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中編小説 川詣でーかわもうでー(2)

はじめに

 祖母が、かつて不思議な話を聞かせてくれました。戦時中、女学生の間で語られた哀しい話。「その時ね、しっかりと懐に抱きかかえていたはずの御札が、川を流れていって・・・・・・」。その話を、どこかに書き留めておきたくて、虚構を織り交ぜながら書き下ろした「川詣で」の第二話です。第一話から読みたい方はこちらからどうぞ。

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「暗い中、歩いて初詣に行ったんだ。都会ってそういうのはないと思ってた」不意に一希が口を開いた。”正月はおじさんの家で過ごす”、そう言って、泰子にとっては弟にあたる”叔父さん”の元へ旅立ち、そして帰ってきた日のことだった。

「家を出た時には、俺らだけかと思ってたけど、神社は行列で。並んでたら、叔父さんが昔聞いた話だよって。」

「川の真ん中に神社があったんだって。女の人が内緒でお参りに行くんだ。でも帰り道、お札が川に流れてしまった。その女の人はお母さんなんだ、赤紙が来た息子の。だからお札を求めたはずなのに。結局息子は帰ってこなかった。その母親は、きっと一生自分を……」

 ふいに母が口を開いた。「ああ。あれは」。一希の言葉が遮られ、はっとふたりで母の顔を見つめた。続いてうめくような声。喉の奥がくっついてしまったようだった。「……いっぱい水を飲んで。流れに……まくれちゃってね。お札が。手が、届かんくて」。

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川詣でーかわもうでー(2)

音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ

 年が明けてからの三日間は長かった。「正月は叔父さんの家で過ごす」。十二月に入ってからそう言ってきた息子は、冬期補習が終わった日に、神奈川へと旅立った。チケットは横浜に住む弟があらかじめ取っていたらしい。

 あまり会話をしなくなっていたとはいえ、息子がいないと家がいっそう静まり返っているように感じる。広さも長さもそうだ。一希(かずき)のぶん、ぽっかりと空いてしまった家をどことなくもてあまし、正月料理も手の込んだものを作る気にはならなくて、泰子の時間はどんどん引き延ばされていくようだった。年があらたまるとその思いはさらに強まり、気ぜわしさからは解き放たれたものの、それでいて日常が戻ってくるのを待ちわびて落ち着かないような、そんな日々がのろのろと過ぎていった。

 一月四日。夫は仕事はじめ。一希もこの日に戻ってくることになっていた。泰子はいつも通りの家事をしながらもわずかながら張り合いが生まれているのを感じた。いつになく頻繁に携帯に連絡が舞い込んでくるのを待つ。
「予定通り」。メールを合図に迎えに行った。駅前に空港からのシャトルバスがつく。他の乗客とともに吐き出された一希は、やはり、にこりともしないまま後部座席に滑り込んできた。外には、みぞれが降っていた。

 冬は家族をひとところに集める。こたつの三辺に三代がこもって、母、息子、そして私。相変わらずむっつりとした一希の横顔を眺めながら、泰子はぼんやりと考えていた。幼い頃は、みかんを剥いてやった。小学校からは、せんべいに手が伸びるようになって、あれは、汗をかくからだろうか。でも、野球をやめたら、こたつの上の盆は、減らなくなった。

 残ったら自分が食べればいい、そう割り切ってみかんを三つ剥く。一つは、息子に。一つは、母に。もう一つは、申し訳のため。

「暗い中、歩いて初詣に行ったんだ。都会ってそういうのはないと思ってた」不意に一希が口を開いた。「真夜中に出たの」泰子は自分の元旦に思いをはせる。日の出を認めてから年賀状を仕分け、おせちとお雑煮を準備した。それから夫の車で母と一緒に出かけた。

「家を出た時には、俺らだけかと思ってたけど、神社は行列で。並んでたら、叔父さんが昔聞いた話だよって。」

 夜なかに参ったのは、何十年前が最後だろう。それは亡き父の習慣だった。テレビで流れる鐘の音を合図にマフラーを巻く。子どもにとっては、大切な冒険でもあった。弟はそれを思い出して、一希と出かけたのだろう。

「川の真ん中に神社があったんだって。女の人が内緒でお参りに行くんだ。でも帰り道、お札が川に流れてしまった。その女の人はお母さんなんだ、赤紙が来た息子の。だからお札を求めたはずなのに。結局息子は帰ってこなかった。その母親は、きっと一生自分を……」

 ふいに母が口を開いた。「ああ。あれは」。一希の言葉が遮られ、はっとふたりで母の顔を見つめた。続いてうめくような声。喉の奥がくっついてしまったようだった。「……いっぱい水を飲んで。流れに……まくれちゃってね。お札が。手が、届かんくて」。

 しばらく、無言のときが流れた。母はぼんやりと欄間を見つめている。泰子もまた、喉が貼り付いたような息苦しさを感じていた。

「ねえ、それ」乾いた息子の声がした。「ちょうだい」言うや、みかんを口に放る。泰子はみかんを剥いた。母の言葉を心でなぞる。なぞってはみかんを、剥き続けた。

 聞いたことがある。お盆の親せき会や法事、祖父母と同じ年の頃の白髪頭たちが集まったとき「お札が流れたとね。」泰子にとっては昔話とさして変わらないものだった。泰子が大人になって、白髪頭たちも、さらに歳を重ねて、「どれほど自分を責めただらか」「かわいそうに」。言葉に臨場感が増す。きっと、記憶の古いと新しいとの間にあった段々が、年とともに削れてしまったのだ。白い壁に閉じ込められてしまった、均質的な記憶。そう思えば思うほど、泰子には、年老いてしわがれた声で妙にありありと語られる「秘密のお参り」が、はるか遠い日の出来事、まるで一つのおとぎ話のように、感じられていたのだった。

 その日が境だったのかどうかは定かではない。定かではないが、あれから母は、以前にも増してぼんやりすることが多くなったようだった。それでいて、口数は増えた。新聞を見ては「戦況が載らないねえ。思わしくないのかねえ」「やれ上海だ、南京陥落だなんて、そればっかりだったのに、支那事変のあとからは……兄さまはどこでお勤めなのかね」。泰子や一希に語り掛けているのか、それとも一人語りなのか、夢の中の言葉のような淡淡(あわあわ)とした声が、断続的にキヨ子の口から洩れるようになっていった。
記憶の段々が、無くなっている。あの団らんに、削り取られてしまった。母は川を渡っていた。お札が流れるのを見、それを胸にしまって生きてきたのだ。知らなかった痛みに触れてしまった。一希も泰子も、言葉を失っていた。

 キヨ子は新聞を見つめていた。一面で報じられていた日本軍の活躍が、もう載っていない。兄が出征した時は松江駅まで見送りに行った。雪の道だった。雨靴はみぞれを吸いこんで、重たくなっていた。「六三連隊」という言葉は知っていたが、どこに配属されるかは知らなかった。誰も、知らなかった。兄は、どこに行ってしまったのだろう。(続)

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ここまでお読みいただきありがとうございました。次の話は来週公開です。


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