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私が本当にライターを選んだ日。

ある朝。ふと目を覚ました。まだ眠い。今何時だろうと思って、ベットのサイドテーブルに手を伸ばす。手に取ったスマホは「もう朝の9時だよ」と教えてくれた。

昨日は朝5時まで仕事をして寝たので、9時ではまだ眠い。数カ月前に会社員をしていた時は、もう家を出ていた時間だったが、その姿はもうない。

目も腕も思うように働いてくれない中で、なんとかスマホの通知を確認する。すると、SMSのメッセージが5件届いていた。普段あまり見かけないアイコンの通知に、何事だろうとメッセージを開くと、懐かしい人の名前があった。Mさん。ある会社の社長さんだ。

転職活動での出会い

私は、1年半くらい前に、新しい仕事を求めて転職活動をしていた。その時所属していた職場から動き出したいと考えたのがきっかけだった。実は私のビジョンは2つあった。一つは発信力をつけたい。もう一つはもっと人の人生の深い部分で役に立ちたいという気持ちだった。それは、その当時の仕事に転職をしたときに強いきかっけとなったものだったけど、「達成できていない」と感じて転職活動をはじめた。

私は転職先として2軸考えていて、1つは企画職、2つめはFP(ファイナンシャルプランナー)業務。発信力をつけたり、人の役に立てたり、今の自分ができることを、もっとしたい。そんな気持ちだった。

私は31歳の時に1回目の転職をした。そして35歳で2回目の転職活動をしていたのだが、転職エージェントの態度が露骨に変わっているのは感じていた。

最初の転職の時と同じエージェントで違う担当だったからかもしれないけれど、私の希望条件を伝えたら「難しいですね。面談しても良い案件をご紹介できないと思います。」と言われた。CMでもよく見かける大手転職会社だ。

そこで35歳の壁にもぶつかった。他のエージェントにも登録して、中には話をきちんと聞いてくれるところもあったけど、案内されるのは希望とは違う職種ばかり。35歳で未経験の仕事をすることの難しさを痛感していた。

そんなとき、自分で求人を探していて、FP募集の会社を見つける。

募集内容は、「今後の新規事業でFP業務のアドバイザーができる方、FP資格2級以上。」という感じだったと記憶している。

新規事業を立ち上げたシステムの会社。その会社の社長がMさんだった。

面接でのできごと

私はFP資格は持っていたものの、保険商品についてがメインの仕事をしていたため、トータルでのFP業務という仕事ではなかった。そのため少し力不足は感じていたものの、事業内容にとても共感できた。人の生活を立て直すことができることという、私の思いと重なる内容だった。この会社で働きたい!心からそう思ったのだ。

そして応募から数日後、書類選考を通過できた。おそらく資格があったことも大きかっただろう。資格を取ったときの私を、全力でほめた。

そして、面接当日はその会社の近くに1時間前についてしまった。それほど力が入っていた。そして、10分前くらいになって会社に到着し、震える手でエントランスのインターホンを取り、名前を告げて、応接室に案内される。

今か今かと待っていたら、社長と社員の方が2名、合計3名で面接が始まった。私は、緊張しながらも志望動機などを一生懸命語った。社長も社員の方も暖かく、面接は終始穏やかにすすんでいった。

しかし、それだけで終わるはずはなく「FPの試験を受けてもらおうと思っていますので、例題のこの人に対して、FPとしてどうアドバイスするか教えてください。」

そう、面接の後にFPの試験があったのである。

先述のとおり、私は保険特化型FPだったので、保険以外の分野では実務経験が乏しい。そしてその試験は保険以外の分野だったこともあり、完全に答えきれなかった。(知ってたことは話したけれど、不完全燃焼である。)

試験が終わって、社長が口を開き「今回は、新規事業のアドバイスができる、FP業務をできる方を探しているので結論からいうと、ごめんなさい。」

一瞬のうちに、(結果早かったな、でも仕方ない)という思いがよぎった。しかし、

「ですが」と社長は続けて、

「今後、FP事業が本格的に始動するときに、お声がけしていいですか?」と言ってくれたのだった。

本当にうれしかった。社長は、物腰が柔らかく穏やかに、明るく、でもしっかりと構えている。私はそこまでたくさんの社長に出会ったわけではないけれど、こんな社長がいるんだという衝撃を受けた。

ただ、私も大人なので、口約束なのかなとあまり期待をしないでいた。そして私は、もうひとつの夢である「企画職」に転職をした。

約束したこと

転職してから数カ月後。1日14時間会社にいるような激務に追われている私に、約束通り、社長のMさんからメールが届いた。事業内容の方針について説明してくれるというものだった。そして、再度本社に伺って、話を聞いた。本当に素晴らしい事業で、この事業で救われる人がたくさんいると感じた。

その事業の話や会社の説明をするMさんは、終始にこやかで「儲けるためにつくったものではなかった」というシステムは着実に売り上げを伸ばしていた。

まだ始動するのは半年後だからということで、そのときにまた声をかけてくださるという話だった。それが2019年の11月くらい。

その時は半年後の2020年6月が、こんなにも変化した世の中になっているなんて思いもしなかった。そして、半年後になっても連絡はなく、Mさんの会社も大きな影響をうけていると感じていた。私からアクションを起こせばよかったのかもしれないけど、私自身、ライターという新しい可能性を模索し始めたときだった。

なくなっていたはずの可能性

そして、2020年10月の朝。Mさんからの連絡。メッセージには、

「4月から新事業がスタートをすることが決まったので、ご連絡しました。」

「ぜひ、村嶋さんと一緒に働きたいです。」

そう書いてくれていた。

もうなくなったと思っていた可能性が、形になって私の前に現れたのだった。

Mさんは約束通り連絡をくれた。メールで事業内容が掲載された記事や雇用条件なども送ってくれて、私からの質問にも答えてくれた。そして、具体的に参加してもらいたいという会議についても調整の連絡をくれた。

以前も何度かメールのやりとりをしたことがあるけど、社長では考えられないほどの穏やかと暖かさを持っている方。会社は十億円規模の年商のある大きな会社なのに、とても謙虚に、それでいて明るくお話をされる方。一応募者だった私とも対等にお話をして下さるのが伝わってくる。お会いしたのは数回でも、本当に尊敬している方だ。

その方が、一緒に働きたいといってくれている。事業内容も、困っている人を救うための事業で、必ず救われる人がいる。その仕事をすることは、以前私が強く願ったことだ。

ただ、今、私にはライターの仕事がある。頑張りたいと決めた仕事だ。

私がライターを選んだ日

本当に悩んだ。1日中仕事が手に付かないほど悩んでしまった。何を悩んでいるのかと自己嫌悪にも陥った。でもどちらを選んだら良いのか本当にわからなくなっていた。

そんなとき、ふいに目に入った「フリーランス」の文字。

そうか。私はこの道を選んだ。それで歩き始めたばかりなのに、何も成し遂げてないのに、この道を終わらせていいのか。

友人や家族からも意見をもらって、副業としてライターを続けたらいいとか、新しい仕事がダメだったらまたライターに戻ればいい。と言われたりもした。

でも、ダメだったら戻りたいのが「ライター」ではなくて、自分がやりたい仕事が「ライター」なんだと、私の心が言っているように感じた。

そして、翌日。私は泣きながらメールを打った。「辞退します。」という文章と、ライターとしての決意の言葉。そして、ありったけの感謝と尊敬の言葉を込めて。30分、本当は1時間くらいかけて、悩んでメールを書いた。

きっと落胆の返事が返ってくるだろう。もしかしたら最悪の場合は無視されてしまうかもしれない。尊敬している人を落胆させてしまうというのは、本当に心が苦しい。

そして10分程度で、Mさんからメールが返ってきた。本当は見たくなかったが、永遠に開かないわけにはいかない。深呼吸して、意を決してメールを開く。

そこには、少しの落胆も感じさせる文字はなく、私の決断への尊敬と、励ましの言葉があった。

そして、

お互いの応援団となって、一緒に成長できれば最高ですね!」という言葉。

予想していなかったほどのMさんの暖かさに、また涙がとまらなかった。

いつかライターとして、Mさんとお仕事ができるように今を「フリーランスのライター」として頑張るんだ。心からこの出会いに感謝した。

私の気持ちを試されたような出来事があって、気持ちが固まった。

書いてたら、また涙が出てきた。

頑張ろう。





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