見出し画像

私の活動指針~東北の暮らし・文化を発信する原動力とは~

東北の暮らしや文化を伝える発信をしている、なおたむです。
私には東北に根付いた文化や暮らしが消えてほしくない・大切にしたいという思いがあります。
今はそれらをイラストに描いてインスタグラムに載せたり、チラシ作成をお手伝いしたりしています。
なぜこのような活動をしているのか、少し生い立ちを書こうと思います。


生い立ちと後悔


実家裏の風景


私は秋田県大館市に生まれ、山や小川・田んぼや畑など自然に囲まれてのんびり育ちました。

地元の中心部は旧城下町で、秋祭りに立派で華やかな山車を大勢の人が曳きます。
お囃子・踊り手・曳き手は基本的に旧城下町の人が担います。
それは郊外に住む私には触れることができない、遠くにある憧れでした。

一方で、郊外の実家のある町内でも、夏におみこし巡行を行っていました。曳き手は町内の小学生全員で担い、大人が付き添って町内をまわります。
私が小学生の時は、全学年合わせて10人前後でした。
年々小学生の人数が減り、私が高校生の時、ついに町内の小学生は2人にまで減っていました。
まもなく、おみこし巡行自体が中止に。
小学校卒業後はなぜか気恥ずかしく、おみこしが来ると家の中から隠れて見ていました。
続けて参加していたら違う結果になっただろうか、という思いがずっと心の中にありました。


「記録保存」との出会い


大学生時代、文化財論コースに入り、石造物など形のある文化財について学びました。
資料の大きさを測ったり、写真を撮ったりしながら出会ったのが「記録保存」という考え方です。
記録を残すことで、遠くにいる人や後の時代の人でもその資料について知ることができます。
形あるものは、壊れたり紛失したりしますが、記録しておけばその時点の情報が残せます。形のないものも同じです。

その頃、バーミヤンの石仏が破壊されました。「一度失ったら取り戻せない」と強く感じた出来事でした。
子供の頃に感じた後悔・記録保存という考え方、この二つが私に大きな影響を与えています。


バーミヤン 中央の窪みにかつて石仏があった https://www.isan-no-sekai.jp/column/7979


ここ数年多く見聞きしたのが、郷土芸能の保存会において、次の世代にバトンを渡せない、渡す相手がいない、渡し方が分からないというケースです。一方、地元秋田で一度途絶えた郷土芸能を復活させた人がいます。その人は過去の映像と音源を頼りにしたとのこと。

文化や暮らしの継承について「自然に」では危ういと感じます。
身の回りで当たり前に行われていることが、実はそこにしかない、ことは多いです。
覚えていようと意識しなければ、どんどん記憶からこぼれ落ちてしまう。
知っている人に聞きたくても、その人はもういないかもしれません。


実家で正月を迎える風景 お餅の個数にも決まりがある


消えて忘れてしまったら取り返せない、なくなってから後悔したくない、だから伝え・記録する


私はすべての文化や暮らしの担い手になることはできません。
しかし、デザインの力を組み合わせることで、より多くの人がそれらに触れる機会を増やす・記録に残すことができるのではないかと考えます。

私は文化や暮らしをつなぐ役割をしたいと思っています。
そうすることで自分たちの文化や暮らしの価値に気づいたり、担い手が現れたり、外から応援する人が増えたりする未来を願っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この投稿が皆さんの身近な暮らしを新たな目で見るきっかけになれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?