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尾道にて、悪い癖

2021年3月。社会人と学生の中間にいた我々は広島県、尾道市に来ていた。まだ春というには、その気配はない、どこか閑散としていて寂しい季節だった。大学卒業を控えた我々は、数日後には全国に散り散りになってしまう。その前にと、女子3人で旅行に出掛けていたのだ。

私と友人2人は同じサークルのメンバーだった。よさこい部で苦楽を共にしてきた仲間だ。と、言いたい所だが、私は2年生の半ばに戦線離脱。逃げるようにサークルからフェードアウトしていった。そんな私に、以前と変わらず仲良くしてくれた彼女達は私にとって非常に貴重な存在で、大切な友人達だ。今でもそれは変わらない。

その友人のうち、1名。ここではCと呼ぶ。

Cには、最初こそかなり警戒されていた印象だった。それは一年生のはじめ頃、まだお互いに探り合いながらサークルメンバーと雑談している最中。私はとある場面でかなりマニアックなアニメの趣味を吐露してしまい場を凍らせてしまった事があった。人間関係構築の序章の序章、このタイミングで盛大にやらかしてしまった。終わった。そう悲観しながら精一杯の笑顔で取り繕ったが、メンバー達は府抜けた顔で私を見ていた。「なんだ、こいつ」そう思われたに違いない、と絶望している私に、ただ1人熱い眼差しを注ぐ者がいた。それがCだった。

その後、
「なあ、そのジャンルいけるなら、このジャンルも好きなのか?おい、君、こちら側の人間か?」

独特な言い回しをしながら、嬉々とした表情で話しかけてくれた彼女だった。

それから仲良くなるまでは早かった。本来話さなくても良い過去の暗い話、お互いの胸の内、アイドルグループの布教(主にハロプロ)、新作アニメの布教、新人舞台俳優の布教、彼女との会話は楽しかったし、話題はいつまでも尽きなかった。
彼女が勧めてくれたコンテンツの感想を伝えれば、決まって一度咳払いをした後、
「ようこそ、沼へ。」と毎度歓迎してくれた。

そんな彼女が勧めてくれた中で唯一、なかなか手を付けられなかったものがある。
「おい、これを読みな。林に読ませなきゃと思ったんだ。」

そう言って渡してきたのは、若林正恭著書『ナナメの夕暮れ』だった。ネガティブ思考な著者の立場だからこそ導かれる彼の考え方や見解が共感を呼ぶ、そんなエッセイだ。

「林は、あまりにも悲観的すぎるし、考えすぎな事が多いだろ。たぶん林は若林に似てるよ。」

共感する事もあると思うし、それ以上に気持ちの持ち方や考え方の教科書になると思うぞ。

あまり覚えてないが、上記のような事を言われ勧められた気がする。
彼女はよく私を見てくれていたんだな。そう思った。この本を手にした彼女が私を思い出してくれた事、林に勧めようと、私の居ないところで考えてくれた事が、当時はシンプルに嬉しかった。

この本は後に私のバイブルになる。

だが、当時の私は本を読む習慣はあっても、エッセイには手を付けられなかった。若林正恭氏の性格等知らなかったし、彼の考え方が私にどう通じるのか全く想像できずに、なかなか読み進められなかった。

自分の性格をコンプレックスに思っていた私は、ひたすらエッセイや自己啓発本を読んでいた時期があった。結局、「嫌われる勇気」等の自己啓発本に頼ってみたが、どれもピンと来なかった。その末、「結局自己啓発本もエッセイも、自分とバックグラウンドや能力、性格も全く違う人間が持論を展開して気持ちよくなってるだけの本なので読んでも無駄だ」という更にひねくれた性格が出来上がってしまった。性格を治す為の自己啓発本は私の性格を更に鋭利に尖らせた。

そんな背景もあり、結局彼女が勧めてくれた若林氏の著書は借りてから半年程、自室の本棚で眠る事になった。感想も上手く伝えられなかった。読んでないから。

悪い事をした。

これが、私の内の部分をよく理解してくれていた友人Cとの背景だ。

尾道の夜、みはらし亭前にて

尾道旅行の二日目の夜。23時も過ぎた頃。
我々は深夜営業の古本屋に向かった。その帰り道での話。私達は尾道の坂の上の古民家、「みはらし亭」に宿泊していた。古本屋から宿までは、踏み切りを渡って、そして緩やかな階段で続いていた。
少し肌寒い空気、鼻と喉の奥でその冷たさを感じながら、階段を3人で登る。

それは唐突だった。

「林、私は言いたいことがある。」

Cからの突然の宣言に正直焦った。
今まで友人(と、思っていた人達)から「話がある」と言われれば、決まって悪い内容だった。こんな学生最後の旅行中に私は何をやらかしてしまったんだろう。旅行中の自分の全ての言動をフルスピードで振り返りながら、「お、うん」と、曖昧に返事をした。

「林さ、ずっと思ってたけど、おまえ謝りすぎ。」

拍子抜けした。
うざい、きもい、ぶりっこ、どの文言が飛んでくるかと構えていたが、飛んできたのは意外な台詞だった。

「林が悪くない事まで、ごめんね、ごめんねって謝ってるの気づいてる?辞めた方がいいぞ。そうやって下手に出るのが癖になると、相手に都合良く扱われるぞ。林に落ち度がない事も、林のせいにされたりするから。もう敢えて自分を下げで予防線を張るのを辞めろ。しかも私達相手に、いらないから。」

「もっと、自分の振る舞いに自信持てよ」

図星だった。自分に自信がないから、他人に対して下手に出て媚びるような生き方をしていた時期が確かにあった。当時のそれがすっかり板に付いてしまっていた。それを彼女は見透かしていたのだろか。

私を客観視し、ストレートな言葉で咎めてくれる友人の存在が嬉しかった。

今でこそ、他人に取り入る事よりも、自分を軸に生きる事ができるようになった。それと同時に何事にも自責の念を持つようになった。それは、学生時代に周囲に恵まれた結果、自分に多少自信を持つ事ができるようになった事の表れだと思う。それに至るまでの経緯に、Cとの尾道の夜の出来事も大きく作用している。

みはらし亭までの、あの夜の階段を忘れる事はないだろう。深夜の尾道、街灯は私達だけを優しく照らしていた。

みはらし亭までの道

今年の夏は、1人で尾道旅行に行く予定だ。またあの坂道を登って今度は自分で自分を咎めたい。
自分にとって恥ずかしくない振る舞いをできているか、軸は持っているか、バランスは保てているか、自信を悪い方に履き違えてないか、良心に従って生活してるか、エトセトラ。

とにかく項目が多い。自分について、最高に面倒な女が出来上がってしまった。成長なのか、衰退なのか。

「うるせえ、面倒だな、おまえ。とりま尾道ラーメン行こうぜ」

彼女がいれば、きっとこんな言葉でひと蹴りだろう。

彼女は、ツイッターで日々の独り言をあの口調のまま更新している。それを見て、いつも安心している。

どうかそのままで、いつまでも元気で。

夜の尾道水道
みはらし亭からの朝焼け







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