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それぞれの愛と恋のかたち 「姉の友人」を読んで

ばったんさん著のマンガ作品、「姉の友人」を読んだ。

LGBTQ当事者が読んでみて、というのがこの感想のベースになっていることを念頭に置いて読んでいただきたいので敢えて先に明言させてもらいたい。

 

 

Amazonで予約注文していた「姉の友人」が届いた。

シュル、とした肌触りの装丁に水彩の儚げで艶やかな印象のイラスト。イラストを引き立てる繊細なタイトルの入れ方に思わずため息が漏れた。

きっと僕が著者を知らなくても、思わず手に取りたくなるだろう。見たこともない誰かが書店でこの本に一目ぼれして、そのままレジに持っていくのを想像した。

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「好きな人」と言えなかったなっちゃん

 「姉の友人」は、

「姉の友人」 
「私の友人」 
「あたしの好きな人」 
「姉の友人-3 years later-」 
「AFTER」

以上の5話で構成されている。
「姉の友人」ではるりこ、「私の友人」ではなっちゃん、「あたしの好きな人」では今日子さん、「姉の友人-3 years later-」では少し成長したるりこ、「AFTER」はりゅうのすけをはじめとした今日子となっちゃん以外の3人のその後が描かれている。瑞々しく繊細に、それぞれの視点で描かれるものは紛れもない恋だった。

今日子が主人公でなっちゃんについて描かれたエピソードのタイトルは「あたしの好きな人」。それに対してなっちゃんは「私の友人」というタイトルだ。「あたしの好きな人」の中でなっちゃんは婚約者の鶴巻との打ち明け話をする中で、“小説家の女の人”を「その人のことがたぶん一生好き」と話した。彼女の指す“小説家の女の人”は今日子さんに違いはないけれど、それでも彼女は今日子さんのことを「私の友人」と表現する。

結局なっちゃんは、「異性愛者」の枠から手を伸ばすだけで、そこから出ようとすることが出来なかったんだと思う。そして同僚のりゅうのすけと結ばれる。

それがダメとか、ましてや今日子さんへの裏切りなんて僕は思わない。往々にして人は結ばれない相手に惹かれてしまうことがあるからだ。

けれどなっちゃんは、最後の一歩を踏み出せなかった。それはりゅうのすけに対しても彼女が正しく惹かれて恋をしていたからだと思う。逃げるためとかそういうことではなく。描かれない、語られない余白にはなっちゃんが今日子さんを選んだ際に付いて回る“世の中のこと”がある。それに対する覚悟はりゅうのすけとなら、男性との恋愛には不要なのだから。
…まぁでも、なっちゃんは今日子さんの気持ちに感づいていて、与えられる愛情に居心地よく過ごしていたし、逃げるというより「見ないようにしていた」側面はあるかもしれない。あくまで心地よかったのは、そのままの関係性だったというだけで。今日子さんがりゅうのすけに負けたとか負けないとかそういう問題ではない。

今日子さんが決定打を打つ前に、りゅうのすけに掠め取られてしまったようで物悲しくなるのは、きっと僕が今日子さんと同じ側の人間だからだろう。

 

 

手を伸ばしきれなかった今日子さん

今日子さんは、女性を愛することに戸惑いや恐怖感がない。女性を好きになる自分を「そういうものだ」と受け止めて生きている人なんだと思う。これが前述で「僕が今日子さんと同じ側の人間」と言った理由だ。

「私の友人」と表現するなっちゃんに対し、今日子さんは「あたしの好きな人」と彼女への想いを明言している。
その好意の種類を知っているのにりゅうのすけの元へ行ってしまう、ワザとダーツの的を外すなっちゃんはズルいと思った。でも今日子さんも、もしかしたら強引に彼女の手を引いて自分の側へと連れだしてしまう勇気がなかったのかもしれない。ゆっくり愛を育むうちに、向こうからこちら側に来てくれたら一番いいのだろうけど、そう上手くはいかなかった。
どちらが悪いということはなく、タイミングの問題だ。

「あたしが一番きらいなのは、いちばんほしいものが手に入らない あたし自身だ」

そう自分自身に対して認識する今日子さん。
作中で今日子さんが“ほしいもの”は直接的に描かれていない。

なっちゃんに対しても「手に入らない」とどこかで思っていたのだろうか。だからゆっくりと愛を育む他なかったのか。それとも、二人の世界には誰の介入もないと思いたかったのだろうか。そのどちらも、なのか。

彼女が欲しがったものは、おそらく愛だった。

 

 

るり子に重ねた僕の初恋の話

「姉の友人」でるりこのエピソードは3つ描かれている。書籍のタイトルにもなっている「姉の友人」でるり子は偶然再会した今日子さんに惹かれていく。少しずつ成長しようとする中学生の淡い想いが擽ったい。この本はそんな始まり方をする。

読み手には、今日子に対する彼女の感情が恋であると察することが出来る。
憧れの色の濃い、甘酸っぱくてちょっと切ない初恋。しかしるり子が自分の恋心に気付くのは、3年後である。

自分の前からも姿を消した今日子との、最初で最後のキスや、部屋でまどろんだり話し込んだひと時を、思い出の品と一緒に箱に仕舞い込んでしまっていたからだ。

そんなことある?気付くでしょ、と思うかもしれないけれど、実はこれは僕も経験がある。

 

小学校4年から中学1年の終わりまでの間、同じ地区の2つ年上のお姉さん(先輩)に僕はとても懐いていた。それまで年上ということもあって、同じ地区ではあったものの一緒に遊ぶことがなかった。
4年生から始まるクラブ活動で同じ「イラストクラブ」に所属したことがきっかけだった。

面白いマンガやゲームをたくさん知っていて、絵もうまい。どうやら勉強も出来るらしい。優しいからクラブでもおしゃべりしてくれて、地域のイベントでも会えば遊んでくれる。一人っ子の僕の憧れの的だった。

中学では追いかけるように同じブラスバンド部で、同じパートのトロンボーンを希望した。楽器もうまく、部長ともとても仲がいい、その時の部の中心人物。僕の憧れが明確になっていく。

先輩のように絵が上手くなりたい。楽器が上手くなりたい。楽しい話が出来る人になりたい。

先輩が卒業する時に、部員から一人一人に花束を贈る習慣があったのだけれど、僕は先輩に花束を渡す係に手を挙げる。恥ずかしかったけれど、どうしても僕から渡したかったのを覚えている。ブラスバンド部が入退場の演奏を務める卒業式では、泣きながら演奏した。

絵も楽器も上手くて、賢く聡明。いつも笑顔が眩しくて、楽しい話題の中心にいる。高い位置で括った長い黒髪が印象的な、よく笑う素敵な人だった。

そんな先輩のことを、数年前ふと思い出した。
何の前触れもなかったけれど、当時の自分の気持ちを丁寧に思い返すとあれは恋心だったのだな、と30を超えた今頃気付いた。
初めて女性に恋をしたのは、きっとあの頃のことだ。それでも小学生からの憧れに近いそれは、気付けるほど、熱いものではなかったのも事実だったと思う。
淡い、想いだった。

先輩の卒業以来、もう年齢の半分位の年月は会っていない。会ってどうなるとも考えないし、きれいな思い出にしておきたいから、また会いたいとも思わない。僕にはもっと大切にすべき今がある。

るりこが今日子さんに向ける視線を、僕は先輩に向けていたのかもしれないと読みながら考えた。

 

 

りゅうのすけにおもうこと

最終話「AFTER」で彼は、なっちゃんが「一生好きな人」が自店の贔屓客である今日子だと、気付いていると語る。なっちゃんを泣かせたくないからしない、とはいうものの心の中ではバラの棘のようにちくりと刺さるものがあるようだ。しかし、これは今日子が女性だからではないか、と少しだけ思う。

彼を悪く言う気は全くない。でも、もし「一生好きな人」が男性だったらあんなに納得できただろうか。一生好きでも、なっちゃんと今日子は結婚することが出来ない。だからそれほどの想いがあっても、彼を愛して選び、好意を向け、結婚したことをりゅうのすけはよくわかっている。
でももしも男だったら。もしくは、女性同士が結婚できる世界の話だったらどうだろう。「愛だから」と彼は割り切れただろうか。

悲しきかな、この世界だったから絶妙なバランスで複数の恋は成り立っている。とりわけ、りゅうのすけに関しては。

 

 

「姉の友人」を読んで

るりこ、なっちゃん、今日子、りゅうのすけ、今日子の友人と誰一人として本当の意味では恋が実っていない。るりこと今日子、今日子友人はもちろんだし、なっちゃんも「一生好きな人」とは結ばれなかった。りゅうのすけに至っては、愛する妻に「一生好きな人」がいることを知ってしまった上に、その相手の予想がついてしかも自分の顧客だった。それを踏まえて、彼女を愛していくことを選んだ。

誰一人として実っていない恋の物語ばかりなのに、どうしてこんなにも愛しいのだろう。

「女の子は二番目に好きな人と結婚した方が幸せになれる」と、幼いころ、どこかで聞いたことがある。なっちゃんはまさしくそれなのかもしれない。
きっとりゅうのすけは、なっちゃんを幸せにしてくれる男性だ。だって今日子とは、自分から踏み出す勇気がなかったんだから。勇気を出せない相手よりも、りゅうのすけの方が幸せになれると思う。好きとか好きじゃないとか、そういう問題ではない。

人生も恋も愛もきっと本当の意味で完璧に幸せになることは出来ない。どこかは美しく完璧に見えても、別のどこかでは綻びが生まれる。
しかし自分の考え方や解釈次第、向き合い方で、人は幸せになれる。
この本に出てくる登場人物はそれぞれ、思い描いた最高のそれではないかもしれないけれど、前を向いてその時得られる幸いをしっかり手にしていた。
終わり方も完全なハッピーエンドではないかもしれないけれど、それがいい。だって彼らはまだこの先もきっと幸せに向かって歩いていくのだから。だからまだエンドではない。きっと。そう思えた最終話だった。

うまくいかないことばかりだけれど、それでも生きていかなければならない僕たちのように。

 

 

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