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【NOVEL】体躯の日 第7話

 まったく、俺の身体のくせに舐めた真似をしてくれたな。あいつは、自分が世間で如何に異端な存在であるかを分かっていないのだ。この時間帯であれば、バイキングの会場は宿泊客でそれなりに混んでいる。配膳台で首の無い背広の男が、平然と自分の茶碗にご飯を装っていたら、会場の寝ぼけ眼は、一斉に珍獣を見るような目になってしまうであろう。
 そもそも、一階の会場へ無事に辿り着けるだろうか?会場へ向かう途中、騒ぎになる可能性はいくらだってあるのだ。
廊下で若い女と擦れ違ってみろ。それこそ悲鳴を上げられてしまう。するとどうであろう、廊下の騒動を聞いて、部屋の扉はあちらこちら開き出してしまい、瞬く間に騒ぎは大きくなってしまう。悲鳴は悲鳴の連鎖を呼び、この階層、混乱は免れない。ましてや、エレベータで相乗りなんて出来やしない。あんなのが乗っていたら、お先どうぞなんて遠慮される話ではないぞ、まったく。
 まてよ、あいつが起こした騒動は、行く末は俺もその当事者になってしまうのではないか。すると、どうなる?それこそ、これが警察沙汰になれば、面接試験の話は無くなりかねないぞ。ただでさえ浪人生を経て、かつ大学で留年までしてしまったのだ。周りの連中と比べると、俺は二年のブランクがある。履歴書に記載されている無記入の空白期を見て、眉間に皺を寄せる面接官にはこちらだって辟易しているのだ。
 どんな言い訳をしたところで、面接日の変更を頼める立場では無い。そんなことを、当日になってお願いでもしたら、先方に「約束を守れない奴に社会人が務まるか!」と、ぐうの音も出ない正論を言われ、電話を切られてしまう。
 駆け付けたホテルマンは、あの奇怪な姿を見て、一旦後退りするも警察に即通報してしまうのであろう。俺のことだから暴れ出す恐れは無いにしても、急を要することだと、勘違いされたらどう事情を説明するつもりだ?財布…運転免許証か!でもまてよ、それを証明する肝心な頭部はここにあるのだ。駆け付けた警察官に、それを見せて奴はどう弁明するつもりだ?「顔写真の“こいつ”は部屋に置いてきています」と突拍子も無い理由で切り抜けられる訳が無いぞ。警察らに証明を求められても、その場での実証は不可能である。
 とすると、あいつのアイデンティティーはやはり俺である。二十三歳、就職活動中の男であり、それが今日、面接試験のために東京へやって来たという実証は、俺がいなくては絶対出来無いはずだ。あいつにだってそのくらいの想定は出来る。もし既に、誰かに見られていても、フォローの余地はいくらでもある。
 人々を騒がすような事件の引き金になってしまったことで、奴は慌てて戻って来るであろう。そして「やはりお前が必要だ!」と俺に嘆願してくるに違いない。騒動になってからでは、はっきり言って遅いのだが、奴が部屋の外へ出て行ったからには、この際仕方が無い。己の存在が、世間に認められていないということを、自らの奔放な行為によって理解する良い機会だ。不服ではあるが、泣き付いてくる奴に、俺は心を大きくして迎え入れるとしよう。
 首だけの俺は、カラスがひょこひょこと地面を歩くように、首の力を使ってベッドの上を進むことで、上手い具合に床へ降り立った。目線は歩く猫と同じくらいなのだろう。普段の高さからでは気付きにくいが、ベージュのタイルカーペットにある細かな髪の毛や埃が目に留まった。後は、だるまがごろごろ転がるように、玄関下まで向かうのだが、俺が自力で移動出来るのはこの扉までだ。
 そうだ、あいつは俺に、留守を頼んで出て行ったのだった。戸当たりで扉を止めてない。困ったもので、見上げた先にある金属のドアノブは、たった1メートル程なのだが、どうしようもない距離に感じてしまう。普段、あれを容易にひねって開閉していたなんて、四肢の無い今の俺には、到底出来っこない。もしドアノブに届いたとしても、不幸なことに当ホテルはレバータイプでは無い。あれを回して扉を押し出す力は無い。好奇心のままベッドから降り立ってしまったことに、それが軽はずみな行いだとふと気が付いた。再びベッドへ這い上がることだって出来やしない。この首が、猫の足のように十分な脚力を持ち合わせていれば良いのだが、むしろ頭を支える筋力が足りないのであろう。首筋が疲れて仕方が無い。まるで、重い荷物を持つ腕のように、前腕にじわりじわりと乳酸が溜まっていくような感覚を首元で味わうくらいならば、枕の上にいた方が見栄えにしてもまだ良かった。
 どうも俺は、不足な面に意識がいってしまう。そんなことでは、帰って来る奴に再びのびのびと行動されてしまうのではないか。
 奴の言っていることは節々理解に苦しむが、朝の行いを思い返せば、要するに俺の代わりに身支度をして朝食を食べに行っている。日課となるのであろう朝の面倒事は奴がやってくれている。案外、これは悪いことではないぞ。そうだ、この事態が良い方向に変わることだってある。俺のことだ、あれだけ得手勝手なことを言ってはいたが、おそらく会場の隅っこの目立たぬ席で食事を取るであろう。外に出た以上、それくらいの配慮は出来るはずだ。奴は、平然と生首になっている俺を目の前にしても驚く素振を見せなかった。つまり、奴は自分が異端であることも分かった上で玄関を出ている。であれば、その配慮に欠くはずがない。
 俺は食にこだわりが無い。あいつが何を食って来ても、俺はその胃袋に満足出来る自信がある。当初、朝食を食べに行くことすら面倒であった手前、お蔭で手間が省けたってものだ。
 身形にしてもそうだ。首が無いくせに、あいつはネクタイの結び目もしっかりさせていた。あのネクタイにせよ、俺はどうも背広の着こなしが下手で堪らなかった。代替にしては上出来で、むしろ背筋が伸びている印象であった。朝の身支度はあいつに任せておけば、今後の快適なベッドライフが望めるのではないか?むしろその方が、人生が好転していく予感がする。
 後は、寝坊助の俺が洗面台へ向かい、ぼさぼさになっているであろう寝癖を直し、目やにを取って、顎にざらざらと纏廻り付くひげを剃ってしまえば、朝の時間に余裕を持てる。なんと都合の良いことであろう!要するに、あいつは、怠け者の俺のために時間の効率化を図ってくれていたのである。それを実現させるための第一歩だったのではないか。
 だとすると、さっきは強く当たり過ぎたな。戻って来たら、もう少し友好的に接しないと駄目だ。そもそも、あれとは文字通り一心同体であったのだ。仲違いをする必要は無いじゃないか。二十三年間、連れ添った仲という感覚も無いが、そもそも以心伝心のつもりでやっていたわけだ。なるほど、これからは朝の新しいライフスタイルが始まるぞ!俺はぎりぎりまでベッドの上で妄想に耽っていても、二度寝三度寝を繰り返しても何の問題も無い。忠実な俺のボディが、理想的な食事を取り、理想的な身だしなみを毎朝するに違いない。朝の生活習慣は、分業の枠を超えた目覚ましい創案となるのである。徹底して良い方向へ向かうはずだ。

【NOVEL】体躯の日 第8話|Naohiko (note.com)

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門


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