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心にもないこと

心にもないことを言ってしまった、という台詞がありますが、
私はこれを言う人を、基本的には信じないことにしています。
人はモノを脳で考えますが、自己の感情に関することには、
心から思う、自分の心に聞く…等、「心」という言葉を用います。
実際、人が物事を考えるときにどこが機能するのか、
心は存在するのかといったことは、本日の議題にはいたしません。
今回は、人は物事を心で考える、ということを前提にして進めてゆこうと思います。
本日の独り言は「心にもないことを、人は言わない」です。

とはいえ、頭から否定しようというわけではありません。
つい議論が加熱して、触れられたくないことに触れられてつい、
言いたくもないことが口から弾け出てしまうことはありますから、
心にもないことを〜と言いたくなる気持ちも、大変理解できます。

では、何故信じないのか。
それは、人は思ったことの全てを、他者に曝け出すことをしないと、
身をもって知っているからです。
私たち人間は、毎日数えきれないほどの感情を抱え、選択をしていきます。
しかし、その抱いた感情を、素直に口にする人はどれほどいるでしょうか。
ほとんどの人が、相手に気を遣ったりして、気持ちを隠しています。
本当に気が合って、なんでも言い合える相手など、人生に1-2人いれば幸運なくらいですから。

少し意地悪な言い方をすれば、特に私を含めた大人たちは、
仮面を被って生きているのです。

では、心で思っている本心が出てしまうのは、どういった時でしょうか。
それは、悲しみや怒り、呆れの感情が生まれたときだと思います。
信じていた相手に裏切られた悲しみや怒り、それらの感情を越した先には呆れがあります。
この過程の、どこで本音が漏れるかは人それぞれではありますが、
これらの感情が、人に本心を言わせるのは確かだと思います。

心にもないことを言いてしまった人は、心にもないことを口にしたのでは決してなく、
心に留めておいたことを言ってしまったのだと思います。
まず、思ってもいないことは、考えつくことすらないのです。

議論を交わしている際に、今まで考えつくこともなかった
意見を述べる人が、稀にいます。それこそが、自分にとっての心にもないことではないでしょうか。

「心にもないこと」を言ってしまったときは「本音がつい出たとき」です。

無論、本件に関わらず、私の述べること全て、私の心にあること、
言い換えれば、私の心にしかないことで、ただの無知な人間の一感情、
一意見であることを、ご了承ください。

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