「鬱」と病気について思うこと
私は、思えば10年以上も「鬱」と生きている気がします……。
そして、ここ数年は、おそらくその「鬱」が原因で眠れなかったりご飯が食べれなかったりという経験もしていて。
今月、ついには仕事を1,2カ月ほど休もうと決意し職場に相談しました。
(単に体がきついとしか言ってないけど……(笑)。)
そんな私が、『「鬱」と病気について』かねてから感じていることを少し、ここに吐き出してみたいと思います。
とはいえ、私は精神医学について全くの素人です。
鬱と生きてきた経験は10年以上もあると考えていますが、それも含めてあくまで素人の考えです。
これはそんな、無知で無学で無教養に富んだ高卒アルバイトの戯言です――。
序.「鬱」を辞書で引く
まずは、「鬱」とはなんであるかを簡単に確認してみようと思います。
どうでしょうか?
みなさんのイメージと大きな違いはないでしょうか。
私は、これから書こうと思っていたことがまんま「Wikipedia」によって要約されてしまっていて、どうしようと思いました……。
が、せっかくなので書き進めていきたいと思います。
これは思いの吐露、愚痴のようなものなので……。
1.「鬱」という症状
あくまで私が個人的に思っていることなのですが――。
「憂鬱」とは“咳”や“くしゃみ”みたいに、健康な人にも日常的に出ることがある「症状」だと思っています。
(正確に言うのなら病気ではないので「反応」と言うべきなのでしょうが)
健康的な“咳”や“くしゃみ”、と言われると違和感のある方もいらっしゃるかもしれませんが……。
食べ物や唾などでむせたり(“咳”)、気温差や埃などで“くしゃみ”をしたり、ほかにも熱い物を食べて“鼻水”が出たり、何かが当たって“痛み”を感じるなんてことは、病気じゃなくてもあると思います
ふだん、そういう「反応」が病気の時の「症状」と重なることを意識していないと、違和感があるかもしれませんが……。
「症状がある=病気」ではないんですね。
(正確に言うのなら、病気の時だけ“咳”や“くしゃみ”という「反応」を「症状」と呼ぶはずなので、おかしなことになってしまいますが……。
厳密に線を引こうとすると難しかったりもしますし……。
なんにせよ、ここでは「憂鬱」そのものは必ずしも病気じゃないよね、ということを言っています。)
また、これらの「症状」は“アレルギー”や単に“体質”などの個人差によって出やすい人もいると思います。
ですが、それを必ずしも病気(≒持病)として意識している人ばかりでなく、正常な範囲内でのものと捉えて日常生活を送っている方も多いように思います。
なので、「憂鬱」というものは必ずしも病気によるものではないと、私は思っています。
ですが、重度の「憂鬱」は“高熱(≒発熱)”や“嘔吐”のように、健康とは感じられないレベルのものになると思います。
それでもやっぱりそれは「症状」であって、病気そのものではない、というのが私の捉え方です。
そして、私は便宜上、健康の範疇を越えた重度の「憂鬱」を症状として扱う時、「抑鬱」と呼んでいます。
では、この「抑鬱」の症状がある病気とはなんでしょう?
2.「鬱」のある「病気」の名前は?
「抑鬱」の症状がある病気とはなんでしょう?
多くの方は「鬱病」と答えるのではないでしょうか?
もちろんそれも正解だと思います。
「鬱病」は読んで字の如く「抑鬱」が主な原因や症状となる病気なはずですから、それは当然のことだと思います。
「鬱病」は「鬱」と略されますし、鬱の病気といえば鬱病でしょう。
そして、多くの方のイメージだと「病気の鬱=鬱病」なのではないかなと私は感じています。
つまり、「鬱なら鬱病でしょ?」と思われているんじゃないかと……。
ですが、「抑鬱」の症状がある病気は「鬱病」だけではないと私は捉えています。
例えば「双極性障害(躁鬱病)」は重なる部分もあるけれど違う病気として扱われ、処方される薬も大きくことなるはずです。
「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」にも抑鬱はありますが、原因によってハッキリ区別され、原因に重きを置いた治療が主なはずです。
もちろん、これらの病気が「鬱病」と併発することもあるはずですが。
必ずしも「病気の鬱=鬱病」、つまり「抑鬱」の症状がある病気ならば「鬱病」とは限らないと私は捉えています。
3.「鬱病」は便宜的な総称?
私は、少なくとも現状「鬱病」という病名が便宜的な総称として扱われているという側面が大きいように感じています。
もちろん、私は精神医療の現場に携わっていないので、あくまで部外者が外側にいて主観的に感じていることなのですが……。
まず、多くの一般的な人は「鬱なら鬱病でしょ?」というイメージをもっていのだろうなと思っていて。
あるていど知識のある人でも、「抑鬱」の症状があって、他の病気に当てはまらないなら「鬱病」と判断するところがあるのではないかなと思うのです。
もちろん、後者に関しては、そういった受け皿としての分類があること自体を悪いことだとは思いません。
“高熱”の症状があれば、体への負担が大きいので“解熱”という治療をほどこすことが必要になるはずで、その方法は多くの場合おおむね同じようなものになると思うからです。
ですから、そこは便宜上「高熱病」という大分類につっこんで治療に当たっても、まず問題はないだろうとは思うのです。
しかし、その原因が漠然としていると、病気そのものの治療においてはよくない可能性があると思います。
“解熱”という対処療法をほどこしただけで、その間に病気自体も治ってくれればよいですが、全ての病気がそう上手くいくとは限らないはずです。
そして、対処療法をしているだけで病気が治らない時。その原因が“細菌やウイルスなどの感染”なのか“臓器自体の異常”なのかなど、もっと詳細に病気を把握しなければ、効果的な治療はわからないと思うのです。
ですから、「高熱病」として扱うこと自体は悪くなくても、その病名はあくまでも便宜上の分類でしかないという前提を意識することが重要になってくると思うのです。
そして、「鬱なら鬱病でしょ?」という一般的なイメージが、「抑鬱」との向き合い方を単純化させてしまい、かえって苦しんでいる人もたくさんいらっしゃるのではないかなという気がするのです。
もちろん、それを払拭するための課題は多くあると思いますし、あちらを立てればこちらが立たずというところがたくさんあると思うので。
この場で「こいつが悪い!」だとか「こうするべき!」などといった視野を絞った主張をする気はないのですが……。
私は日常生活に支障が出るほど「抑鬱」に苦しんでいるものの、鬱病を始めどの病気もしっくりこないと感じていて……。
こんな風に思っているということを吐露したかっただけに過ぎないのです。ただの愚痴、戯言でした……。
まとめ
私が個人的に感じていること――。
ヒトが憂鬱になる理由は、ひとそれぞれだと思います。
そしてそれは一つではなく、色んなことが合わさった複合的なもので、それは絶えず変動するものだと思います。
なぜならヒトは、それぞれ違う生まれで、違う経験をし、違う考えをもち、今を生きている「個」であるはずだからです。
そんな無数の「個」が「今」を重ね合って生きていると、その当たり前のことを忘れてしまいがちで、忘れた方が楽な時も多いようにも感じますが……。
それでもやっぱり、それは大事なことだと、私は思っています。
全ての「あなた」がそれぞれの「鬱」をかかえているだろう、この世界で。
あなたがあなたにとって最も望ましい「鬱」との向き合い方を模索していって頂けたらいいなと、そしてそれがうまくいくといいなと、勝手なことを私は思っています。
読んで下さり、ありがとうございます。
不快だった方、申し訳ございません。
あなたの人生が、幸せなものでありますように――。
木村直輝
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憂鬱をネタにして生きています。
うつろな小宇宙で今日も
ある女性の憂鬱を綴った短編
(1,918文字)