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梅雨税散文 ‐ 『カフカはなぜ自殺しなかったのか』頭木弘樹

死にたかった人の、本を読む。
死のうとした人の、歌を聴く。
死ねない自分の、言い訳を探すために。

死にたいという願望がある。
そういうとき、この人生は耐えがたく、
別の人生は手が届かないようにみえる。

カフカ


「どうですか、気分は」
「最悪ですね。」

これはわたしの診察室での定番のやりとりである。梅雨で、これから海外に住んでいたときの税務処理に手を付けなければならないのだから気分が最悪なのは当然であるが、まあ何度病院を変えても、わたしはいつもこんな感じである。今まで様々な病名がついた。双極性障害にうつ、摂食障害、気分障害、PMDD、etc...。それぞれ発音は違うが、某Google翻訳にぶち込むとすべて同じ答えが返ってくる。「貴方は何かが変」と。ふーん。


ところで、頭木弘樹氏の著書に『カフカはなぜ自殺しなかったのか』という素晴らしい一冊がある。こんな季節にぴったりのジメジメした文章である。

カフカは、良い人だった。誰に対しても親切。みんな彼が好きだった。わたしもカフカが大好きなので、いくつかこの本から引用をすることにしよう。

ぼくが全面的に信頼できるのは、
死だけだ。
死になら、自分を差し出せる。
たしかなのは、このことだけだ。

カフカ


いや、なんと。驚くほど、まったくの同意である。

彼は、死にたかった。あまりの死にたさに、耐えられず自我を失うことを願った。それが、『変身』なのである。
精神科医のR.D.レインはかつて、カフカとシェイクスピアを比較し、自我を失うことを「死」と表現した。それは人体の死とは全く無関係である。

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

1913年2月28日~3月1日(26歳) フェリーツェへの手紙


こんな手紙をもらったら、わたしは彼に惚れ込んでしまうだろう。自殺も、心中も、できる強さなど持ち合わせていない、この、ひとりの青年を深く、愛するだろう。

梅雨はあと数週間で明ける。仕事のために睡眠薬とピルで人体をコントロールする日々はだらだらと続く。わたしは睡眠薬とピルを買うために働く。来月も先生はわたしに問う、「気分はどうですか?」わたしは答える「最悪ですね」。一生、繰り返す。死ぬまで。


ぼくの人生は、
自殺したいという願望を払いのけることだけに、
費やされてしまった。

カフカ


山が綺麗だと世界はマシに思える。だけどもわたしは知っている。
自分がいなければ、もっと景色は綺麗になる。

死んでください。自分自身のために。



【余談】
今からコクトーの『阿片』を読みます。



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