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たまに思い出す事

 何となく、生き物が老いていく姿を見るのが苦手だ。若く、元気だった頃を知っていれば尚更だ。これは犬、猫に限った話ではなく、人間もそうだ。老いて弱っていくのは、生き物としての常であるが、どうしても受け入れられないのだ。

大きなプードル

 転職が決まり、今の職場を離れる事が決まった。職場の近くに、大きなプードルと、少しふてぶてしい猫がいるカフェがある。私のお気に入りの場所だった。プードルと猫に挨拶をしたいと思い、最終出勤日に店へ足を運んだ。来店すると、あのふてぶてしい猫がレジの上で昼寝をしていた。相変わらずの風景の中に、あのプードルの姿がない。
以前は大きな体を連れてうろうろしては、来る客来る客の匂いを嗅いで、控えめな挨拶を欠かさなかった、あの愛らしいプードルがいないのだ。そこに居たのは、もう思うように立ち上がれず、ただ丸くなって、必死に呼吸をしている白い毛の塊だった。女の子らしい真っ白でくるくるしていた毛並みは、まるで老婆の白髪のように伸びきって、あまり綺麗なものではなかった。

目は合わないし、声をかけても反応がない。
耳も遠くなったのだろう。彼女を驚かせるのは申し訳ないので、聞こえないと分かっているが、控えめに声を掛けながら自分の手を彼女の鼻へ運んだ。少し鼻が動いたのを確認して、そっと彼女を撫でた。手のひらで彼女の骨を感じ、胸がぎゅっと締め付けられた。

思い出す事

 ご飯を食べても、太れなくなった体。立ち上がりたくても、体を支えられなくなった足。歳をとる事で奪われる「普通」。かつてできていた事がだんだんできなくなる事を、理解して、受け入れなければならない。それを全ての動物が理解しているのかは、わからない。少なくとも、もうこの世を去った私の家族、可愛い雑種犬、彼はきっと理解できないままだっただろう。

「ちいすけ」

当時中学生だった姉は、仔犬だった彼にそう名付けた。「なんか小さかったから」が、理由らしい。成犬になった彼はもう「ちいすけ」ではなかった。普通にデカかった。保育園生だった私は、その中型犬(サイズデカめ)が少し怖かった。

彼を説明すると、散歩大好き!ご飯大好き!元気!元気!といった感じだ。その元気の良さに我々家族は手を焼いていた。散歩中父の手からリードを振りほどいてダッシュする犬。脱走したのにお腹空いたら帰ってきた犬。もぐらを見つけて必死に穴を掘り、口を土の中に突っ込んで、真っ黒になった犬。それを見てケラケラ笑う姉。汚れた顔を水で洗ってやる父。怖くて母の陰に隠れてその様子を覗き見る私。可愛い、ちいすけ。いつまでも少年のような犬だった。 

 雪の日の散歩

その年は雪が積もった。家を出ると一面真っ白の雪景色で、珍しさとその美しさも相まって、私の気分は高揚していた。気の赴くままに、ちいすけを散歩に連れ出した。ちいすけ18歳の冬だった。
「さんぽ」の「ぽ」しかまだ伝えてないのに、勝手に「さんぽ」だと変換しては尻尾をバタバタ振って喜ぶ彼は可愛かった。それは18歳になっても変わらずであった。
1人と1匹、ヒンっと冷たい空気が肌を撫でた。真っ白な地面に足を埋めながらずんずん進む。ちいすけは雪に興味津々だった。雪の上には彼の小さな足跡。夏には砂浜に見つけたその足跡。飛びかかっては私の服につけた足跡。彼の軌跡を辿るように、その足跡を追いかけた。まあ、軌跡という程彼は何もしていないかもしれないが。ただご飯をもりもり食べて、ボールで遊んで、散歩をして、それだけだ。それで十分だった。

彼と一緒に歩くと、すれ違う人達がぎょっとしていたのを覚えている。痩せ細った老犬を雪の中散歩させる私の事も含めて、その状況に驚くのだろう。確かに、雪をあまり知らない彼のためにと、散歩に連れ出したのは、私のエゴでもある。なんとなく、今日散歩しないと次がないような気がして、そんな理由で彼を連れ出したのも、私の勝手だった。

もやもやしながら散歩をしていると、彼の尻尾が上を向いてフラフラ横に揺れているのが見えた。安心して、もう少し先まで散歩をした。

それから、帰り道は、彼は私の後ろを歩いた。まだ少しはしゃいでる様子もあったが、体が追い付いてないのがわかる。

これは、私と彼の、最後の散歩だ。

 続く


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