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怠惰散文

これは小説しれないし、誰かの日記かもしれない。

 
 ODした。明日は休みで、わたしは疲弊しきっていてた。さっき目が覚めて、当然だが体が全く動かない。全身の筋肉が痛いし怠い。起き上がるなんてとんでもない労力に感じる。それが人体のせいなのか、精神的に疲労しているからなのか、今の自分には判断できない。
 
 仕事はできる。人間関係は、できない。いつものパターンである。「嫌」と言えなくて、言われたことは完璧にこなす。当然成績は右肩上がり、上司から気に入られ「期待の新人」になる。おそらくわたしは過去10年で7回「期待の新人」になった。

 ある社内のイベント参加の声がかかり、わたしは、断った。この、「断る」ということは、わたしにとってものすごく大きな前進、のはずだった。社会のなかで、これまで「嫌」と言えたことなど殆どなく、どんどん仕事は増え、耐えられなくなって逃げる。これが自分のパターンであるから、それを変えようとしていた。如何にも、最近ガボール・マテという臨床医が書いた『身体がNOと言うとき』という論文集を読み、そこに出てくる患者は皆自分のようで、戦慄したのである。彼らの人生は、幼少期は過酷で、誰もNOと言わなかった。それはNK細胞と臨床研究の話であり、事実であった。

 なにはともあれ、該当のイベントは、手当もつかず内容は過酷で、承諾すればわたしは11月までそれにかかりっきりになりながらも通常業務をしなければならなくて、どうしても、どうしてもどうしても嫌だった。これを受け入れてもバックレる期間を早めるだけだと思い、断った。で、そこからが地獄だった。3回断って、(3回目で断ることにすでに疲弊して意思は揺れていた)4回目に支店長と会議室に40分間缶詰にされ、説得された。わたしが断ればできる人がいなくて、支店の面子が立たないからである。有耶無耶になり、乗務の時間が来たので席を立ち、仕事をして、その日の深夜支店に帰ったら承諾したことになっていた。わたしは疲れ切っていて、何も言わなかった。そのままでも良かったのかもしれない。その翌日、事態を把握した何人かの上司が、支店長に何か助言をしてくれた。それは優しさとか同情とかの類だったのだと思う。出勤すると「やっぱりやらなくていいよ」と言われた。支店長にすれ違ったので、わたしは敬礼をし、謝った。「あんまり気に負わないで」と言われた。

 で、見事吊し上げされた。綺麗なカウンターショットである。新人の立場で断り、且つその後謝りに来なかったという理由だった。わたしは疲れてしまった。見かねたひとりの社員さんが、青春18切符の話題を持ってきてわたしに話しかけ、元気づけようとしてくれたが、何を言っているかよく分からなかった。彼の優しさだけは分かった。


 
 帰り道、その日に限って街はお祭りで、もう深夜だというのに騒がしかった。イライラした。コンビニはどこも混んでいたから、行かなかった。子供が何度も前を横切り、殺したいと思った。帰宅すると、深夜だというのに隣の人は洗濯をしていた。彼は最近うちのドアの開閉がうるさいと怒鳴り込んできた。自分の表情が過去数時間、一ミリも動いていないことが自覚できた。部屋に入ると、暑くて、喉はカラカラだった。ああ、バックレそう、と思った。すると「地に足ついてよ!」という母親の怒鳴り声が聞こえてきた。頭の中にこだまし、消えない。汗びっしょりのまま一旦ブロチゾラムを飲んで、シャワーを浴びた。すると今度は頭が母親でいっぱいになっていた。
 何かが変。うまく生きれず、仕事は続かない。けれど、そもそも親から逃げるためにわたしは働いているのだ。一人で生きる選択肢に、仕事は必須だからだ。こんなんばっかだ。恋人はできない。母親のせいだ。恋愛も性行為も罪だと、わたしに洗脳したあの女から逃げたかった。逃げても逃げても追ってきた。海外へ行っても、住民票に閲覧制限をかけても何処からかメールアドレスを調べあげる、狂気じみたあの女を殺したかった。死んでもこの苦しみに終わりなど無いことなど端から知っている。母自身にもたくさん問題があることだって、知っている。人間に完璧などないのだから。だけどあの女のたった一人の娘であることが憎い。
 苦しくて心臓の下が空洞になっているのが分かった。わたしの臓器はどこへ行ってしまったのだろう。腕を切って、血が出ることを確かめた。止まらなくなった。スマホの存在を思い出して、裸のままブロチゾラムとゾルピデムの致死量を調べた。全然足りない。この国では、1ヶ月分しか処方できないのである。昏睡くらいはできそうだった。だけど躊躇した。目が覚めたとき、本当に身体が動かなくて病院に行く羽目にでもなったら一番最悪だと思った。身元引受人がいないのである。法的に、そこでは普通家族が出てくる。ついでに入院保証人もいない。母親にだけは知られたくなかった。胃洗浄でもされたら費用も高つく。では死んだほうが良いか、と思ったが、痛いのも苦しいのも嫌だった。さらに死んだあと、今の状況が母親にバレるのがどうしても嫌だった。嫌で嫌で仕方なかった。母親が先に死ねば心置きなくODも自殺もできる、と思った。殺したかった。
 検索結果の上の方には「いのちの電話」がしつこく表示されている。カッターを右手に握ったまま一度電話をかけたが当然、繋がらない。おそらくわたしは人生で30回くらいは電話しているが、繋がったことなど一度もない。電話をかけるには勇気がいるが、緊張状態の無駄足である。こういうとき、相手の立場に立って物事を考えることなどは勿論できないので、わたしは更に絶望する。とにかく楽になりたくて、だけど病院に行かなくても済むくらいの量のゾルピデムを飲んだ。ブロチゾラムをそこに3錠追加した辺りから覚えていない。

 
 嫌な夢を見た。非常に不快だった。目が覚めたとき、その夢のことでイライラしていたが、内容はもう忘れてしまった。身体が熱くて、差し込む光の色を見て、もう昼過ぎだと分かった。全身怠くて、というか全身の筋肉が痛い。頭だってこの文章を書くまで、朦朧としていた。胃が空っぽでムカムカした。なぜ服を着ているのか分からない。コクトーの『阿片』とか、青山正命の文章だとかを思い出していた。右側の枕元に刃が出しっぱなしのカッターがある。それを握る元気も無い。ただ暑くてイライラした。腕には血が滲んでいる。くすんだ朱色のシーツに茶色っぽい染みがついている。それからどれくらい経ったか分からないけれど、寝返りを打ったら左肩のところに畳まれたノートパソコンがあった。腕を伸ばす。起動すると当たり前のように左上に「Good Afternoon」と出てくる。天気、晴れ。馬鹿馬鹿しくなる。
 
 わたしは明日も5時のアラームで飛び起きて、仕事に行くのだろう。これが人生だって?親さえいなければ、なんにもいらないのに。何度も言うが、全身の筋肉が痛い。痛いのは身体じゃないからである。誰かが淹れてくれた温かいコーヒーが飲みたい。今飲んだら吐くだろう。
 

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