして成り立たない。
これらを踏まえた上で正確にコミュニティを作るためには、「中心となる何か」が必要だと考える。

さきほど「同じ目的地に向かって足並みを揃える事は返って個人の自己実現の妨げになる」と書いたが、その一方で「中心となる何か」は間違いなく必要であると断言できる。
この違いの説明が難しく、何をどう中心に添えるかという事がコミュニティ作成の課題となる。
「中心となる何か」が無ければそれはコミュニティとは言えず、無目的なただの集団となる。

ここ数年、社会人サークルが流行っている。
スポーツを共に楽しむ集まりや、BBQや花見などシーズンを楽しもうとする集まり、読書会・カフェ会などゆくる繋がる集まりや、「生きる目的探し」をする集まりなど多岐に渡る。
しかしこのどれも盛り上がりに欠け、早期解散する事が殆どだ。

それは「中心となる何か」がないため、そのサークルに帰属する意味がないのだ。
集まった個人はその場が居心地が良く自分にとって都合が良ければ継続して参加するが、サークルのために貢献しようという個人はおらず、いわば招かれた「お客様」なのだ
主催者はサークルを盛り上げるためや、自身の仲間を増やすために飲み会を開催して距離を縮めようとしたりするが結局大きくは変わらない。
何故ならひとつの目的のために集まった者を別の目的(仲良くなろうという)に向かわせているから上手くいかないのだ。
そこで何人かは気の合う友人になるかもしれないが、そうなると最早「サークルという体」は必要なく、そこで繋がる事ができた「目的が同じ友人」と当初の目的を達成すればいいのだ。
つまりこのサークルは、当初の目的を達成するにあたって人がいないから「サークルを作ります」という体の「友人探しの場」なのである。
サークルをサークルとして継続させる意思と覚悟を持って立ち上げたリーダーなどいるのだろうか。

これはそういったサークルを揶揄している訳ではなく、同じ目的を達成する人達を集めようと思って行動したことや、もっと円滑なサークルにしたいと思い飲み会を開催する事など、リーダーなりに様々な事を悩んでそこに辿り着いているのであろうことは理解できる。
しかしみな一辺倒であり、同じ結末を辿る。
それはただ改善案を知らないという事も大きいだろうが、知っていたとしても実現することは非常に難しいということは今回のnoteから伝わるだろう。

これらを解決する鍵が「中心となる何か」の存在である。


キャラクター(世界観)の表現

この中心となる何かは具体例を挙げることも難しいほどに曖昧なものである。(もしくは私はまだ捉えきれていないのか。)

例えば今回私の目指すコミュニティとは縁が無いが、「場所」とは最強の「何か」であると感じる。
個人経営のカフェやレストランでは、そこを愛する者による集団ができるというムーブが起きやすい。
その場に集まる人たちの目的は統一されていない(食事を楽しむ、友人と話す、本を読むなど様々)が、その空間を愛し集まることで一定の連帯感が生まれる。
その集団で別の店舗へ食事へ行ったり、花見や忘年会をしたりといった事を行うが、定期的に当初の「場」に回帰することで、その集団は分裂を起こさない。

もうひとつ理解し易い「何か」といえば、「キャラクター」だ。
アニメや漫画に登場する個性豊かなキャラクターは「中心となる何か」になる。
例えば初対面の人に「私が何者であるか」を伝えようとすると、非常に時間がかかる。学歴や経歴やスキル、趣味や休日の過ごし方、家庭環境や夢などまで伝えるとキリがないが、それら全てを伝えたとしてもそれは本当に「私」を伝えたと言えるだろうか。
人を判断するにはそれらの情報と併せて見た目や喋り方などの雰囲気も考慮されるため、「人」を伝えるとは非常に難しい事だと感じる。

その点キャラクターは簡単に心の距離を超える。
外国人が日本の女性に「ピカチュー」というだけでナンパが成功する話が一時期話題になったが、(その実態の良し悪しは置いておいて)それほどまでにキャラクターとは一瞬で人と人の距離を近づける。
「あ、この人あのキャラクターを知っているんだ」というだけで、その作品によって伝えられるメッセージや世界観を共有した気分になれる。
その作品に対してどこまでコアなユーザーかという問題もあるが、キャラクターに対するイメージというものは凡そ固定されているため問題がない。(人間の様に、特定の人物について、Aさんに聞けば「優しくて頼りがいがある人」だと答えるがBさんに聞けば「自分勝手でせっかちな人」と答えるような食い違いが少ない)

こういったキャラクターが中心となる「話題の嵐」は思い返せばいくつかある。アニメで言えば鬼滅の刃や呪術廻戦など、これらはドラマにも応用され半沢直樹など。
「それ」を見たという事で仲間内の話に参加できる権利を得たといっても過言ではない程、世間にブームを巻き起こした。
「それを見た人」と「それを見ていない人」ではそのブームの最中では大きな違いがあり、「あ、この人分かる人だ」という一発で話題が見つかった感や一体感こそが「何か」の役割を果たすキャラクターの強みだろう。

これらのキャラクターによる話題性と面白さは二次創作によるパロディ化などによって加速する。
コラ画像の作成やセリフの使いまわしや同人雑誌の作成などによって、「それ自体の話題」ではなく「それを用いた話題」でファンが楽しむことができる。

こういった「場」や「キャラクター」になりうるのが、「被写体としての私」だと考える。「私」ではなく「被写体としての私」であるところがポイントだ。
前述した通り、「私」についていくら人に伝えようと思っても正確に伝えきる事はできない。それは私自身(人間というもの)が正確ではないからだ。
しかし「被写体としての私」は切り取られた世界の中で完結している。
そこには人間性もバックボーンも関係ない。
ひとつの作品として、ただあるだけだ。

その作品に、ひとつ要素を付け加えたい。
それがこの文章だ。
この文章を通して、「被写体を通して」私が実現したいこと、考えていることを表現している。つまり、私の写真と私の考えを知る事で、そこに共感した人が集まるというわけだ。
写真作品はコミュニティのアイコンとして、文章はコミュニティのコアとして活躍する。

先ほど大衆に認知されているキャラクターを例に出したせいで本当にそうなりうるのかという不安はあるが、むしろニッチなコンテンツを楽しむ集団だと考えると、大多数に受け入れられる敷居の低いコンテンツよりもより深く味わう事ができると想像できるだろう。
それはつまり、参加ハードルは高いが、そこに属した人はただの無目的な集団ではなく、同じコアを持つ集団と言えるだろう。

このコミュニティは「私を推してる人の集まり」という意味ではない。
私というアイコンを通して考え方を普及し、そこに対して各々が知的利益を得られる仕組みが整っている環境を求める集団ということだ。
これを存続させるためには参加者による一方的な搾取ではなく、相互還元が必要だということはこれまでの話で理解していただけただろう。

まだまだ可能性の追求段階であるため、これを実現するための具体案は今回は記さずに締めたい。

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