見出し画像

私と姉の特殊な関係(その2)

〈私と姉の特殊な関係〉の続きです。↑↑

自分の過ちを素直に認め「ごめんなさい」と言えるということが、
どんなに大切なことであるかは、すでに多くの人がよく知っています。
しかし私はそれ以上に、相手を許すことも、儚く大切な感情であると私は思います。


さらに時が経ち、私も無事に中学校に進学し、
そして私にも、思春期なるものがやってきたのです。
両親からの縛りがキツいことはもとより、
逆らったらどうなるかを身近で見てきたために尚更、
反抗したくても、怖くてできませんでした。
そのことは、私のその後の人生に何らか影響を及ぼしていると思いますが、
それについては、気が向いたらどこかで別途、書いてみます。

話を戻しまして。
姉への憎悪にも似た感情に関しては、留まることを知らずに募るばかりでした。
思春期を迎えたことで、それが加速したと言っても過言ではありません。
今思えば、親や世の中に対して自由に反抗し、主張する勇気を持っていた姉への羨望と、
親が姉によって悩み苦しむ姿を一人で見ることになり、
時には私にぶつけられる八つ当たりにも、一人で耐えなければならない悔しさを
憎しみに変えていたのかもしれません。
もう一つ付け加えるとしたら、思春期特有のプライドで、
友人にも家庭内の悩みを打ち明けられなかった私は、
優しい姉が傍にいてくれたらば、どんなによかったかと考えたのだと思います。
当時の私はとても愚かであったと自覚しています。
それでもとにかく、私と姉は、顔を合わせる度に何かと喧嘩をしていました。
喧嘩の内容は、正直何一つ覚えていません。
本当に本当に、些細なことであったろうと思います。

姉のことを、人生最大に嫌うと同時に、
姉を姉として見ることができなくなっていました。
代わりに、反面教師として捉えるようになりました。

さらにそこから数年の時が経ち、私の思春期と、姉の反抗期が終わり、
家族4人の平穏な暮らしが戻ってきました。
それでも私は、姉に対する「反面教師」という見方を
変えることができずにおりました。
一つひとつの喧嘩は都度収束していても、心のどこかでモヤモヤとした、
言葉では表わせない感情を互いに抱えていたのだと思います。
私にとってのヒーローだった姉はもういないし、
姉にとっての可愛い妹もまた、もういないのでした。


姉が、一昨年入籍しました。
そして昨年、式を挙げました。
式当日、家族3人にそれぞれ認めた簡単な手紙が
披露宴会場のテーブルの上に置かれていました。
私はその手紙の一文によって受けた衝撃を忘れません。

「昔は反面教師な姉だった。」

喧嘩をしなくなってからも、どこか暗黙の了解のように
互いに当時のことには触れてきませんでしたが、
姉は、自らの過ちを認めるように、そして当時の私の気持ちを慮るような
そんな言葉を手紙の中に添えてきたのでした。

姉は、どこまでも自由で勝手な人でした。
好きなように反抗し、気が済んだら何事もなかったかのように家に戻り、
自らのタイミングで己の過ちを認めて、長い冷戦を終わらせたのです。
私ができなかったことを次々と成していく姉の強さには、敵わないと思いました。
思わずその場で、涙が溢れ出てしまいました。
隣にいた母は、私の突然の涙に目を見開きながらも、姉妹の絆を喜びましたが
私の涙の本当の理由は、姉妹の絆ではなかったのでした。
母にまた、生涯言えない秘密ができてしまいました。

つづく

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?