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【NOVEL】体躯の日 第10話

 心外な疑いを掛けられて気に入らないのか、身体は低い声で俺に聞き返した。これこそが、考え得ることだと思っていた。俺は、一方的な私感によって疑いを掛けてしまうのだが、そもそも口論というものはそういうものだ。
「たしかに、お前は飯を食いに行くと言って、部屋を出たところまでは認めよう。だが、一階のバイキングで食事を取り、試験会場の下見まで行って来たという作り話くらい、日頃こすい俺なら考えられる。ましてや、騙す相手が俺であれば、その嗜好も容易に把握出来るのではないか?『フロントに鍵を預けた』そんな形式ばったこと、言語行為のうちに入ってたまるか。朝のフロントは繁忙まっさかりだ。あちらさん、いちいちお前の身形を確認していないかもしれない。結局のところ、後付けの嘘だって考えられるのだよ。なぜなら、お前の眼球はここにあったのだからね」
「…つまり、先のさっきまで俺が自作自演していたとでも?」
 怒りを含んだ口調に聞こえた。奴の気持ちもよく分かる。奴からしてみれば、俺に論点をすり替えられたことに加え、疑惑を招いたことに対する不審でしかない。俺は再び口を開く。
「まぁ、そういうことだ。というより、単純に信用していないということだ。考えても見れば、試験会場なんて携帯のナビ機能で確認出来る。差し当って、先の五十分弱の間、トイレにでも籠っていたのではないか?そうやって時間的な裏付けを作って、俺と絶交する台詞を考えていた。違うか?」
「…」身体は一旦よじる。
 どうだ、図星だったのだろう。そうだよ、考えても見ろ。大体、口も無いのに飯など食えるか。常識。それに尽きる。調子に乗って、この部屋を出たことが間違いだったのだ。その時点で常識から外れたのだよ。さぁ、話がまとまりそうだぞ。臆病者の俺のことだ。要するに、部屋を出たものの、人と接触する勇気が無かったのであろう。そうと決まれば、仲違いなんてしている場合では無い。こうもしているうちに  
「どうやったら納得してもらえる?」と身体。
「は?」
「だから、どうやったら先の行動が真実だったと納得出来る?今、それを示してやる」と超強気。
 意外であった。要求出来るなんて予想もしていなかった。でもまてよ、これだけの自由な権利は、それだけのリスクを伴ってしまうぞ。
 さて、どうするか。元に戻った状態で、フロントまで行って確認を取るか?いや、お互いが分かり合えない状況で、一心同体になるのは不本意であろう。それは俺自身、なんか負けた気がして納得出来ない節がある。心の座りが良くない。
 仮に、元の状態に戻ったとして(その際、首根っこのつぎ合わせがどうなるとか、そういう物理的観点は置いておく)一階へ出向いたとする。こいつの言っていることが事実であれば、フロントマンからは「はい、先ほどお預かりしました」と返されてしまう。「誰から預かりましたか?」と聞いてみても良いが、先方は質問の意図が読めず迷惑するであろう。俺の身形だけを見て「お客様からです」と返答された場合、それは真実であったと俺は受けざるを得ない。
 当たり前だが、「お預かりしておりません」という返答が最良である。自作自演であることを、何の根拠もなしに俺ははっきりと言い切ってしまったので、確認を取る以上、その返答をフロントから受ける必要がある。
おかしいな…俺は、本人に断言をしておきながら、未だそのような拭えない見地を想定しているのか。背広のこいつとホテルの従業員が、フロントで平然と部屋鍵の受け渡しをするのもシュールな話だ。日常では考えにくいはずなのだが、その信憑性が俺の中で薄いのも事実である。昨今の若者によくある食傷気味の人間嫌い…たとえ、宿泊客が奇怪な姿をしていても、事務的に事を成すホテルマンがいるだろうか。
 よくよく考えてみれば、先方に「いいえ、お預かりしておりません」という回答を受けても、俺の身体はいくらでも言い逃れを出来てしまう。この時間、受付は宿泊客で混み合う。そんな中、預けた預けていないの水掛け論をそこでやるわけにはいかないし、そもそも今現在、俺は鍵を持っているにも拘わらず、その質問をされる従業員の気持ちはいかがなものであろう。
最悪なのは、フロント側が「申し訳ありません。存じかねます」という単純に覚えていない場合だ。なぜなら、部屋鍵は俺しか持っていないわけだし、事実確認をそこでする余地が無くなるわけであり、話の裏がそれ以上取れないことになる。客から鍵を預かった際、彼らはその都度、帳簿に付けるというマニュアルがあるのだろうか?…いや、ビジネスホテルに幾度も泊まってはいるが、そんな作業は過去見受けられない。それに宿泊客であれば、あちらさん真意分からずとも失礼の無いように振る舞うのではないか。きっぱりとした否定的な回答はしないはずである。
 とすると、元の状態でフロントへ出向いたところで、確実といえる確認の取りようがない。そこが疑問だ。意外と簡単な行為に思えて難しい。
 落ち着け、趣旨を不透明にしているから無駄な思案をしてしまうのだ。「俺、さっき鍵預けたよね?」という内容を確認しに行くわけである。案外、そういう宿泊客もいるのかもしれないな。自室の玄関口まで行き、「あれ?鍵が無い」という誰でも一度は経験があること。やがて、フロントに預けたことを思い出し、再びロビーへ戻ってしまう。それを装うのか。いや待てよ、この作戦には一点、粗がある。五体満足の状態で従業員に確認を取るのは、やはり根本的な解決にはならない。俺も馬鹿だな。そもそもの目的は、こいつの言動が嘘か本当かを確認することでは無かった。その姿では、世間で通用しないという常識を教えてやる。それが本意。もっとシンプルに話を解決する。大体、嘘かどうかを確かめるなんて稚拙である。こいつが嘘を付いていようがどうでも良いのだ。必要なのは、人と面と向かって会話が出来ない証拠だ。それだけで十分である。
 こいつのシナリオの中に、フロントのやり取りがあったのであれば、何か策があるのだろうか?直観であるが、それは先の会話の流れからやって来た後付な気がする。であれば、そこに突っ込む余地がある。バイキングの営業時間は既に終わっているので、会場での確認は取りようが無い。
 ここは一つ、鎌をかけてみるか。
「その従業員の顔を覚えているのか?」俺は言った。
「…顔は知らない。だが、ネームを付けていた。佐藤という男だった」
 これまた意外だった。もし、こいつが明言を避けてしまえば、俺だって話を掘り下げようとはしない。素直さが裏目に出たな。嘘の上塗りは際限が無くなってしまうぞ。「顔は知らない」で止めておけば良いものを…(この時、俺は、奴の素直さを認めておきながら、嘘つき呼ばわりしている矛盾に気付いていない)
「その佐藤という従業員をここへ連れて来い」と頭の俺。
「は?」
「お前の言動を確かめるためには、お互いこの状態で、尚且つここで確認する必要がある」
「…佐藤というホテルマンをこの部屋に呼ぶのか?」
「そうだ、そしてお前本人が確認しろ。『八時半頃、この部屋の鍵をフロントで、貴方に預けましたよね?』と」
「…」
 これには予期せぬ対応が求められるであろう。お前を阻む常識を今に見せてやる。首の無いお前が、受付での交渉をどうしたのか見せてもらおう。
 ふん、核心に迫るような雰囲気にどうやら気が進まないようだな。ネクタイの結び目をいじる仕草がそうだ。俺の悪い癖が出始めている。要するに、当然あるとして求められていたものでは無い。ここまで要求されるとは思ってもみなかったのだ。俺の回答を受ける前の段階で、幾多の予想と対応があったに違いない。思考の裏を見越すことで、あえて俺に発言権を与えたのであろうが、そう上手くいってたまるか。
 だが、一瞬戸惑いの気配に見えたのは、表情が無い故の雰囲気からなのかもしれない。身体は腕時計に視線(?)を落とし、何かを案じている風な素振を二三みせると、突然元気良く言った。
「わかった、今フロントに電話してみる」
 身体は両太ももを両手でぱんと叩くと、取り付けの電話機に手を伸ばした。嫌に素直だな、腹を括ったのか?まぁ何でも良い。これから始まる珍事件は見物だな、おい。佐藤という男が腰を抜かさなければ良いが、それはそれで面白い。電話越しで事情を説明している奴の様子を見ると、先方がどうも渋っているようだ。それもそうだ、まず出向く理由が分からないし、それでいて時間帯が悪い。こんな朝っぱらから、何のクレーム対応だとあちらは不快に思っているだろう。…朝?

【NOVEL】体躯の日 第11話|Naohiko (note.com)

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