世界観の必要性。またはコミュニティの在り方について。
このnoteはアート的な観点から世界観の作り方を説明するものではなく、ビジネス的な観点から考える世界観の必要性について、前知識がなくても楽しめる読み物として書いた。
また、企業と顧客の付き合い方において重要な観点となるファン化に着目し、これからの時代における中小企業の生存戦略を考えてみる。
本noteでは、「遊びがビジネスになる」「体験が価値を生む」「サブスクビジネス」「ダイレクト課金」といった事をキーワードに話を広げていく。
(前半はどこかで聞いたことがある当たり前の話なので、目次を見て後半までスキップしてもOK)
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初めてお読みの方へ
合同会社decicoの松本です。
IT・デザインを用いてコンセプト設計・ブランド設計を行っています。
持続的な企業作りのためのヒントになればと思い本記事を書いています。
noteでは10分程度で読める話を発信していますので、よろしければ他の記事もお読みください。あなたの経営の役に立つことを願っています。
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所要時間:8~11分
「遊びがビジネスになる」が現実味を帯びてきた世界
ここ数十年の間「AIが仕事を奪う」と言われており、それは「人間でなければできない仕事が減っていく」ということを表している。
そして現に、人間の仕事はどんどん減っている。
そんな中で2019年10月13日にトヨタ自動車の豊田社長がこう言っている。
「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」
トヨタほどの大企業でさえ、終身雇用は難しいと捉えている。
それほどまでに、定職に就くことが難しい時代だと言える。
さらにこの現状を、コロナが加速させた。
本当に必要な仕事とは何なのかを私たちは問われている。
また数年前から、「遊びがビジネスになる」と言われている。
その分かり易い発端と言えば、Youtuberという職業が登場したことだろう。
その後も続々と遊びを売りにする企業が現れ、遊びがビジネスになる世界が現実になってきた。
機械ができない仕事とはなにか。それは、遊びを提供すること。
機械に仕事をさせることで、人間はこれまで以上に多くの時間を手に入れることができる。つまり可処分時間が増えるということ。
その可処分時間を潰せる方法を、多くの人が求めている。
アソビとはなにか。
ここでいうアソビとはなにか。
それは、ビジネスになるアソビ。
ビジネスになるアソビと言われてもピンとこないだろうが、その範囲はかなり広い。もはや、ビジネスにならないアソビを見つける方が難しいかもしれない。
分かり易いもので言えば、ライブやコンサートもアソビであり、BBQや自然体験もアソビだ。
スマホやパソコンでのオンラインゲームもアソビであり、その遊びに出資する人がいて、そのアソビを仕事にするプロゲーマーが存在する。今ではeスポーツと呼ばれ、広く認知を取っている。
さらに面白いものでいえば、鬼ごっこをするイベントが有料で開催されていたりする。
コロナ到来を皮切りに、TVタレントの多くがYoutubeチャンネルを開設するなど、可処分時間を奪い合う争いの勢いは留まるところを知らない。
昔では考えられないが、アソビに金銭的価値が生まれていることは疑う余地がない。
これには様々な原因があるが、その中のひとつが世界観を作る必要性の話に繋がってくる。
「体験が価値を生む」とは何か
これもアソビの需要が生まれた事と似た観点ではあるが、大きな要因はコモディティ化だと思う。
コモディティ化とは:市場に流通している商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとってはどこのメーカーの品を購入しても大差のない状態のことである。
開発技術力の向上や、製品の制作方法が簡単にインターネットで検索できることが起因となり、どの製品もそこそこのレベルになった。
私たち買い手としては、手ごろな価格でそこそこのモノが手に入るようになった。
生産・販売する企業としては、高い開発費を払い、より良い機能を付けたとしても、最新機能の価値が高く評価されていたこれまでと比べて差別化しにくく、売れにくくなったと言える
そんな中でこれまで以上に、体験が価値を持つようになった。
価値のある体験とは、例えばただ買うだけではなく制作するという体験。
もちろん仕上がった作品は既製品とは比べ物にならない程の低クオリティだが、自分で作ったという思い出は、綺麗な既製品以上の価値がある。
「品質」よりも「体験による価値」の方が高い例としては、革細工や木工・陶芸体験、お菓子作りなどもそうだろう。
これらの体験価値は、これまでの「モノ消費」に対して「コト消費」と呼ばれている。
コト消費は、製品を手に入れるまでの過程だけが体験の価値ではなく、体験自体が価値になっている場合もある。
例えば酪農体験やフラワーレッスン、スパや乗馬など。
またはカヤックやアスレチックなど、アソビとの境目が難しいがこれらも体験自体が価値だと言える。
参加しない体験
これまでは、参加する体験について触れたが、これからの時代のビジネスを語る上でより重要となるのが参加しない体験だ。
参加する体験とは、「購入者が何かしらの体験をする」という分かり易いものだが、参加しない体験とは、生産者の体験が付加価値になるということである。
生産者の体験とは、生産に至るまでのストーリーを語ることや、これから実現したい未来を語ることだ。
どうしてそんなことが価値になるかというと、どの商品・どのサービスを購入しても、価格や機能に大きな差がないなら、より共感できる働き方をしている人や、応援したいと思える人から買いたいと考えるのは当たり前だろう。
むしろその商品が多少割高だとして、応援したいからお金を払うという事が起こり始めている。
応援にお金を払うとは、クラウドファンディングが主たる例であり、最近で言うとスパチャ(投げ銭)もそうだろう。
少し違うかもしれないがスポーツの応援などもその一種だと考える。
このように、一定以上のクオリティ中で差別化による戦いが難しい一方、次の戦い方は物語を売ることだと言われている。
サブスクについて
応援にお金を払うという事が浸透しつつある現状で、サブスクは非常に相性がいい。
サブスクなんて言葉はこの数年前まで知らなかったが、最近ではかなり馴染んできたように思う。
IT技術の進歩や物流の最適化が後押しし、欲しい物が家に居ながら買えるようになった。
そうなると次は、必要な分が勝手に送られてきたら嬉しいという所にたどり着く。
買い手からすれば、どうせ毎月買うものが勝手に送られてくるから楽であり、企業からすれば、安定した売上が期待できるため割安で販売することができる。
サブスクは物品だけでなく、サービスまで広がって行った。
音楽が聴き放題。映画が見放題。漫画が読み放題。ゲームが遊び放題。
更に面白いのは、美容室で髪が切り放題や、クリーニングし放題など。
昨日買い物に行くと、メガネのサブスクを見かけて驚いた。
なぜサブスクか
なぜサブスクが広がっているかという簡単な答えは先ほど書いた。
しかし本質的に企業が追い求めていることは、単なる安定した利益の確保ではない。
その本当の目的は、顧客をファン化することにある。
ただなんとなく購入してもらうのではなく、本当に好きになってもらいたい。
前章で書いたとおり、企業はこれから、物語で製品を売っていくことになる。
しかし、物語を伝えるには非常に多くの時間が必要である。
作り手の思いとは、一度製品を利用しただけでは伝わらない場合が多い。
また、買い手からしてそもそも興味がない企業や商品に込められた思いなんてどうでもいいから興味を持たれない。
本当のファンになってもらうためには、お互いに時間が必要である。
そのために少しでも安く良い製品を安定して届けるという名目を入口に、購入者に対して、「新しい商品のお知らせ」や、「開発エピソード」などを届けていくという戦略が必要になってくる。
ダイレクト課金とは
遊びを売る。体験を売る。サブスクで売る。
これまでで販売において様々な工夫が見られたが、販売は更に進化する。
ダイレクト課金とは、生産者が購入者から直接購入してもらうということ。
これまで出店先に販売手数料を払っていた人が、インターネットを用いてダイレクト課金に移行している。
これも前章で書いたとおり、買い手は応援にお金を払っていると言える。
特定の人から商品を買いたいから直接その人にお金を払うという構造が成り立つようになった。
今ではダイレクト課金の筆頭とも呼べるオンラインサロンが広く認められつつあり、多くのインフルエンサーがそこを目的地としている。
~前半のまとめ
これらは販売の最適化であり、これからの時代を生き残るために必要なファン化を行うための手順である。
本題~
これからの時代に本当に必要なこと
これまで書いてきたことは、「ファン化するための活動」と言ったが、本当にそうだろうか?
私はそうではないと思う。
もちろん「ファン化するための活動」という側面もあるが、その殆どは顧客を繋ぎ留めておくための活動でしかないと感じる。
本当のファン化に至るためには、単に長期的に関わり続けるだけではなく、本当の意味で顧客と対話しなければならない。
それは一方的な情報発信ではなく、コミュニティのようなナニカを作るということ。
この「コミュニティのようなナニカ」を私は世界観と呼ぶ。
コミュニティのようなナニカの存在意義
人脈を増やすこと・ビジネスチャンスを増やすことの例として異業種交流会や起業家交流会などのお知らせを良く目にする。
しかしそれは、何者にも成れない人が自分のことを助けてくれる誰かを探しに行っており、結果として得られる物はあまりない様に感じる。
本当に仕事が生まれる交流とは、膝と膝を突き合わせて対話をする・・・ようなお堅いモノでもなく、それは単にたまたま酒場で知り合って一緒にお酒を飲む事であったり、一緒にゴルフを回るようなこと。
つまり、ビジネスとビジネスを向き合わせるのではなく、その間に緩衝材のようなナニカを挟む事が重要である。
この緩衝材のようなナニカは、「ビジネスをしに来たわけではない」という綺麗な建前を用意してくれ、また相手の人間性をより深く見せてくれる。
こうした適切な距離感で相手の人間性を見定め、一緒にビジネスをやっていけるかどうかを判断する。
これについてはこちらの記事が参考になるかもしれない。
数々の取り組み
生存戦略が変化する中で、多くの企業・インフルエンサーが独自のコミュニティを持ち始めている。
しかしその成功例はあまり多くない。
なぜなら、上記の背景を踏まえずに、何となくコミュニティ運営を行っているからだ。
私はコミュニティが成長しない要因として2つの事を考えている。
1つ、コミュニティは一方的な発信であってはならない。
2つ、コミュニティはローカルでなければならない。
一方的な発信とは、交流ではないからだ。
特定の情報を発信するオンラインサロンなど、これまでよりもファンと近くなったような気がするが、その実態はあまり正解だとは思えない。
それはただ、これまで無料だったもが限定化されて有料化しただけであり、また知りたくもないような細かい情報をわざわざ伝えてくれる。
そのコミュニティにオフ会が存在するとしても、それは対話ではなく、半分ライブのようなものだ。
ローカルでなければならないというのは簡単な理由で、参加できない人がいるからだ。
逆に言えば、頻繁にオフ会できるという点では、地方企業はどんどん取り入れていくべきだと考える。
コミュニティのようなナニカの在り方
ではどのように取り組んでいけばいいのか。
それは、単にコミュニティを作る事ではない。
コミュニティのようなナニカを作らなければならない。
そのナニカを媒体に、他人と他人が会話できるようなナニカだ。
例えば音楽は良い。
全然知らない人でも、ライブで意気投合することは頻繁にあるし、初対面の人と趣味が合えば大いに盛り上がることができる。
そのように、人と人を繋げるナニカを用意することが重要だと感じる。
そのナニカがあった上でのコミュニティ。
そのナニカがないコミュニティは、メンバー同士が相容れる事ができない。
この話はなんだか、同担拒否が多いアイドルと、みんなから応援されるアイドルの違いにも繋がってきそうだ。
同じものが好きな人同士で語り合いたいからコミュニティに参加したのに、「そんなことできなかった」という経験は多くの人が持っているのではないだろうか。
世界観を作る
ここまで丁寧に順序立てていけば、もうコミュニティのようなナニカの重要性は分かったと思う。
私はそれをさらに、世界観というモノに昇華させたい。
しかしその世界観もまた、一方通行な発信になってはいけない。
一方通行な世界観であれば、多くの人が持っている。
インスタグラマー、写真家、イラストレーター、芸術家、メディアクリエイター、作家など。
作品は人を高揚させる。惹きつける。特別な気持ちにさせてくれる。
それだけでも十分特別で、素敵で、素晴らしい。
しかし彼らは、コンテンツを持っているがコミュニティを持っていない。
勿体ない。
だからといって、コンテンツとコミュニティがあれば良いのかと言えば、それはまた違う。
世界観が必要なのだ。
自分(メインコンテンツ)がそこに存在しなくても、他人と他人が初対面で手を取り合うことができる世界観。
世界観とは、共通の考え方。認識。
例えば京都の街並み(町全体とは言えないが主要な観光地のイメージ)では、路上に酒飲み大学生が居たり、ちびっこが騒がしく走り回るイメージがあまりない。大人たちが、優雅に過ごす落ち着いた空間。そんな雰囲気がある。暗黙の了解。騒がない。お上品に振舞う。そうすることでみんなで作り上げる世界観。
例えば近所の人が集まる酒場では、小さなことは気にしない。食事の提供が随分遅れようが、席が埋まっていて狭い空間で立食になろうが、メニューの料理が殆ど材料切れな一方で季節物の料理が勝手に提供されることなど。そんな事に腹を立てない。むしろ楽しむ。その自由な雰囲気がまたお酒を進ませる。そんな柔らかい雰囲気が、見ず知らずのお隣さんとの会話のきっかけになる。悪い人は居ないという暗黙の確認が、他人だらけなのに気を抜ける空間を作る。
これらの世界観は、異質なものがひとつ入ると崩壊する。
そのためにコミュニティの運営者は、世界観の維持に努める必要がある。
しかしそれは、異質の排除ではない。異質は無限に湧いてしまう。
大切なのは、異質なものが生まれないルールを作る事。そのルールを共通認識としてみんなに与える事だろう。
しかしそれは、ルールブックを作ることではない。
しかしそれは、都度初見さんに言って聞かせるものでもない。
その共通のルールこそが、世界観だと思う。
ここでは世界観という言葉で片付けているが、その裏にはデザイン設計やビジネスゴールの設計など、緻密な計算が必要となっている。
私は、そんな世界観を作りたい。
しかし私はクリエイターではない。
色々チャレンジしてみたが、「何かを作り続けるということ」に力を入れることができなかった。
そんな中でも、文章を書くということは私にとっての世界観の作り方だと思う。
私にとって、ひとつの物事を伝えるための手段だと思う。
こういった話を書いて、もし誰かの話題になれるのならそれは大変嬉しいことだと思う。
しかしいつか、もっとみんなが楽しめるような、エッセイに近い、物語のようなナニカを作りたいとも思う。
単なる安定した利益確保のためのサブスクビジネスの提供ではなく、新しく知り合えた人と今後も繋がり続けられるナニカ。
ビジネスで繋がるのは、その後なのかもしれないと考える。
サポートは不要です。お気持ちのみ受け取ります、ありがとうございます。