nancotu884林田

拙い文章ですが、よろしくお願いします

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最近の記事

親孝行とは2

 日奈久温泉 金波楼にて 母と娘の二人旅も中盤に差し掛かる。我々は夕食を食べにロビーへ降りた。昼間の盛り盛りランチとクーラーが効いて極寒の中食べたかき氷のダブルパンチをくらった二人には、今晩のご馳走を食べる事はなかなかにシビアな問題だった。折角お金を払ってるんだからじっくり味わいたいし完食もしたい。しかしそれは叶わない気がしていた。自分の胃袋のキャパを過信した数時間前の己を恨んだ。なかなか箸が進まない我々の様子を見ながら、料理の配膳をしてくれた中居さんは 「デザートはお部屋

    • 親孝行とは

      もう4年も前になるのだろうか。  私が熊本に住んでいた頃、父が仕事の関係で熊本県の八代市で行われた勉強会に参加する際、私と母も観光がてら八代出張に同行した時があった(ような気がする)。父の用事が済むまで、母と私は八代市の温泉街を散歩する事にした。余所者の向けの洒落たカフェもセレクトショップもない、地元の人達の生活に溶け込んだ温泉街だったのを記憶している。 廃業したであろう旅館の跡が、そこかしこに静かに並んでいた。かつては宿泊客で賑わっていたはずの街並みはどこか哀愁があって、

      • 尾道旅行記 2日目

        7月某日(日)澄み渡る晴れ  この日は朝6時には起床し、のんびり支度をした。今回宿泊した宿は学生の頃にも泊まった事のあるゲストハウス。共有スペースになってる一階の和室は、当時皆でけん玉をしたり話し合いをするなどした思い出のある場所だった。時間があったため、少し和室を眺める事にする。中庭から朝陽が綺麗に入る縁側が相変わらず美しかった。脇にギターが置かれているのを見つける。 ギター。 学生の頃、ゼミの皆であなごのねどこの和室で団らんしている時だった。ゼミ生の黒タンクトップマッ

        • 夜の尾道

          7月某日(土)18:00~20:30 宿で少しのんびりして、夜の街へでかけてみる事にした。 宿を出ると商店街は夜市で賑わっていた。 ビールと唐揚げくらいつまみたかったが、夕御飯があるのでと、ぐっと我慢する。  夜市を一通り眺めて、商店街よりずっと奥へ進む。市役所側に進めば飲み屋街に入る。居酒屋の赤提灯が光るその通りには、ショーパブ、昔からのスナックがあり、ピンクや黄色のネオンが寂しく夜道を照らしていた。アーチ型の門に取り付けられた「夢街道」と書かれた電光看板に目を奪われ

          尾道旅行記 2

          7月某日(土)午後の過ごし方  千光寺や美術館、坂の上を存分に楽しんだので、商店街へ下る事にした。その道中、敢えて坂の上の住宅街を歩いてみる。道が入り組んでおり、何度も分岐点にさしかかる。かつてお屋敷だったであろう、立派な建物の廃墟、増築したのか簡易的に作られたベランダに優しく揺れる洗濯物、これらの風景に全く馴染みがないはずなのに懐古してしまう。 汗をかきながら路地裏から補正された広い道に出る。出てきた先には最近改装された古民家のようなものがあった。玄関が大きく開かれてお

          尾道旅行記 2

          尾道旅行記 1日目

          7月某日(土) 澄み渡る晴れ  先週の大雨とは打って変わって、その日の尾道は遠くの景色が綺麗に見える程に晴れ渡っていた。 博多駅を7時48分に出発し、10時30分頃には新尾道駅に到着した。そこから尾道駅までバスで移動するのが私のお決まりの移動手段だった。この方法なら運賃最安値で済むし、何よりバスから尾道駅までの道のりを眺める事ができる。バスに揺られることは、私の小さな楽しみなのだ。 バスに揺られている間、見える景色といえば古い商店や昔からあるであろう民家、普通の自販機や

          尾道旅行記 1日目

          尾道にて、悪い癖

          2021年3月。社会人と学生の中間にいた我々は広島県、尾道市に来ていた。まだ春というには、その気配はない、どこか閑散としていて寂しい季節だった。大学卒業を控えた我々は、数日後には全国に散り散りになってしまう。その前にと、女子3人で旅行に出掛けていたのだ。 私と友人2人は同じサークルのメンバーだった。よさこい部で苦楽を共にしてきた仲間だ。と、言いたい所だが、私は2年生の半ばに戦線離脱。逃げるようにサークルからフェードアウトしていった。そんな私に、以前と変わらず仲良くしてくれた

          尾道にて、悪い癖

          誰かを思い出すsong

          SUMMER SONG/YUI 新緑が映えるよく晴れた日。我々弓道部一年生は、まだ弓を引かせてもらえず、ひたすら筋トレとランニングに励んでいた。 それは高校一年生の6月。水分を含んだ空気が夏の蒸し暑さを加速させる。ソフト部とサッカー部、野球部が使う第二グラウンドの周りを弓道部一年生一同、ぱつんぱつんの体操着姿でランニングしていた。山側の小道は木漏れ日が差していた。くそ暑い16時、西陽が我々を激しく照らす。 「なんかさ、歌おう。気が紛れるかも。」 誰が言い出しっぺなのかは

          誰かを思い出すsong

          味方

          誰かの随筆を読むのが好きだ。 F氏から始まり、リリー・フランキーの『東京タワー~オカンとボクと時々、オトン~』、藤井基二の『頁をめくる音で息をする』、若林正恭の『ナナメの夕暮れ』等。 これらを読み、彼らの歩んだ半生や生活を追体験するのが好きだ。そして、彼らの持論に共感する。 彼らの書く文章に共感できるのは、彼らと私が似た境遇の者同士だからだと考える。これは私の持論だが、人は同じ境遇の者同士でしか、本質の部分では共感しあえないし、他人を救済できないと思う。 自分と似た人間

          船上での出会い

          「こんな所でナンパか、お盛んなものだな。」 そう軽蔑した事を、彼に謝罪したい。 それは約2年前、天草と長崎を繋ぐフェリーに乗り、私は地元での用事を済ませて、家へ帰る途中だった。 残暑が残る季節。船の上は潮の香りと海風が心地良く、地上より幾つか涼しかった。 「お隣、良いですか?」 フェリーの喫煙所側のベンチに腰かけていた私に、 彼はふかしていたタバコをそっと捨て、声をかけてきた。ボサボサの髪と、ビッグシルエットのTシャツ姿の彼だった。「座るな」とは言えず、「どうぞ」の返事

          船上での出会い

          誰かを思い出す曲

          たなばた / 酒井格 かつて私が通っていた大学、その側にある野球場では毎年高校野球の県予選が行われていた。 講義中に聞こえてくる、夏を感じさせる熱い声援とアナウンスは、ただレジュメを読み上げる退屈な講義中の良いBGMになっていた。 そこに重ねて聞こえてきたのは吹奏楽の定番曲『たなばた』。おそらく、応援の為に駆けつけた吹奏楽部が演奏していたのだろう。『たなばた』、夏の藍色の夜空と、輝く星達を思い起こさせる、なんとも美しい曲だ。夜空を流れ星が駆け抜ける様な疾走感が堪らなく好

          誰かを思い出す曲

          はじめに

           17歳、当時の私は自分の頭では処理できない感情を文章にしたためた。文字に書き起こす事で、全て吐き出し、自分の感情を整理し、今後の振る舞い方や、気持ちの持ち方をその都度検討していた。  感情を紙に起こす事で自分を客観視するよう努めていたのだ。  自分を守るのは自分であり、その手段が、誰かに胸の内を打ち明けるわけでもなく、SNSに書き込むわけでもなく、ただただキャンパスノートにペンを走らせる事だった。  自分で自分を守る方法を見つけていて良かった。  当時のノートは時が