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たつやとたつや

 1990年代初頭の大学に通っていた頃、僕は俳優になろうと思っていた。どうやってなればいいのかわからなかった僕は、「デビュー」という雑誌を買い、そこで俳優養成所というものがあると知った。
 僕が入ったのは、TBSの演出家でありプロデューサーでもあった大山勝美さんが作った俳優養成所だ。実際に大山さんに会った記憶はない。場所は北新宿にあった。当時は今みたいな高層ビルはまるでなく、というより今思えば再開発の真っ只中だったのだろう。あらゆる場所が工事のフェンスに囲まれていた記憶がある。

 俳優になりたいと思ったのはかなりミーハーな理由だった。楽しそう、それで人気になってお金もらえるなんて最高だ! しかも美人が周りにいっぱいいるはず! くらいの安易なものだったと思う。だから、入った当初は発声練習とかばかりだったので、こんなことやって何か演技ができるようになるのか? と疑問を持ち、熱心に努力することができずにいた。今となってはそれも努力をしないための言い訳だったと思う。
 僕を惹きつけたのは、レッスン後に養成所の仲間と飲みに行くことだった。それを楽しみに通っていたと言っても過言じゃない。もちろん可愛い女子もかっこいい男子もいたというのも理由の一つだけど、それ以上に、同じ目的を持った仲間とふわふわとした夢物語を語り合っている時間が好きだった。ある種の熱がそこにあったから。単純に、僕はその熱に浮かされていた。

 俳優養成所に入った同期は20名くらいいたと思う。その中でも仲の良いグループというのは当然形成されていく。僕はたつやという同学年のイケメンとえいこという2つ上の美人と仲良くなった。あと、もう一人、2つ下の女の子(名前は忘れてしまったのでB子としておく)がグループにくっついてくる感じだった。レッスン後はこの4人以外とも一緒に飲みに行ったけど、最後は大体僕とたつやとえいこの3人で残ることが多かった。

 帰れない時間まで飲んだ時には、一人暮らししているえいこの家に行って、3人で雑魚寝する。たつやは高卒で建築の仕事をしていたし、えいこは事務職をしながら夜はスナックでバイトもしていた。大学生だったのは僕だけだ。二人とも多少は稼いでいたので、お金がない日は二人に奢ってもらうことも多々あった。携帯電話はまだ普及していなかったから、僕は二人とレッスン以外で連絡を取り合うことはなく、週に1回のレッスンの日が、唯一二人と会う日で、だからこそ、その日が楽しみでもあった。

 しかし養成所が始まって3ヶ月もすると、次々に辞めていく人が出始める。特に最初の頃は発声練習とかストレッチ、あとはエチュードばかりやっていて、あれ? 本当にこんなことで俳優になれるんだろうか? と思ってしまうから、心折れる人はそこで辞める。さらに、1ページくらいの短い台本で演技なんかもするのだけど、台詞覚えられない、とか、ただ棒読みになってしまうとかを感じると、ああ、これは自分には無理だな、と実感する部分もある。僕も同じだったけど、僕の場合は飲みに行く楽しみだけで続けていた部分が大きい。

 また一人、また一人と辞めていき、4ヶ月目には半分の10名くらいになっていた。
 そして、とうとう、たつやが初めてレッスンを休んだ。レッスン後に、僕はえいことB子と他何人かで飲みに行った。いつも通りに楽しんでいたのだけど、ふと、えいこが「たつやもやめちゃうのかな」と寂しそうに呟いた。

 翌週もたつやはレッスンに顔を出さなかった。僕とえいこは、その日飲みに行かずに帰った。

 その週、珍しくえいこから家に電話がかかってきた。
「たつやと連絡が取れない」
 僕とは違い、たつやとえいこはの二人は、それぞれ家の電話などで連絡も取り合っていたようだ。というより、男女の仲になっていたのかもしれない。たつやと僕とでは、えいことの親密さが違うと結構前から感じてはいたから。
 僕はたつやと連絡をしたことがないとえいこに伝えると、「そう、何かわかったら教えて」と電話を切った。

 次のレッスンには、たつやがやってきた。「久しぶり」と照れくさそうにたつやが笑う。
 レッスンが終わり、久々にたつや、えいこ、僕の3人で飲みにいくことにした。

 「俺、やめるわ」
 たつやは乾杯してすぐに、そう言った。僕もえいこも予想はしていたので、「そうか」と話の続きを聞くことにした。

 たつやは建築会社で本腰を入れることにしたようだ。だから、もう俳優はいいや、と。この数ヶ月楽しかったと笑う。イケメンの笑顔とは強烈だ。無性に泣きたくなってくる。

 その日は夜通し3人で飲んだ。お店で飲み続けているとお金がもたないからと、えいこの家へ酒やつまみを買っていく。その後はずっと笑いっぱなしで、たつやとこれでバイバイになるなんて微塵も感じられないくらい馬鹿騒ぎをした。レッスン後の16時くらいから飲み始めているから、夜中の3時を過ぎたくらいで、泥酔した僕たちは誰からともなく寝落ちしていた。

 起きたのは10時過ぎだった。不思議なもので、今なら二日酔いで立てないところだけど、この頃は肝臓の機能がまだまだ健全だったのか、二日酔いにはなったことがない。僕が起きるとえいこはもう起きていて、シャワーも浴びたあとらしく髪の毛にタオルを巻いていた。カラカラの喉にペットボトルのお茶を流し混んでいると、「俺にも」とたつやも起きてきて、お茶を飲んだ。

 「じゃあ帰るか」
 えいこにそう告げて、僕とたつやは部屋を出ようとしたら、えいこがたつやにハグをした。
「元気でね」
「ああ、えいこも」
 そうか、これで最後なのか、と改めて思う。

 たつやと僕は電車で新宿まで向かった。僕は埼玉だし、たつやは成城の方に住んでいたので、新宿で別々の電車に乗り換える。

「飯食って行かない?」
 新宿に着くとたつやが言う。
「いいよ、食べていこう」
 駅を出て、たつやが迷いなく歩いているので僕はそれについていく。
「ここ安いから、奢ってやるよ」
 と、たつやがたつやに入っていく。

 たつやと僕はそこで何を話すでもなく、かつ牛丼を食べた。
「俺は諦めたけど、いつか俳優になれるといいな」
 たつやは僕にそう言って別れた。

かつ牛丼

かつ牛丼 たつや@新宿

 新宿を歩いていて、たつやの前で突然そんなことを思い出した。久しぶりのたつやに入る。かつ牛丼。かつと牛丼を一緒に味わえる丼だ。たつやはチェーン店の味でもなく、古き良き味がした。あの時食べた味のままかはもうわからないけど、いつ食べても懐かしいような寂しいような気分にさせられる。

 たつやと別れて以降も僕は時々、たつやに足を運んだ。たつやに入るたびに、もしかして、と店内にいる客の顔を見てしまう。が、その後たつやに出会うことはなかった。

 たつやが養成所を辞めてから、レッスン後は、僕とえいことB子で過ごしていたが、2ヶ月後にはえいこも養成所を辞めていった。
「いつかテレビで観るからね」
 飲んだあと、えいこは僕にハグしながらそう言って別れた。

 その後は僕とB子の二人で何度かご飯に行ったけど、当初あったような浮かれた熱はなくなっていた。そして、僕も入所10ヶ月ほどで養成所を退所した。

 養成所を退所した日に、なんとなく僕は一人でたつやに入った。
 たつやが隣にいたら、僕はこの時こう言っていたかもしれない。
「養成所はやめるけど、俳優になるのをやめたわけじゃないから」

 それから5年後、僕は俳優になるのを諦めたのだが、その俳優になろうとした過程のおかけで、今、映像の仕事をしている。未来がどうなるのかは誰にもわからない。あれ以来、たつやにもえいこにもB子にもあったことはない。ただ、あの熱に浮かれたなんとも言えない日々が、今何かの糧にはなっているのだろうなと、勝手に願っている。


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