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船上での出会い



「こんな所でナンパか、お盛んなものだな。」
そう軽蔑した事を、彼に謝罪したい。

それは約2年前、天草と長崎を繋ぐフェリーに乗り、私は地元での用事を済ませて、家へ帰る途中だった。

残暑が残る季節。船の上は潮の香りと海風が心地良く、地上より幾つか涼しかった。

「お隣、良いですか?」
フェリーの喫煙所側のベンチに腰かけていた私に、
彼はふかしていたタバコをそっと捨て、声をかけてきた。ボサボサの髪と、ビッグシルエットのTシャツ姿の彼だった。「座るな」とは言えず、「どうぞ」の返事以外許されない空気に呑まれてしまい、そのまま隣に座る事を了承した。なんとなく、ずるいなと感じた。

彼は続けて、「旅の方ですか?」と、私に尋ねた。

私は簡単に自分の事情を説明した。地元に帰省していたその帰りであること。そして、新卒で入った会社を辞めて転職活動中の為、時間があったから帰省したのだと。

自分の情けない事情を他人に説明する時、余計に惨めになってしまうので、あまり話したくなかった。しかし彼は、
「へぇ、ま、人生色々すよね」
と、なんとも軽い返事をしてみせた。
二度と会わない他人とはいえ、【ダメ人間】のレッテルを貼られるのが怖かったが、どうやら彼は私が思うより、楽観的な性格だったようで助かった。

私は彼にも、彼自身の事情を説明するように促した。こちらでは馴染みのない関西弁の彼。関西の人間が、何故こんな南の辺鄙な謎の秘境の地(言い過ぎ)にいるのか問うた。

「俺、元々大阪でバーテンしてたんすけど、このままバーテンだけやって若さ浪費するの勿体無いなと思ってて。思いつきと、ノリで全然知らない北九州に引っ越して、今は工場勤務なんですよ。でもコロナで工場稼働停止中だから、暇だったんで、1週間で九州一周してるとこです。」

彼のバイタリティと、行動力に脱帽。というのが率直な感想だった。

そしてその良い感じの距離感で、話せる話術も少し分けて欲しい。流石、元バーテンダー。

九州一周の中で、天草滞在はどうだったか尋ねるが、彼は若干言葉を濁しながら「あー、んまあ、良い感じですよ。海綺麗だし。」と絞り出した言葉で、私の地元を褒めてくれた。

資格がとれたら、職歴がついたら、パートナーの転勤先が分かったら。そう理由をつけて身動きがとれない自分と打って変わって、彼は自分に素直に行動できる人なのだなと思う。
縛るものが彼には無かった、というのも重要なのだろう。それでも、職を変えて、拠点を変えて、行動する勇気さえあれば何にでもなれるし、何処にでも行けるのだなと感じた。

自分と違う生き方をしている人の話を聞く事で、自分が歩まなかった、他者の人生を追体験できる。これが他人の話を傾聴する際の面白さの一つだと思う。

貴重な船上の30分だった。

彼は暇潰しに付き合ってくれたお礼だと言って、缶コーヒーを奢ってくれた。
女の子だから微糖にしといたわ、と付け加え船から降りていった。

「微糖好きなおっさんもおるやろ。」という謎突っ込みを飲み込んで、お礼を言った。

もう二度と会うことのない彼を見送って、私も自分の車に乗り込み、フェリーを後にした。

缶コーヒー(微糖)のせいで、恐らく缶コーヒーを飲むと、彼との会話を思い出す事になる。そして、私が何か決心をして行動する時、その微糖の甘ったるさが、背中を押してくれるのだろう。


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