個別最適な学びについて考える(18)ー広岡亮蔵(1975)新授業改造ーから
最近,学び方が話題にあがることはないでしょうか。
自己調整していくためには,学び方を知らないと学習の調整もないのではないかと思います。
授業をする中で,子どもたちがなんとなく学び方を知っていると思って,いきなり学習を進めるなんてことはしていないでしょうか。よくよく考えてみると,自分も実習の時にいきなり学習とかしてしまっていたなと反省するばかりです。
私も少し歳をとって,改めて学び方を学ぶみたいな感覚が抜けてしまっているのかもしれません。そのままでも,なんとかなるからこそ。(笑)
でも,子どもたちは違います。学び方を学ばないと難しいのかなと思います。
そこで今日は「広岡亮蔵(1975)新授業改造.明治図書,東京」を読んでいきたいと思います。早速,考えていきましょう!
1970年代で膨大な知識という言葉が出てきます。
現在はインターネットの発展により,さらに膨大な情報・知識があるのではないでしょうか。それこそ,社会的動力と示されるように、教育ないではない様子を考えてみてください。
スマホは,もう大体の人は持っていると思います。パソコンの普及率も1人1台,最低でも一家に1台あると思います。年賀状とか困りますから。笑
ある意味,この社会を乗り切るためには,こうした知識・情報をコントロールする力,ここでは学び方の能力が必要になってくると考えられます。
そして,教師が大人になってもいるわけではありません。誰か導いてくれるわけではないので,自分で道を切り開くためには,その知識・情報を扱うことが必要になるはずです。
大事なことが2つ書かれています。
1つは,学び方学習が高度になる=学び方がある程度身についている状態であると,筋道を自ら考えだしたり,創意工夫したりするということです。学び方が身についていれば,自分で調整したくなってくるということがこの文章に書かれていると感じます。
もう1つは,教師も展開計画を準備しなければいけないことです。それでも,任せっきりではなくて,教師の狙いや願いははっきりさせて,支援することが必要だと考えられます。
この2点はものすごく重要だなと感じる点でした。
長くなってしまいました。すみません…汗
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