見出し画像

学校は人間を育てるところか?(その2)~ 私は誰?

大学に入った私は、悶々としていました。生きる目的を失っていたのです。希望を持って入った、楽しいはずの大学生活は、私にとって、陰鬱なものでした。とりあえず皆がやるように、クラブ活動や英会話やバイトをして、なんとなく過ごしてはいたものの、私の心はいつも沈んでいました。

「何のために生きているの?」「自分がやりたいこと」って一体何?「私は誰?」
  そんな疑問がグルグル頭の中の同じ場所をまわりますが、行き着くところがないい。何をしていても生きている実感がなく、充実感がない幽霊のような日々。生きていることが怖い。うつ状態に陥り、拒食症になりかけていました。今まで、「これをやると良い」「これは認められる」に従ってずっと行動して来たので、自分が楽しいとか嬉しいと感じる力、自分で考える力が麻痺してしまっていたんです。今考えると恐ろしいことですが、自分が、自分からものすごく遠いところにいる、そんな感じでした。この時点で、私はすでに12年間学校に行っています。

「人間を育てる」ことになっている学校に行って、なぜ自分からこんなに離れてしまったのか?なぜ、自分のことがわからないのか?

学校では、習ったことが「身についている」ことが大事とされますが、その測り方は非常に具体的で融通性に欠け、成績や先生によって定められたゴールが達成できたことイコール身についたこと、成長になります。親であれ、先生であれ、誰かを満足させること=人間としての成長。「あなたはこれを学ぶことによって、人間として内面がどれだけ変わりましたか?」とか、「世界を感じとる直感力はつきましたか?」とか、ということは、間違っても聞かれません。本音なんて言うものはどこかへ飛んでいってしまって、生徒は仮面を被り続けます。良い成績を取ることのプレッシャーに駆り立てられる教育では、楽しんで、消化して、想像を広げて、という独創的な時間が尊重されにくいですし、知識や経験への好奇心や、物事を深く統合的に突き詰めるスキル、自分自身、自分の住む世界を360度で見る視点、感受性など、人間のサバイバルに欠かせない能力は育ちにくいでしょう。私は、受験一色の高校までの教育にも、ガスが抜けたようなつかみどころのない大学の教育にも失望し、もっと深いものを求めていました。(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?