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親孝行とは2

 日奈久温泉 金波楼にて

母と娘の二人旅も中盤に差し掛かる。我々は夕食を食べにロビーへ降りた。昼間の盛り盛りランチとクーラーが効いて極寒の中食べたかき氷のダブルパンチをくらった二人には、今晩のご馳走を食べる事はなかなかにシビアな問題だった。折角お金を払ってるんだからじっくり味わいたいし完食もしたい。しかしそれは叶わない気がしていた。自分の胃袋のキャパを過信した数時間前の己を恨んだ。なかなか箸が進まない我々の様子を見ながら、料理の配膳をしてくれた中居さんは
「デザートはお部屋でゆっくり食べてください!夜中お腹空いたときにでも!」と気を遣って、部屋までデザートを運んでくれた。優しさが有り難かった。
向かい側に座る母は「お母さんの肉ばやるけん~」と、自身の肉料理をいそいそと私の皿に運んでいた。これは優しさなのか、なんなのか、捉え方によるかなと思った。

 夕食後は部屋に戻って、温泉に入り、また部屋に戻ってのんびりした。なんてない他愛もない時間の過ごし方をした。特別な話しもしなかったし、腹を割って話すことも特にしなかった。強いて言えばのエピソードだが、食べ過ぎて膨れた腹が辛くてずっと腰を90度に曲げている私の姿と、更にはそんな姿勢のまま摺り足でデザートとお茶を母のもとへ運ぶ様子を見て母は「ひとみさんやもね~!!」と、ケラケラ笑ってくれた。(志村けんが演じるキャラクター)調子に乗ってお茶を湯呑みに注ぐとき敢えて手をブルブル震えさせれば母は更にツボに入ったようだった。「あゆみは面白かね~!」と笑う母だった。この時間がどれだけ尊いのか、今になって感じる。

否定された事はなかった。ずっと肯定してくれていた。私に明らかな落ち度があれば叱られたけど、いつも味方してくれていた。学校で、男に媚びて性格の悪い女というレッテルを貼られ、根こそぎ性格と容姿を否定された時、「他人からみたらそうなのであれば、自分で気付いてないだけで私は性格も容姿も悪い人間なんだ、生きてて申し訳ない」などボロボロこぼれ落ちるように母に話した事があった。
「そんな事あるもんか!お母さんがあゆみを一番知っとる!優しい面白いあゆみを知っとる!そがん人達の事ば気にすんな」だったか、言われたのを覚えてる。それを「学校の事なんも知らんくせに」と、突っぱねたことも覚えている。小さい頃は英語の塾で良い成績を出した時、太鼓を習って披露した時、その出来映えが良くても悪くても、褒めてくれた。

なんとなく、そんな事を思い出していた。
25歳になった今ですら、母はそんな調子だ。未だに私を肯定してくれて、味方でいてくれる。何かあっても一度は受け止めて彼女なりに咀嚼して理解しようとしてくれる。自分の事よりも、いつも私達を優先してくれた母。保育士をしてる母は、たまに職場の話をしてくれる。「お母さんがねー、あゆみが小さい時は保育園に早く、もう1分でも早くね、お迎えに行かなきゃと思って急いで職場ば出よった~」何かの話の流れで出た言葉だったが、この会話の端々に、母の優しさが散りばめられている気がした。優しさというか、愛というか。自分で言っておいてかなり恥ずかしいが。

そんなの事を思いながら、夜も遅いので二人とも床に着くことにした。イビキをかいて眠る母、途中でイビキが不意に止まるのでかなりびっくりする。
怖くなって「お母さん?!」と声をかけると「なんね!」と割りと元気に返事をする。その数秒後またイビキをかいて眠った。どうなっとるんや、、。
今はただ、どうか健康で長生きして欲しいと切に願う。そうして、私も眠った。

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