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【by them更新のあとがき】僕が生きにくさを自覚したとき

はじめて自分の「生きにくさ」を言語化した時のことを覚えていますか?
僕は覚えています。

こんにちは、椎名です。
僕は身体は女性ですが心の性は定めていない、セクシャルマイノリティです。自分の性別やその他のことからいつからか「生きにくい」と考えていた時期が長らくありました。
今回の更新では、その生きにくさの中でも身体女性もしくは身体男性として生まれたことによる生きにくさ、体の性や社会的な性によっての生きにくさについて僕が思っていることを書かせていただきました。


男性客から卑猥な言葉をかけられて…男女の生きにくさと「性」への考え方

身体女性だからの一点が原因ではない(見た目が大人しそうだったとか)かもしれないけど、それなりに嫌な思いをしてきて辛かった。
記事内でちょっとだけ書いた露出狂は、平日白昼の人気のない公園で遭遇した。ちょうど昼食時。おもむろに下半身を露出した中年男性を見て驚き、恐怖よりも先に「もし自分でなく幼い子が被害にあったら」と瞬間湯沸かし器のように怒りが爆発した。ジブリのキャラクターが怒った時に毛が逆立つような、顔も頭もガッと熱くなるような怒りだった。幸い周りには自分と犯人以外誰もいなかったので、逃げるふりをして犯人が見える位置に隠れ、その場で通報して捕まえてもらった。怖いとか嫌だって感情がどっと押し寄せたのは、捕まえてもらってしばらくの怒りが去った後だったから、もしかしたらあれは一種の防衛本能だったのかもしれない。

当たり前だけれど男性すべてがそんな悪行を行うわけではないし、女性が生きにくさに声を上げやすくなった昨今はそれを耳にした男性が「男だって辛い」と言いたくなるのもわかる。男性はまだ声を上げにくいのかもしれない。
女も辛いし、男も辛い。なんならそれ以外の性も。みんな辛いからこそ、それぞれの辛さを少しでも取り除けるような世の中になっていってほしいと心から思います。



‥‥・*・‥……‥

僕が自分のことを「生きにくい」と自覚したのはいつだったか、この記事を書いた後に振り返ってみた。
思いのほか暗い話になってしまったので、注意です。今は元気で落ち込んでもいないので安心してください。心配しないでね。


物心ついたころには、自分の感じている性別と周りからの扱いになんとなく違和感があった。スカートや女の子らしいものが好きではないことに「なんで?」と問われる意味がよくわからなかった。
違和感は言語化できず違和感のまま僕は成長していき、中学に上がるころに違和感は「他者との違い」に変化した。どうやら僕は周りと何かが違うらしい。
男と女しか性別はないと思っていたその頃、少し年上の塾で一緒の男の子と交際をして、自分が女の子だとされることが急に怖くなりほんの数週間でお別れをしてしまった。そのあと女の子との交際も始めた。男の子の前では女の子でいなければいけないから怖い。女の子は怖くない。どんどん周囲の“同性”である女の子たちと自分の違いが大きくなっていく。自分が女の子も好きなことには悩まなかった。好きなものは好きだったから。可愛くて柔らかいものを嫌いな人はいないように思える。だけどその瞬間も僕の中にある性別は他の女の子たちとは絶対的に違っている気がしていた。
高校に上がると他者との違いはカースト下位にいたことも相まって、「他者との違い」は「お前らとは違う」という刺々しく痛々しいものに変わっていた。頑なな性格が災いして友達は少なくていいと本気で思って周囲に壁をつくっていた。
人と違うと割り切っているようで、実はそうでもなく相変わらず自分の性に名前がないことに悩んで、男性とも女性とも付き合った。しかしやっぱり上手くいかない。男性の前では女の子にならなければいけない気がして、でもなりきることなんかできなくてそれが嫌だった。

そうしてぐちゃぐちゃになりながら大学に進学。
進学のための上京直後に浅野いにおの作品と出会った。「虹ヶ原ホログラム」。
鬱屈とした世界観に、泣くような内容ではないのに涙が止まらなかった。帯だったかなにかの浅野いにおの紹介文に「生きにくさを表現」とあって、「ああ、僕はずっと生きにくかったんだ」と、初めて僕は僕の生きにくさを言葉にすることが出来た。

「生きにくいなぁ……」親に借りてもらった1Kの部屋でひとり、そう声に出したのを覚えている。

生きにくかった。ずっと。ずっと。

僕が感じていたものはこれだった。何と言っていいかずっとわからなかったけれど、僕はずっと生きにくかったんだ。


感じていたことを言語化してからの方が、自分で自分のことに納得がいくようになった。
その頃性別は男と女だけではなくその中間もあることを知った。(実は言葉としては知っていたけれど創作的なものだと勘違いしていた)

言語化して頭で理解できるようになると、少しずつ、何年もかかったけれど生きにくさを解消していけるようになった。
なんで生きにくいかを少しずつ紐解いて、絡まって団子になった糸をほぐして一本一本取り除いたり遠くへやったりした。

32歳の今、生きるのは難しいと相変わらず思うけれどあの頃ほどの生きにくさはない。

行きにくさを紐解いていったら自分の環境が案外悪くなかったことや、恵まれている部分もあったことも理解できたし、自分の持っている性質のようなものも見えてきた。

生きにくかった時期があってよかったなんて思えない。ない方がいい。
だけど悔いても仕方ないからと過去のものにする事ができたから、それで十分だと思う。
人として本当に未熟だし、直したほうがいいことは人よりも多い。課題が多いのだから、生きにくかった時期のことはその頃に置いてきた。たまにこうして振り返って忘れなければいい。
だからもし、同じく生きにくかった時期があってそれが尾を引いている人がいたら、荷物を過去に置いてこよう。過去のものにして今手の中にあるものや、これから手にするもののためにスペースを開けよう。
なかなか難しいから、ゆっくり。



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