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【NOVEL】体躯の日 第6話

 思い描いていた人物像とは全く異なる。当初予想していたのは、水色のつなぎを着て、三角頭巾をかぶっている若い男。または、マスクをして、黒を基調とした服装で特徴と呼べる特徴を隠し、目立たぬ身長で痩せ気味な奴。男の身形を見るや否や、それは清掃員でも泥棒でもないことはすぐ分かった。
 風体に見覚えがある。というより、普段、自宅の洗面所や姿見で毎朝毎日見る体格だ。俺はあの身形を散々見て育ってきた。学生時代、形が育って成熟していくことがステイタスになったものだ。
 元来、俺は運動が嫌いであった。ただ、幼い頃から泳ぐことだけは得意というより好意を持ってやっていたようで、小学生の頃は夏休みになると、友人を誘っては、学校のプールへ毎日のように通うアウトドアな少年であった。水泳の授業では、大した泳法を学ぶわけでは無かったので、中学生を機に俺は水泳部に所属したのだった。当時から、競争心の強い人間では無かったし、満足が行く結果を求めない性格でもあったので、大きな表彰を受けることは勿論無かった。そんな低い志ではあったが、学生時代の放課後は、水を延々掻いていたので、お蔭で肩幅が良くなり、男としての見栄えは幾分良くなった。だが、運動神経の悪さは体育の授業に出てしまう。一見、俺は体格が良いので、スポーツに特化しているのかと皆が思いきや、授業で行う球技にはなぜか活かされず、団体競技ではすっかり“お荷物”な存在であった。
そんな逆三角形には、肩で着るとも言われている背広が良く似合う。それが誇らしくなっていたこともあったが、ここ最近、それすら裏目に出てしまっている。面接の際、人事部の第一声は「良いガタイしているね、何かスポーツをやっていたの?」なんて入りは好い加減うんざりしていた。挙句には「雰囲気は体育会系なのにね…」なんて言われたりもした。いつだったか〈人は見た目が9割〉なんて恐ろしい表題の新書を読んだことがあったが、入社試験を落ち続けてよく分かった。現実、9割どころの話では無い。先入観は人の選択肢を完全に狭めている。どうであろう、あのような長々と下らぬ質問、口頭試問を繰り返されている中、実のところ1分かそこいらで合否は決まっているのではないのか?たとえ、それが人事の意識下で無いにせよ。そんな俺の本質を捉えてはくれず、初動で打ち崩してきたあの身形、見覚えが無いわけが無い。こうして実体と対峙するのは初めてではあるが、すぐに分かった。紛れも無い、あれは俺の身体だ!
 ただし首から上が無い。
「お、漸く目が覚めたか、寝坊助三太郎」
 首の無いその身体は、背広の袖口から見えるワイシャツを摘んで引っ張りながら、俺に言い放った。こうして傍で見ると、ドラフト会議に出席する若い野球選手のように、背広がぴっとしている。呆気にとられている俺に向かって、奴は再びこう言った。
「何せ、ネクタイってのは首あっての冠飾だから心元さびしいな。でも、お前よりも着こなしは上手いと思うが、どうだ?」
 右手でネクタイの首元を抑えながら、左手でその先を摘んで話すその姿は、一端の就活生を振る舞っているのである。
「ちょっとまて、一体どういうことだ?」
 普段、俺は眼前にある光景を信じて疑わない。ドア越し、壁越しで声が濁っていたから疑う余地があったのか。くそ、どうしてすぐに気が付かなかったのだ。あれは正真正銘、俺の声だったのだ。声変りを経て、ずっとあの声でやって来た自分、聞き覚えがあるでは済まなかったはずだ。…なるほど、声帯の振動が、頭蓋骨を通じて耳に伝わる経緯が無い。おそらく、録音された自分の声に違和感を持つのと同じ原理だ。本来、空中を伝搬し、耳に届く俺の声は、あいつが発している音声が真理なのであろう。散々身近にあるものが、これほどまで無意識下にあったとは油断した。とは言え、俺はこの状況を素直に飲み込めるだろうか。今度の今度は、流石に想像力の限度を超えてしまっている。
 相互に漂う空気は決して不穏なものでは無い。奴は、恰も自分が真っ当であるかのような口ぶりで言った。
「どうって、今日は入社試験じゃないか」
「そうだ」
「これを逃したら、本当の本当に後が無くなってしまう」
「そうだ」
「うん、今日の今日こそは『君、採用!』の声をもらうべく、お前が三度寝している間に身形と調子を整えていただけだが?」
「…」
 当たり前のように話しているのが癪に障る。俺の地声とはいえ、言葉を二度重複させるのも似ているが、俺はあんなに自由な気質では無い。そうか、調子だ!それが俺を惑わす原因だったのだ。自分の在り方をわきまえているので、その結果、俺は自信が無いように話す癖がある。俺が俺であるように、こいつの立ち振る舞いには親しみを感じるのだが、俄然、勢いが違う。
 奴は空気清浄器のスイッチを切ると、手際良くコードを巻いてしまい、化粧台の足元へ片付けてしまった。椅子の座に置いてある鞄をベッドへぼんと追いやり、その肘掛椅子に浅く座り、偉そうに脚を組む姿は、枕上の俺を見返しているようにも見えた。縦窓から差し込む光が、悠々と腰掛けている身体を照らしており、胸元に挿しているステンレス製のボールペンが鈍く光る。おかしなもので、背広の内ポケットからメモ帳を取り出すその仕草は、悔しくも様になるのはどうしてだろうか。
 奴はうぅむと唸ると、メモ帳をバラバラとめくり、呆れた調子で話し始めた。
「しかしまぁ、ここに書いてあるこの内容…ざっと目を通したが、ひどいものだな。これを丸暗記して試験本番、大声で言っていたのかと思うと、我ながら正気の沙汰では無いな。恥ずかしくも惨めである。俺が面接官だったら目も当られず、心の中で笑い転げてしまっているよ」
 遠慮の無い言葉に頭に来た俺は「じゃぁお前だったら何を言う?」と強く言ったのだが、返答には大凡見当が付いていた。奴に言われなくても、文面に関しては俺が一番良く分かっているのだ。面接対策として自己開示されているメモ帳には、経歴に関する見栄や誇張がある。要所々々、嘘を交えた小話も記帳されており、我ながら恥ずかしくもあざといのである。はっきり言って、他人に見られて気分が良いものでは無い。だが、その知ったような口ぶりが鼻に付く。
「ふん、そんなもの、実際に行ってみなきゃ分からないじゃないか。お笑いの漫才じゃあるまいし、話すことなんて用意出来るか」と身体。
「ふん、それらしいこと言っておいて、そうはいかないぞ。そう安易な奴に限って、本番に不覚な態度を取ってしまう。土壇場で理知に富んだ返答が出来るのか?俺のどこにそんなスキルがある?面接で話す内容なんてものは、ある程度用意していなきゃやっていられないよ!」と頭の俺。
「そう、お前には無い」
「…?」
ふん、自分から喧嘩を吹っかけてきて、結局すぐ認めてやがる。潔いのはやはり俺の身体だな。俺に無いものは奴にも無いのだ。大体、その恰好で外へ出てみろ。街中大騒ぎじゃないか。
 少し間を空けると、奴はこう言った。
「お前のその……思弁ぶった認識が幅広い人間性を失い駄目にしている」
「は?」
「今時、無駄な努力が労力になると思っている。お前の…というより、俺のこのメモ帳のようにね」
 そう言って奴は、メモ帳をゴミ箱へぽいと捨ててしまった。
 こいつ…ただでさえ、普通あるべき状態で聞いていれば良いものを…程度が甚だしい!そうだ、立場としては俺が圧倒的に下にいるのだ。俺は、奴のように椅子へゆったりと腰を掛けることも出来やしない、哀れな頭だということを忘れていた。本来、五体で満足するのであろう人間、そのうち四体はあちらにある。つまり、こいつを諭すようでは話が務まらない。俺は超自然主義のような、知覚によって捉えられないものを説明出来やしないし、それに対して信仰なんてものもない。であれば、なぜこのような事態になったのかを考えるべきではなく、どうやってこの状況を克服していくかが先決だ。首元の接合部分がどうなっているとか、そんなことを問題視する必要はまったく無い。
 奴は再び喋り出した。
「とにかく、俺は今から朝食を食べに行く。あつあつのご飯とわかめの味噌汁をトレイに乗せ、おかずには納豆と鮭の切り身が定番だな。味付け海苔も欲しいが、想像するのは馬鹿々々しいので止めにしよう」
 奴を止める手立ては無い。俺が促す静止に、奴はまったく耳を貸さなかった。「留守は頼んだ」と言って、鞄から財布とサービス券を手にすると、簡易スリッパを履いて俺の身体は、すたすたと部屋を出て行くのであった。

【NOVEL】体躯の日 第7話|Naohiko (note.com)

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