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意味が分からないの傲慢

「意味分からない」
悪口っぽく、他人に向けて投げかけたことがありませんか?
私はあります。
実際の人間関係だったりテレビに出ている方に向けて
「あの人のやってること(言ってること)意味分からない」
って思うこと、正直、よくあります。

人間に向けてだけでなく、
勉強してても思います。
小学生や中学生の頃の私は、問題が解けないと、
「意味分からんんんんんーー」と癇癪をおこすような子でした。
親を相当困らせてしまいました。人一倍、意味分かりたい!って気持ちが強かったのは褒めるところでしょう。(運動能力と人間性では、学校での生存競争に勝てないと踏んでいて、勉強で勝負しようとしていたというのはまた別の話。)

また、映画や本を読み終わった後、私の親は「意味分かった?」と聞いてきました。私はその「意味分かった?」の意味が分かりませんでした。今でも、分かりません。「おもしろかった!」だけで、別にいいじゃありませんか。

そう、「意味が分かる」ということは実に抽象的な概念だったのです。

「意味が分からない」が悪口になるのは、
意味が分かってる自分が、その(意味が分からない)人よりも、ちょっと優位に立っているように振る舞えるから。と私は推測しました。
映画のあとのも、そう。大人が小さい子どもに対して、マウンティングしているように見えますね。

意味って分からないといけないのですか?
意味が分かっていると偉いんですか?

答えは、イエス。
といったほうが、正しいのかもしれない。

でも、私たちの周りには、いろんなことがあります。
小学校の教科ですらも、国語算数理科社会。それが細分化すると、古文漢文、微分積分三角関数、化学地学物理生物、政治経済歴史地理。さらに細分化したり、重なり合ったり…
これらを全て理解するのって、不可能じゃないですか。
時代が進むにつれて、学ぶことは増えていく。

いろんなことを知って理解していたほうが、きっと生きるのに便利かもしれない。うん、便利なのは間違いないと思ってる。
勉強するな、勉強しなくていい。って言っているわけじゃない。

ただただ。
世の中の全てを知ろうとする、
世の中のあらゆることの全てに「意味」を求めるのは、傲慢だとも思う。
分からないことがあるのは、当たり前。

分からないということを受け入れる。分からないことを楽しむ。
分からない自分を受け入れる。

無知の知。
大事なことだな、というありきたりなnoteでした。

ちなみに、
嫌いな人に出会ってしまったら、「よく分からない人だなあ」「こういう人なんだなあ」と受け流すことが出来るようになりました。
私はもう「意味分からんんんんんーー」と癇癪を起こしません。
他人は自分の思い通りにならない。
自分以外は、自分の思い通りにならないから。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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