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味方

誰かの随筆を読むのが好きだ。
F氏から始まり、リリー・フランキーの『東京タワー~オカンとボクと時々、オトン~』、藤井基二の『頁をめくる音で息をする』、若林正恭の『ナナメの夕暮れ』等。

これらを読み、彼らの歩んだ半生や生活を追体験するのが好きだ。そして、彼らの持論に共感する。

彼らの書く文章に共感できるのは、彼らと私が似た境遇の者同士だからだと考える。これは私の持論だが、人は同じ境遇の者同士でしか、本質の部分では共感しあえないし、他人を救済できないと思う。

自分と似た人間が導き出した考え方を知る事、それは悩める私にとっての悩みを解決する為の道標となり得る。

そして、「私だけじゃないんだな、」そう思える事で救われる瞬間がある。

味方の存在に気づいた時、あの辛い日々も報われる気がする。

彼らが紡ぐ言葉達は、辛い思いをしている過去の私の事まで救ってくれるのだ。

だから、随筆が好き。誰かの人生の片鱗に触れていたいのだ。何処かに味方を見つける為に。

味方はすぐ側に

高校3年生の林田。学校が大嫌いだった。廊下ですれ違う時に囁かれる悪口、女子トイレの個室に入れば、そこは女の園。私の振る舞い方について多くの文系女子達が論議を繰り広げていた。空気の様に扱われるのに、それでも私のその都度の言動はしっかり監視され、彼女達の話のネタになっていった。完全に他人に消費された十代だった。男子からは意味の分からない理想を押し付けられ、期待外れな言動をすれば勝手に株を落とされた。女子からは悪口大会のネタにされ、自分が一体何者なのか、本来どんな人間なのか、全く分からなくなった。
そんな彼女は、約7年越しに、大学の友人によって救済される。

それは、大学時代の友人達と某遊園地に向かう道中だった。友人K君とは、音楽の趣味に始まり、神社の空気感が好きだとか、陽キャ(という枠組みに私達が勝手に分類した人種)は我々をアクセサリー扱いしているだとか、深堀すればする程、様々な側面で共感し合う点が多くあった。音楽の趣味が合う者同士は他の部分でも共感しあえるという説は、あながち間違いではなかったのかもしれない。

日常生活の中で、美しいなと思える風景がある。自然光の具合や、水面に反射して揺らぐ光等。この感覚に共感してもらう事はかなり少ないが、彼に限っては「水面が揺れる所、それが天井に反射して、光が揺らいでいる様子が好き」という感性を持ち合わせており、私はそれに大きく頷いた。私もその様子が大好きなのだ。

道中、彼との話は楽しかった。
会話は遊園地から帰路に着いても尚行われた。
「林田さんって日記とか、書く?」と、彼。
「毎日は書かないけど、心に留めておきたい事とかがあったら文章にして残すかな。あと嫌なことがあったら文章にする。」と、答える。

「分かります。僕もそれやるんですよ!」
我々は共感すると感情が高ぶり、敬語になるらしい。

彼はエッセイを書いているという。
その時の現状の説明やあとがきまで、本格的に書き進めているらしい。将来の自分と、そして過去の自分への手紙をしたためる様に、誰に見せるわけでもなく、自分の為だけに書いているのだと教えてくれた。

「ファイルに鍵までかけて、誰にも見せない様にしてるけど、林田さんには見せていいかも。読んで、何処に共感してくれるか、知りたい。」

そう言った彼の言葉が嬉しかった。学生時代は警戒されていたらしいが、今ではまるで仲間なのだ。同じ辛さを味わった、味方同士の様に感じていた。

自分の感情の昇華の方法まで同じ人がいるなんて、しかもこんな近くに。仲間意識を一方的に感じていたが、どうやら彼もそう思ってくれていたらしい。というのも、彼は自分の過去の話をしてくれたのだ。敵に自分の手の内を見せないのが我々サイドの人間の常であるが、今回彼は思い切り手の平をパーにして、自分の話をしてくれた。

下校中、大きくため息をつく坊主頭の野球少年の姿が目に浮かんだ。彼もまた、悩みの多い学生時代を送った1人だった。誰に打ち明けるわけでもなく、自分だけでこのどうしようもない感情を処理しようとした時、私の場合、孤独を感じる。当時の彼もそうだったのだろうか。

ここまで話してくれた彼に感謝しながら、私も自分の過去について話した。つい早口で、かなり饒舌になってしまった。

「K君のお陰で、あの頃辛い思いをしていた日々も、今、報われた様に感じるよ。」

「それじゃあ、俺は今の林田さんを救ったのと同時に、過去の林田さんを救ったことになるね」
彼は言った。

「ここまで似た境遇の林田さんの存在に、過去の自分は救われてるよ。その逆も然りで、きっと高校生の泣きながら下校している林田さんのことも救ってあげれたんじゃないかな。」

この会話がどれだけ尊いか、後部座席に乗っていたR君を含め、空間を共有していた3人にしか分からないだろう。味方の存在に気づかされた出来事だった。

後部座席に座るR君は、会話を聞きながら目頭が熱くなったと話していた。

生きてみるもんだな。と、思える出来事が時々ある。友人となんとなく鯉のぼりを見に行って、それが物凄く綺麗だった事。夜中にアイスを貪りながら夜道を友人と散歩した事。珍しい3人が、九州を出る友人の要望により、地方にしかないファミレスで食事をする事。

そして、思わぬ所に味方を発見した事、も、追加したい。

旅も終わる頃、3人でファミレスに入り、恋愛作戦会議を行った。少し浮き足だった当事者の彼の様子を横目に、私はデザートのミニ抹茶パフェを一口。抹茶と浮かれた顔の彼のお陰で、少し、春を感じた。

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