板書をノートに写すことほど無駄なことはない
ノートの必要性
学校に通っていたころ,授業中ってどのように学習していましたか?
大体の人は黒板の板書をノートに写していたと思います。
なかには先生の話を聞いていただけとか,
漫画を読んでいたとか,
寝ていた人もいるかもしれませんが。
ボクももちろんノートとっていましたし,教員時代はノートをとるような指導もしていました。
でも子どもたちの反応見てると思ってきます。
ノートとる必要ってある?
ノートとる時間って無駄じゃない?
と。
もちろんすべてが無駄というわけではありません。
こう考える経緯としては,学校のクラスの中に学力の二極化があることです。
学力高い子は,黒板なんて写す必要もなく理解していること。
勉強が苦手な子は,黒板を見て文字を覚え,それを書くという動きの繰り返しすら苦手だということ。
どちらにしても,板書をノートに書くという行為は「書き写している」だけなんです。
書き写しているだけという作業になんの学習があるのでしょう。
写す作業はただの単純作業で,そこには何の思考もないのです。
字の練習以外なんの学習にもなりません。
あとから勉強するのに必要?
いえ,黒板に書いてあることをノートに写すだけなら教科書や参考書を見たほうがよっぽど分かりやすく書いてあります。
きれいにノートがつくれると気持ちがいいかもしれません。
でもそれはただの自己満です。
何の学びにもなっていません。
学習とは自分の頭を使って思考することです。
思考して試行して失敗しながら学んでいくのです。
ノートをとるとなんだかやり切った感じがありますがそこに落とし穴が・・・
授業中の学び方
では,授業中はどのように学習すればよいのでしょう。
それは,先生の話をとにかく聞くとです。
大事な話や印象に残ることはノートにメモを残す程度でよいのです。
以前見た実験のなかに,
授業を一時間聞いてそのあとにテストをするのに,一方はノートに板書をする。もう一方はメモしながら先生の話を聞くだけという実験がありました。
もちろんテストの点数が良かったのは先生の話を聞くだけの被験者。
ノートをとっていた被験者はノートをとることに夢中になってしまい,理解していなかったのです。
このようにノートをとることがいかに無駄なことか証明されているわけです。
教科別
教科別に考えていくと,算数や数学などは一番ノートに写すことが必要ないと思います。
公式などの原理を理解した後はひたすら練習するのみの教科です。
問題を解くのにはノートを使いますが,課題を写したり,人の考えを写したりする時間があるなら一問でも多く問題を解くべきです。
次に社会もまったく必要ありません。年号や人の名前を暗記しようとするから覚えられないのです。覚えるだけなら教科書を読んでいけば良いのです。
それよりも教科書に載っていない先生の話を聞いたり,因果関係で出来事とその原因を結び付けて物語として学んだほうがよっぽど理解できます。
あとは誰かが言ってましたが推しメンをつくってその人物と関係づけていくと理解しやすいそうですね。
結局ノートを写したり,暗記をしたりする作業では理解できないのです。
やはり思考することが一番の学びにつながります。
理科なんかはどうでしょう。
これも社会と同様ノートを書くのに手を動かすのであれば,全神経を集中して先生の話を聞いたほうがよっぽど学びになるでしょう。
しかし,国語だけはどうしてもノートに書くという作業が必要です。
もちろん板書を写すのではなく,自分の考えなどを文章としてノートに書くということです。
文章はとにかく書かなければ上手になりません。
ノートをとらせるのなら,ノートのとり方をまず指導するべきでしょう。
例えば,有名なのは左側に板書を箇条書きなどで書き,右側にポイントや先生の話や自分の意見をメモしていきます。そして一番下にその授業の要点や要約を自分の言葉えまとめていくというとり方などがあります。
あとは,カラーペンなどを使い,超大事,大事,普通など自分で考えて色分けするなどをすれば思考しながらノートをとることもできます。
まとめ
このように,学校ではまだ無駄と思われることがたくさん行われています。
ノートなんかただのメモにしてプリント学習のほうがよっぽど効果が高いでしょう。
勉強が苦手な子こそ,ノートへの作業を辞めさせ,その子に合った適切なやり方で学習をさせるべきです。
タブレットやPCなどが学校に入り,こういった授業のやり方も少しずつ変わっていくとよいのですが・・・
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