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弾き手、ではなく聴き手

前回のポストの続き、だったりする。本当に「心に響く音楽」とはどういう演奏だろう、と思いをめぐらしてみた。自分が演奏することはまず考えない。孤島に一生残される羽目になり、一つだけ持参できれば、どの音楽を選ぶだろうか、という質問。

やはり、私にとっては、バッハ (J.S. Bach) だろう。

上のリンクは、音楽史上最高レベルの傑作だと讃えられている「マタイ受難曲」のアリア、「神よ憐れみたまえ」だ。数あるビデオから選ばせていただいた。このバージョンは、「映像の詩人」と呼ばれ、旧ソ連から西側に80年代に亡命した映画監督アンドレイ・タルコフスキーによる遺作、「サクリファイス(犠牲)」からのシーン。この映画は、広島の原爆投下がテーマになっており、このシーンは、バッハの「神よ憐れみたまえ」アリアとともに、痛々しいほど象徴的だ。着物姿で走り回り、救いを拒否する老人、爆発で焼けこげる家・・・。この音楽ともども、一生忘れられないシーンだ。

タルコフスキー監督自身、バッハのファンだったようで、彼の多くの作品にバッハの音楽は使われている。芸術的なエステティック感の強い映像美と絶妙にマッチするので、以下、集めてみた。

つぎは、映画「ミラー(鏡)」で使われた、「古き年は過ぎ去り 」BWV 614。わずか2分足らずで、ここまで叙情的な深みを感じさせる音楽は本当に稀だ。

そして、下の2点は70年代のSF映画(・・・というより形而上学的な哲学映画?)「ソラリス」より、コラール・プレリュード「イエスよわたしは主の名を呼ぶ」旧ソ映画音楽の巨匠アルテミエフによるアレンジだ。 たった一曲の音楽が、繰り返し使われている。下に二つリンクを貼っておく。二つ目の方は、スペース・ステーションからの地球の回想シーンで、この音楽がよくマッチする。

またもや、同監督「ノスタルジア」からのバッハ、アダージョBWV 974。

上記の「古き年は過ぎ去り 」BWV 614、こちらの(下リンク)はオランダ・バッハ・ソサエティーからの配信。演奏:バート・ヤコブス (Bart Jacobs)。とても素晴らしい演奏だと思う。

つぎは、伝説的、パルティータ第2番ニ短調 BWV1004「シャコンヌ」(下リンク、2点)

あのヨハネス・ブラームスはクララ・シューマンに宛てた手紙の中で、この曲については、次のように述べているらしい。「この小さな楽器のため、バッハは一枚の譜表に、限りなく深い洞察、真摯ながらも激しく揺らぐ感情のユニバースを書き綴っている。もしこれが私の創作だとしたら、 あまりの胸の高まりと驚愕で、私を正気から遠ざけていただろう。」(意訳)。もとは、バイオリンのための曲だが、下にルートとピアノ・バージョンを貼っておく。天才ピアニストのキーシン・バージョンは映像がなかった。

上記リンク、天才児キーシンによるピアノ版はやはり素晴らしい。このような、難解中の難解曲であれば、やはり天才にしか表現できないレベルだとつくづく感嘆する。アマチュアであれば、感情を込める余裕がなくなってしまう。コメント欄にあるように、(これ>「5:53 the total control over each voice is unbelievable.」)5:53くらいからのメロディのナロティブの素晴らしさに、ただ絶句。

では、締めくくりとして、デビド・フライ(David Fray) のバッハに対する個人的なメッセージ(下リンク)。このピアニストは、幼年時代に過ごした村のチャペルでバッハを演奏するアルバムを作った。これは、個人的なプロジェクトでもあるそうだ。

メッセージの意訳、「バッハはこれらを単に”バリエーション・変奏曲” (Variation)として創作したのではなく、ドイツ語原題にある”トランスフォーメーション、改変、生まれ変わり” (Veränderungen)の象徴として創った。バッハの音楽は人生そのもののようだ。シンプルな反復、繰り返しの中に深い複雑性を織り込んでいる。完璧には弾けない、だが、偽りのない音楽を演奏したい。」

まだ、たくさん素晴らしいバッハ演奏、音楽はある。下にもいくつか貼っておいた。今日は、この辺で・・・。


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