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【NOVEL】体躯の日 第1話

【あらすじ】
気弱で、言い訳の多い青年は、就職活動のため田舎から都会にしぶしぶ出てきた。前日、適当なビジネスホテルで前泊したが、その緊張からか、何度も目が覚めてしまう。二度寝、三度寝を繰り返し、ようやく起きようとするが、部屋の様子に違和感を抱く。やがて、自分の身体の異変に気が付き、慌てていると、洗面所の扉が開くのだった…

 ベッドスタンドの間接照明は、夜の灯火となって俺の顔を照らしていたのだろう。黄色灯が煩わしかったのか、それとも、慣れない寝床で眠りが浅かったのか。どちらでも良いが、未明の目覚めはもったいない。今日の天気はどうであろうかと頭を起こすが、縦窓から見える外の様子はぼやけてしまう。俺はひどい近眼だ。
 外へ耳を澄ますと、かすかに雨音が聞こえて来る。ついていない。朝上がりすれば良いが、このままでは気分が塞ぎ込んでしまう。空模様に気持ちが左右されやすい性分、せめて今日の午前中は快晴になっていて欲しい。もし、このまま雨が続くのであれば、道中、背広を汚す恐れがある。ウールは雨に濡らさぬよう、母が小言を言っていたな。まぁ、コンビニでビニール傘でも買っていけば良い。
 とにかく今日なのだ!明日明後日、この都市が近来に無い土砂降りに遭っても構わない。その頃には、俺はこの街から遠く離れた地元へ帰っているのだから。
 それにしても、ホテルにある間接照明というのは、どうもあざとく感じてしまう。枕元のつまみの調光装置は、程よく光を整えることが出来るので、持て成しの配慮に優れた機能と一見感じる。けれど、手元の光を調節するくらいであれば、俺は灯りをとっくに消している。そもそも、調節出来るのであれば、最初からスイッチ一つで、全人類が快適と思える光の度合いで照らしてくれれば良いのだ。オンとオフで良いところをこうも工夫されてしまうから、点けっぱなしで寝てしまうのだ、まったく。
 大した不都合が無くとも、目に留まったものに俺は文句を付ける。布団の足元にある、帯の用途が未だによく分からない。床へ追いやってしまった。ビジネスホテルにおいて、宿泊客が部屋に入った際、まず目に留まるのは、ベッドということだ。その見栄えが大切なのであろう。まぁ、社会のしの字も知らないので知ったことではないが、このような心遣いによって利潤に差が出る現代社会に、俺は適応出来そうも無い。
 日頃、そんな心持で面接室のドアをノックしているから、顔の印象が悪いのだ。今日、受験者は何人いるだろうか。面接は個別形式だろうか。集団面接は駄目だ…自分こそはと下手に勇み立ってしまい、空回りしてしまう。理想は面接官二人、受験者一人の二対一形式。二人のうち一人は、虫も殺せないような、温和な表情で受け答えをしてくれる、くまのぷーさん型の中年が良い。もう一人は、会社への帰属意識が高そうなインテリ気質で、自分が知識層であることを自負していそうな、就活生に厳しめな質問を飛ばしてくる細身でカマキリのようなきつい男。そうすることで、心理的に調和が取れる気がする。経験上、どちらもぷーさんだと油断してしまい、こちらも要らぬことを言ってしまう恐れがある。かと言って、両方カマキリだと圧迫されているようで、面接中、脂汗しか出てこない。
 考え得る最高の状態は…いや、そんなことを期待したところで、事は明らかにならない。心配性は昔からだ。勝手な理想と同時に、予期せぬリスクが想定され、不安も頭の中でぽっと浮かんでしまい、結局のところ、理想と不安が一対一対応である。
 おそらく、試験会場は、味気の無い武骨な雑居ビルだ。一階の受付付近にある「面接会場はこちら↓」といった立て看板の案内に従う。日差しが幾分足りない薄暗い廊下を進み、突当りに並んでいるオフィスチェアが3つ4つある。そこに座る俺と同い年の連中は、背筋をぴんと伸ばして座っており、時間が経つと運命に抗うこともなく、隣にある部屋へ吸い込まれて行くはずだ。
 気持ちの面を考えると、もっと下準備をしておくべきだった。条件が異なっていても、俺が思い描いている情景は、他社の入社試験と何ら変わらない。同じであれば今回も同様、不合格通知が届いてしまうのではないのかと、自分で自分が頼り無くなってしまうのだった。
 普段から心配癖と面倒臭がりが相俟っている。昨日、試験会場を下見する時間はあったが、都心の雑踏を見るや否や、気持ちの余裕は無くなってしまった。というより、昨日の夕方から天気が下り坂であったし、それに加え、携帯電話の充電が必要だった。要するに、具合が悪いといったこじつけを自分にしてしまったのだ。
 その結果が今現在である。夜中に目を覚まして枕の縫い目を数えるようになったのは、いよいよ心の病という奴だ。眠りが浅いわけでも無かったのだが、夜がすっかり明けきらないのに目が覚めたということは、やはり当日になって怖気付いている証拠でもある。
 社会人になった友人から、現場の話を聞いてもロクなものではない。しかし、就職が出来なくては世間体が立たない。詰まる所、仕事をする理由はそれに尽きる。とは言うものの、不本意な場合、俺は顔に出てしまうだろう。何にせよ、学生というステイタスが失われてしまったら、俺は生き生きと人生をほめたたえることなんて到底出来やしない。
 そうだ、寝るのが良い!寝てしまえ!なるようになるという精神の元で生きていられる程、甘く無いことは分かっている。だが、もう、どうしようもないじゃないか。時間が矢のように過ぎて行くのを止められやしない。止められないなら尚更、心が結ぼれつつあるこの情況を、目をぱちぱちさせて味わう必要も無いのだ。
 掛け布団から嫌々伸び出た俺の右手は、手探りでつまみをひねり、灯りを消した。
 薄暗い空の下、立ち並ぶビルにはガスが掛かっており、鬱屈した心情と似ていたのだろう。加えて、季節外れの寒気の影響で肌寒いと来たら、外出なんて、暗黙の禁止事項みたいなものである。
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 陽が出たのであろう、東向きの建物は,、腰窓からたっぷり日差しを浴びるので、目覚ましに丁度良かった。これは幸いだった。だが、二度寝をしても気が重いことには、ちっとも変わらない。
 雨雲の間から光が差し込み、まるでヤコブの梯子のようだった。晴れ間が広がるのは、願ったり叶ったりである。が、暗灰色に広がっていた斑の無い空の一様は、その光の差し込み具合に不気味さを感じてしまう。厚い雲の背後から延びる薄明な光のさすすじは、普段であれば、心配や悩みを照らし、気持ちをすっきりさせてくれる。大げさな言い方をしてしまえば、新たな時代の幕開けを、美しい自然現象として拝むことだってあれば、写真に収めてしまいたい瞬間でもある。
 結局のところ、悪天候が原因で、気を塞いでしまうというのは言い訳だった。顔に射す陽が、朝の俺を勇気付けている気がして、いつまでもごろごろしているわけにはいかない。だが、流れた時間を振り返ってみろ!あの時、一思いにベッドから起き上がり、洗面所へ向かう気力があっても良かったのではないか?東方に立ち並ぶビル街の隙間から、雨雲を押しのけるように登り来る太陽を遠望していれば、それに伴って俺の気持ちも晴れ渡っていたのではないか?往生際悪くとも、気持ちの整理は出来たのではないかと、二度寝した朝に後悔する。
 試験会場は…地図を見る限り大した距離ではないが、油断は出来ない。土地勘が無いのが何より怖い。
 都心に来てまず感じたことは、地図に記載されている交通ルートの現存が怪しいということだ。あちらこちら絶えず工事が進んでいる。田舎者の俺からしてみれば、まだまだ使えるのにどこを直す必要があるのだと思ってしまう。だが、工事に対するその補修観念が田舎者丸出しなのかもしれない。彼らは「手入れ」が目的で建築に肉体を働かせているのでは無い。利便性を重視させ、効率良く人を流すために、まず頭脳を働かせており、以前にも増して小奇麗でいけ好かない街にしていくのさ。老朽化なんて騒がれるのは、きっと地方の財政事情が関係している。こんな大都会であれば、お金だってじゃぶじゃぶ使えるはずなのさ。いかにも皮肉を込めた言い方になってしまったが、きっと首都という面目をつなぎ持つのも大変なはずだ。であれば尚更、こぞって競って高いビルに立て直し、駅は近代的に様変わりさせるのが都会的道理ってもんさ。
 まぁ文句を言っておきながら、ここへ来て働き口を求めてしまっている。この街並みに対して、心穏やかでない俺の理由はまだまだたくさんあるが、そんなひねくれた推測はこの辺にしておこう。
 ベッド上で仰向けのまま眼をぎょろぎょろしていると、天井の黄ばみが目に付くようになってくる。今更だが、禁煙室が空いているホテルを予約するべきであった。試験会場との兼ね合いもあって、このホテルの喫煙室で妥協してしまったが、このままだと背広に古い煙草の臭いが付いてしまう。
 面接中、自分の身体から気に染まない臭いが漂っていたら、受け答えに影響してしまいそうだ。ただでさえ、見知らぬ土地に来て前泊しているので、やはり気持ちは下がったままである。寝床が変わると、どうしても寝付きと寝相が悪くなってしまう。このままでは寝起きも芳しくない。だが、幼稚な言い訳はもう通用しないぞ。内定を一つももらえないまま、ここに来て就職活動が頭打ちになってしまっては、それはもう精神的に限界である。
 俺は、ベッドから少し這い出て、ナイトテーブルのデジタル時計を確認すると、時刻は六時四十八分を指していた。これをまだまだ余裕と受け取っていいのか、不本意にも起き上がらなくてはいけない状況なのか、それは俺の身体と相談する必要がある。
 …待てよ、面接は十時半から開始だ。パンクチャルな自分。というより、ただの臆病者なだけなのだが、このままベッドで思い耽っている場合ではないぞ。朝食バイキングの時間を考慮すれば、そろそろこの固いベッドから身体を起こし、落ち着かないユニットバスで小便した後、寝癖を直す時間になるはずだ。朝の身形は、軽く整えるだけで良い。確か、1階のレストランが朝食会場だ。食事を済ませ、すぐ部屋へ戻って来るのだ。ビジネスホテルのバイキングとなれば、出張のため前泊しているサラリーマンや年配の夫婦、登山客など、平日のホテルの朝はそんな客層だ。取り繕う必要は無い。毛玉の付いたよれよれの寝間着で、朝食をとる客もいるはずだ。
 掛け布団にくるまっていた俺は、着ている鼠色のスウェットに、変な染みが付いていないか一応確認した。
 だが、朝食のサービス券を使うにも億劫だな。俺は決して、一人でご飯を食べる行為に気が進まないということでは無い。そもそも、宿泊代の内訳など開示されていない。朝食で客の便宜を図っているのかと思うと、あまのじゃくな俺は却って遠慮してしまう。
 それに、朝の身体にわざわざ鞭打って、会場へ出向くのはいくらか勿体無い。俺は低血糖低血圧な人間、朝にはめっぽう弱い。起きた身体に朝食を与えるのは分かるが、朝飯を食べるために早起きするのは、少々手段と目的をはき違えている気がする。
 いやいや待てよ、そういえば来る途中、ホテルの向かいにMをあしらった袋文字のロゴマークの看板があったな。もう少し、このベッドでこうして現実逃避をしているのも悪くない。八時過ぎたあたりで起床して、その後、背広に着替えてチェックアウトをする。その足であのファストフードへ入店し、朝のモーニングセットを注文する。そこで一時間程のんびりした後、試験会場へ向かう。朝から外食とは値段が張ってしまうが、それも悪くはない。何せ、今の胃袋は、朝食が入る雰囲気ではない。全然腹が減っていない状況で、ほんのり焼き目を入れたトーストにバターをたっぷり乗せ、ベーコンに乗ったアツアツの目玉焼きにフレッシュサラダとホットミルク、食後には新聞を片手にブレンドコーヒーを啜る。バイキングの定番メニューは、学生の俺からしてみれば至れり尽くせりといった感じだが、それらが急に口へ入って来られても、そりゃ寝起きの内臓たちは迷惑なはずだ。
 そうだ、やはり朝食はハンバーガーにしよう!そうすることで、俺はもう少し妄想に心を注ぐことが出来るし、朝のファストフード店には新鮮さを感じる。もう少しの間、俺はこの快適な羽毛布団にくるまって、世間から見放されていても構わないのだ!
 念のため俺は、携帯電話でタイマーをセットしたが、その時刻よりも早く起きる自信があった。なぜなら、こうして自得させたことには一度として誠実さが感じられなかったし、あくまでも怠惰な、横着を決め込んだ姿勢にいつも罪悪感があったからである。それを分かった上でやるのも、俺の生まれついての性質であった。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」なんて論語に記載されていたが、俺はその典型である。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

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