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「働き方」から「生き方」をみつめる 〜パプアニューギニア海産に灯してもらった希望〜


 早いもので、今の職場に勤めて2年が経とうとしています。
私にとって勤続の最長記録は2年と数ヶ月(学生の頃)なので、この調子だとそれをあっという間に超えるかもしれません。

今まで仕事といえば「まずは3ヶ月…がんばろう」
「次は半年…がんばろう」というように、「しんどくても頑張って続けなければいけないこと」だったのが、息をするように2年が経過しているなんて…。
非常にありがたいことです。

 これからお話しするのは、今勤めている職場のことでもなければ、過去に勤めていた職場のことでもありません。
かつて喉から手が出るほどに働きたかった会社のことです。
「働きたかった」と過去形で書いたものの、いろいろなタイミングや条件さえ合えば働きたいという気持ちは今でもあります。

その会社の存在を知った6年ほど前から個人的に(心の中で)応援してきましたが、
想いが積りに積って、昨年はついにnoteにてその思いの丈を綴るまでに。

私のnoteはここから始まりました。


働ける日の働ける時間に働いて、休みたい日に休める。しかも、それを会社に連絡する必要がない。
そんな職場があったらなぁ〜
…と思ったことはないでしょうか?

あるある!でも、そんなのあるわけないよね〜…
と、思いを打ち消してしまったのではありませんか?

あるんです。
そんな会社が本当に。
その名は『パプアニューギニア海産』
一体どんな会社なのでしょうか。

弛まぬ努力と、誠意、信頼…。
小さなエビ工場が歩んできた道のりや、これからのことについて。

勉強不足な点も多々あるかと思いますが、
もう一度、私なりに伝えてみようと思います。


パプアニューギニア海産とは

パプアニューギニア海産は、大阪の茨木市にある小さな工場。
パプアニューギニアの海でとれた無添加の天然エビ一筋に30年以上、むきエビやエビフライなどに加工し販売している会社です。

パプアニューギニアは世界地図で言うとオーストラリアの少し上、恐竜のような形をしたニューギニア島の「しっぽ側(東半分)」にあたる国です。
ちなみに「あたま側(西半分)」はインドネシア。

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会社名に「パプアニューギニア」が入っていることや、特徴的な働き方から国外の会社と勘違いされることもあるようですが、日本の会社なのです。


好きな日に出勤、好きな日に欠勤。連絡は不要

パプアニューギニア海産はその特徴的な「働き方」から、ニュース等メディアで取り上げられることも。
その度に様々な反響があります。

例えばこちらは工場長の武藤北斗さんが自ら新聞に投書した文章です。
短めの記事ですが、パプアニューギニア海産という会社の特徴、今まで取り組んできたこと、取り組んでいることなどが分かりやすくまとめられています。

私が工場長を務める会社のパート従業員は、出勤する日も休む日も自由で、会社に連絡は不要です。退社も30分刻みで自由にできます。出退勤時間はタイムカードで管理。さらに3月末からは分刻みで好きな時間に出勤できるようになりました。(投書より引用)

パプアニューギニア海産が取り組んでいるフリースケジュール制という働き方では、
好きな日に出勤して、好きな日に休むことができます。会社への連絡も不要です。例えば、

今日はちょっと仕事に行きたくない気分だな…、休もう。→OKです

雨で予定がキャンセルになったから仕事行こうかな。→OKです

朝起きたら子どもが熱を出していた…!仕事休みたい。→OKです

休む連絡は不要なので、「すみません子どもが熱を出して…」と会社に連絡する必要もありません。
もちろん、「代わりに入れる人」を探す必要もありません。

さらに、工場が稼働している時間内であれば、好きな時間に出勤して、好きな時間に帰る(出勤時に退勤時間を申告する)ことができます。

朝は仕事に行くつもりじゃなかったけどやっぱり行こうかな…。で、昼から出勤。→OKです

その自由さにびっくりすると同時に、様々な疑問が浮かんだ方もいるかもしれません。

それで会社(経営)が成り立つの??
そんなうまい話しある?
一体どういう仕組みなの??

パプアニューギニア海産では、フリースケジュールを取り入れてからすでに6年以上が経過しています。
 休みたいときに休めるようにしたことで従業員が働きやすくなり、仕事のストレスが軽減、人が辞めないので人件費は下がり、個々のスキルや従業員同士のチームワークは上がって、結果的に品質の向上にも繋がって…
と、働く人にとっても会社にとってもいいことづくしな中で実際に利益を上げてきました。
(と言っても、利益はあとから付いてきた という感じだったそうですが)

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ちなみに欠品したことは一度もなく求人広告費も0円だそう。
誰がいつ、何人来るかも分からないのがフリースケジュールですが、これまでの6年間で出勤人数が0人だったのは2回だけ(そのうち1回は、台風による警報が出ていた日)

ちょっと想像してみてほしいのですが、時給という働き方を選んでいるのには、なんらかの理由があると考えるのが妥当ではないでしょうか。

時給で働いている人たちは休めばその分お給料は減るわけで、そうなると生活にも困るでしょう。
だからこそ、働けるときにはしっかり働いて自分で調整する。
休みたいときには、気兼ねなく休む。
休みたいときに休めるから、働ける日には積極的に働きたくなる。

するとトータルでの出勤日数は安定して、1日単位での出勤人数の差はたいして影響がないことや、
「誰も出勤しなかったらどうしよう」という不安さえ必要なくなるのは、自然な流れのように思えます。
(誰が来ていない・遅刻している… などをいちいち気にしなくてよくなったため、武藤さん自身のストレスも減ったのだとか)

これは私が「雇われる側」だからそう感じるのであって、経営者側からするとだいぶ勇気のいることなのかもしれません。
でも、従業員の目線に立った従業員を縛らない働き方は、会社にとってもさまざまなプラスを産んできたと武藤さんは語っています(武藤さんいわく、プラスしかない)

「自由」という言葉にある種の胡散臭さを感じる人もいるかもしれませんが、自由というのはふわっとした曖昧なものではないと私は考えます。
自分で考え、選択していかなければならないので、ある意味責任が重く、自分を律する精神力が試されるような気さえします。

決められた通りに動く方が楽だという人は、自分で選ぶ楽しさを知らないだけなのでは?と過去に武藤さんは問いかけています。
ちょっとドキッとしませんか?

自分で「選べる」って、働くということに限らず 人間の本質的な喜びの一つなんじゃないかと私は思うのです。

とても自由な働き方ができるパプアニューギニア海産ですが、もとからこんな風通しの良い会社だったのではありません。
フリースケジュール制を取り入れる前は逆に「従業員を管理し、規則で縛るのが当たり前」だと武藤さんは思っていたそうです。
監視カメラまでつけて、今とは真逆だったのだとか。

でも、だからこそ誰でも変われる。自分だってそうだったのだから、と語る武藤さんには説得力があります。

そんな武藤さんが変わるキッカケとなったのが、2011年の東日本大震災。
もともとは宮城県の石巻市にあった工場が津波によって全壊してしまい、縁あって今の工場がある大阪の茨木市へ移転することになりました。同時に、働き方の改革を始めます。
震災で「生死」を見つめ直したことで、「働き方」を通して「生き方」を考えるようになっていったのです。


会社を救った働き方改革(働けない人を、働ける人に)

働き方を改革するにあたって、パート従業員の一人一人と面談を行った武藤さん。
そこで語られた「本音」から見えてきたのは、武藤さんが見えていなかった現場の実態でした。

従業員同士の嘘や、争い事。
誰も自分のことを信頼していないし、会社のことも好きではない…

従業員が生きていない、生かされていないのだと感じて、「従業員が生きるための職場」にしなければという想いが武藤さんの中に強く湧き上がったと言います。

目指したのは、従業員が働きやすい職場。
自分だったら?自分の妻がパートだったら…?
どんな会社だったら働きやすいだろう?

いつ働けるかよりも いつ休めるかが大事で、気兼ねなく休める会社ならすごくいいだろうなと武藤さんは考えました。

これが、出勤も欠勤も自由(休む際も連絡はNG)なフリースケジュールに取り組むきっかけとなったのです。
結果としてこの改革が会社を救ったとも言います。

現在、パプアニューギニア海産で働いている16名のパート従業員の全員がフリースケジュールで勤務しています。
その多くは子どものいる母親だそうです。
(※ 2月6日現在、変更あり。6年間パートとして勤めた方が2月から正社員になられたとのこと。今は正社員3名、パート従業員15名となっています。詳しくは 「好きな日に働けるパートさん」が「毎日働く社員」になった

急な病気や行事、懇談、PTAはじめ保護者の集まりなどなど、子ども中心なスケジュールになりがちな母親(父親)にとって、このフリースケジュールはとてもありがたい制度だと思います。

個人的な話ですが、私は昔から欠勤の連絡をするのがとても苦手です。
子どもを産んでからは一層その思いが強くなりました。

3月で3歳になる下の子は、保育園に入園して1年目はとにかくよく体調を崩していました。
休むべきか否かの判断、自分が休むことで他の人が出勤しなけらばならない申し訳なさ、出勤したらしたで呼び出されて結局早退… こんなことなら最初から休んでおくべきだった… などなど。
職場への連絡ひとつで、かなり精神的に削がれていました。

欠勤の連絡が不要であればそうやって悩む時間が減るのでその分ほかのことに余力を使えて、精神衛生上とてもいいなと思います。

また、(個人差はあると思いますが)子どもは寄り道や行き渋りなど想定外の行動をよく起こします。
こちらの都合で強制連行しようものなら、子どもがギャン泣きして暴れて余計に収拾つかなくなってしまったり…。
できることなら、ちょっとくらい寄り道にも付き合ってお互い穏やかな気持ちで出勤(登園)したいものです。
しかし現実には、迫る出勤時間にしびれを切らし、ギャン泣きする子どもを抱えてダッシュするなんてことも…。

出勤時間が自由であれば、遅刻の心配をしなくていいのでゆったりとした気持ちで朝(なんなら前の日の夜も)を過ごせそうですし、子どもにも余裕をもって接することができるかもしれません。

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子どものいる身としては、うれしいことだらけに思えるフリースケジュール。
しかしフリースケジュールで働きやすくなるのは、子どものいる母親だけでしょうか?
そんなことはないと思います。

例えば家族や自身に病気や障害があったり、介護が必要だったりする場合、働ける時間は限られてきます。
追いかけている夢がある人や、最初に掲載した新聞の投書の中に出てくる「30年間一度も働いたことがなかった男性」のような人、などなど…

世の中には、本当は働きたいけれど働けないひとたちがいると思います。
また、理由があってフルタイムではなく時給という働き方を選んでいる人もいると思います。

そんな人たちにとって働きやすい職場とはどういった環境でしょうか。
私は、休みたいときに休めること、そして休むことに負い目を感じなくていい環境ではないかと考えます。

「ここでなら、働ける」
そう思えるような多様で柔軟な働き方ができる職場が増えれば、多くの「働けないひと」たちは「働けるひと」になれるのではないでしょうか。


パプアニューギニア海産との出会い

私自身、数年前まで「働けないひと」でした。

春に小学4年生となる我が家の長男は、3歳半のときに広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されました。
ADHDや学習障害(読み書きなどの困難)などとともにひっくるめて「発達障害」と呼ばれ、メディアで取り上げられることも増えているので聞いたことのある方もいると思います。

いずれも脳の機能、働き方が異なることが原因とされる先天性の障害です。
その特徴は10人いれば10通りで、一概に「このような感じです」とは言いづらいためここでは割愛いたしますが、それぞれの特性に合った細やかな支援や工夫が、日常生活の中で必要になることがあります。

病気ではないので「完治」ということはなくても、「療育」や適切な支援によって 本人も周りもより生きやすい生活を送ることは可能と言われています。

息子との向き合い方に悩んでいた私はすがる思いで保健センターへと問い合わせ、何度か面談等していく中で市の「療育園」を勧められました。
地域の保育園は障害を理由に断られてしまっていたので、頼みの綱はそこだけ。申し込む以外の選択肢はありませんでした。

療育園への入園と同時に、私は短時間のアルバイトを始めました。
本音を言えば働きたくな… 働かずに療育に専念したかったのですがそういうわけにもいかず。
もともと生活が厳しかったのに加え、施設に通うには何かしらお金が必要になりますから…。

しかし、療育園の目的はあくまで療育。
保護者が関わる活動も多くあり、障害のある子どもを抱えて母親がバリバリに働きに出るのは厳しいのが現状。
私含め、母親たちの多くは就労と生活について悩んでいました。

そして療育園の保護者会は、障害のある子どもを持つ親同士という共通点はあるものの、家族構成も経済状況もそれぞれに違う人たちの集まりです。
シングルマザーで自分が働くしかない人もいれば、
夫婦二馬力でもギリギリの生活を送っている家庭もあります。
働くお母さんたちは、それぞれ切実な理由があって働いていました。

しかし働いていないお母さん、特に療育を受けるために仕事を辞めたお母さんたちにも切実な想いがありました。
ずっと憧れていた職業にやっと就いて、そこで着実にキャリアを積んできたのかもしれない。
そんな折、子どもに障害があると分かって、悩んだ末に仕事を手離した覚悟は相当なものだと思います。

子どもに療育を受けさせたい。でもキャリアも手離したくない!というお母さんの覚悟もまた、尊重されるべき決断だと思います。
両方を望むのは、決して「贅沢なこと」とは思えません。

しかし母親たちの間では意識のズレが広がっていきました。
普段は和やかでも、時折きこえてくる耳を塞ぎたくなるような陰口や、噂話。飛び交う自己責任論。
自分もどこかで言われているんじゃないかという恐怖。
例えば、仕事を理由に保護者の集まりなどに参加しない人がいようものなら、非難の的です。

みんな苦しいのです。
苦しいから、周りが贅沢でうらやましく、ズルく見えてしまう。
事情を知らないから、無責任なことも言えるし、憶測で攻撃することさえある。
特に自分が持っていないもの、諦めたものを持っている人へ向けられる嫉妬の炎は制御するのも難しい印象を受けました。

本来なら、こういうことで母親同士が争うべきではないはずです。
子どもに障害があると分かっても、働くことを諦めなくていい社会だったら…

何かを諦める前に、手を差し伸べてくれるような制度が無いわけではありません。
むしろ、日本のセーフティネットは充実しているのかもしれません。
でも、それらが正しく機能していない例も度々見てきました。
せっかくの制度も、必要なときに使えないのでは意味があるとは言えないです。

さらに、それらの情報が必要な人たちに届いていない場合もあります。
福祉制度の多くは自己申告制なため、支援を受けるには自ら情報を収集して申請する必要があります。
しかし窮地に追い込まれている人の中には、自分で情報を得る余裕すらなくなっている人もいるでしょう。
情報は持っていても、世間の声を気にして利用に踏み込めない人もいるはずです。

とりこぼされた人たちはどんどん追い込まれ、心を病んで、行き場のない思いは、時に他者への攻撃という歪んだ形となって現れて…
その歪みのひとつの形が、この保護者会だと思いました。

私はどうすることもできず、誰も敵に回さぬよう暗黙のルール(ひっそりと働き、保護者会の活動には決して穴を開けない)に従うだけでした。

非難の声に怯えながらも短時間のパートとして働いていましたが、仕事もなかなかうまくいかず…。

保護者会や療育の行事(急な予定変更もしばしば)のたびに勤務先に頭を下げてシフトの変更を申請していると、次第にいい顔をされなくなりました。
また、短時間での勤務だったこともあってかなかなか仕事を覚えられず、家に帰っても予習復習…。
休みの日でも仕事のことが頭から離れず、気が休まらない。次の出勤日のことを考えると気が重い。
生活のための仕事のはずが、仕事で生活が侵食されていくよう…。
趣味に費やす余力もなくなって、このまま心が枯れてしまうんじゃないかと怖くなりました。

仕事はどれも数ヶ月で退職。
何をしてもうまくできない、続かない、自分は居てもいなくても一緒なんじゃ…?
立て続けに短期間で仕事をやめたことで、働くということに自信を失っていきました。

家族に頭を下げ、保護者会に頭を下げ、勤め先に頭を下げ…
私が働くとみんなに迷惑がかかる。そんな思いに支配されて潰れそうでした。

それでも、働かなければそれこそ生活が潰れてしまう。
こんな私でも働ける職場はないんだろうか。
例えば、事前の連絡もなしに、働けるときに働ける(休みたいときに休める)ような職場が近くにあれば…

そんな都合のいい仕事あるわけないという気持ちと、どこかにあるんじゃないかという希望をこめて、ネットで検索しつづけました。

そこで出会ったのがパプアニューギニア海産という会社の存在であり、私にとってその存在は暗闇に差し込んだの希望の光だったのです。

残念ながら、療育の隙間時間に行って働いて帰ってこられる距離ではなかったので応募にすら至りませんでしたが。
この日本にそんな会社が実在するという事実を知れただけでも、大きな希望だったのです。


「嫌いな作業はしてはいけない」って? 大切なのは自分の意思を表明し、それを尊重してもらえるということ。

パプアニューギニア海産の働き方の特徴のひとつに「嫌いな作業はしてはいけない」というものがあります。

嫌なことや辛いことも我慢して頑張るのを美徳とする風潮の残る社会では、眉をひそめる人もいるかもしれません。

でも、嫌いな作業をしない=好きな仕事だけするというわけではありません(ニュースなど見た人に誤解されやすいそうです)

パプアニューギニア海産では、各作業工程を書き出した表を用意して、従業員に嫌いな作業にバツ印をつけてもらうアンケートを定期的に行い共有、バツ印をつけた作業はしてはいけないことになっています。
ここでポイントなのが「好きな仕事」はもちろんのこと「好きでも嫌いでもない仕事」はするということ。

その人にとって精神的・肉体的に負担が大きすぎることだけを避けるのです。
自分にとっては苦手な作業も、他の誰かにとっては好きな作業だったりするもので(もちろん偏ることもあるので、そのときは平等に振り分けるそうです)
したくないことを嫌々するより、それぞれが好きな(好きでも嫌いでもない)作業に専念できた方が効率的、という考え方です。

そして自分で選ぶことを繰り返すうちに、最初は嫌いだと思っていた作業が実はそれほど嫌でもないことに気付いたりして、バツ印がマル印へと変わったりもするそうです。逆もしかり。

「嫌いな仕事はしてはいけない」というそれ自体はさほど重要ではなく、大切なのは自分の意思を表明し、それを尊重してもらえるということ。

だから、嫌いな作業に挑戦したいと思えばそれを選ぶこともできます。
表に×印を書かなければいいのです。

自分で決めたなら、少なくとも「嫌々する」ということがなくなるので、仕事に対する向き合い方が変わってきます。そしてそれは商品の品質にも繋がっていくのです。

私生活でも、立ち向かわねばならない問題や困難はいくらでもあるもので…
仕事くらい、余計なストレスを抱えずに淡々とこなしたい…(決して、テキトーに作業するというわけではなく)
そんな人にとって、パプアニューギニア海産の働き方は魅力的だと言えるのではないでしょうか。


人は争うもの

パプアニューギニア海産では欠勤の際に連絡は不要、というより「してはいけない」と、はっきりルール化されています。
それは、「連絡してもしなくてもどっちでもいい」状態だと、「連絡した方がいいかな…」と迷う人が出てきてしまうから。

みんながルールを守ることで保たれている均衡も、ほんの少しのきっかけでたちまち綻び、そのままにしておけばその穴はどんどん大きくなり、次第に従業員同士の妬みや争いへと成長してしまいます。

武藤さんは、常に現場をよく見て争いの種となり得ることは徹底してなくす工夫をしてきました。

例えば、体調の申告。
出勤した際、退勤時間を工場入り口のボードに書き込むのですが、そのときに今日の体調の良し悪しも◯×で記入することになっているそうです。

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※挿し絵はイメージです

ボードは全員が目にすることができるため、◯◯さんは今日あんまり体調がよくないんだな…と頭の隅にあることで、例えばゆっくり作業をしていても「サボっている」と決めつけることなく、みんなが無意識にちょっとだけ優しくなれるのだとか。

このように、パプアニューギニア海産には細かなルール(挨拶のタイミング、サポートしてはいけないなど)がたくさんあるそうです。
ルールというとなんだか縛られる窮屈な印象を受けますが、パプアニューギニア海産においてルールは決して人を縛るためのものではありません。

 ルールを作るかは「従業員同士の争いが起きるか?起きないか?」で判断します。いたってシンプルです。最近ではココは曖昧だからルール化してほしいと従業員からお願いされることも多いです。
出勤日など自分の生活に関わることは自由ですが、工場内での細かなことは逆にルール作りをする。これが僕たちが無意識に作り出した争わないための重要なシステムです。

(note 好きな日に働くエビ工場・パプアニューギニア海産とは 2-3 ルールの作り方 より引用)

ルールの内容については武藤さんがnoteやTwitterでも度々取り上げているので、気になった方はぜひ覗いてみてください。
従業員を縛るためのルールではなく、ひとつひとつに納得できる理由があるため私はいつも感銘を受けています。

「人は争うもの」、だからこそ争わないためにはどうしたらいいか考え、工夫することを武藤さんは怠りません。
パプアニューギニア海産のルールや取り組みは、そのユニークさ斬新さに目が行きがちですが、紐解いてみるといずれも、「いかに人と人が争わないか」「心地よく働けるか」「自分の生活を大事にできるか」ということに重きを置いていることが分かります。

武藤さんはよく、「自分はやさしいわけではない」と言います。
私は、安易にやさしさからではないからこそ、信頼できると思っています。

仮に(これだけ会社のことを応援していると公言している)私がパートとしてパプアニューギニア海産に勤めることになったとしても、武藤さんは他の従業員と同じようにフラットに私に接するはずです。
もしも私を特別扱いすれば、争いの種になる。そんなことするはずありません。
私も、特別扱いされたくてこんなことしてるわけではないので、平等に接してもらえた方が居心地よく働けるというものです。

そして、療育園の保護者会のことを思い出すのです。
実は、就労についてはもともとは「完全に禁止」だったのだそう。
これは園や保護者会で決めたことではなく、市の方針によるものだと聞きました。

でも、それではあんまりだと先代の母親たちが市に懸命に訴えつづけた結果、子を療育へ通わせながらの就労を勝ち取ることができたのです。

しかし私が入園するときに告げられたのは
「療育に支障がなければ働いてもいい」
という曖昧なものでした。
しかも園側と保護者会側で、微妙に認識にズレがあるようでした。
「思ってたのと違う」という混乱が、母親たちの争いを招いていったのではないかと思うのです。

「就労はOK」というのは大前提で、もっと細かくルール化できていたら、少しは状況が変わっていたのではないかと悔しく思います。

当時も、この状況をなんとかできないのかと思いつつも自分自身の生活でいっぱいいっぱいで、どうすることもできませんでした。そして卒園した今も。
今、保護者会はどうなっているんだろう。
少しでも争いが減っていい方向へ変わっていたらいいのだけど… と、遠くから(引越したので)思うくらいしかできません。

だからこそ、考えるだけでなく実践できているパプアニューギニア海産はすごいと心底思うのです。


会社が積み上げてきたもの。誠意と、確かな信頼。

前述の通り、パプアニューギニア海産の工場はもともとは宮城県の石巻市にありました。
東日本大震災の津波によって工場が全壊し、債務を抱えたまま大阪の茨木市へ移転
しかし被災指定地から離れたという理由で国からの援助がなくなり、再建は思うように進まず苦しい状況がつづいたそうです。

しかも移転先の茨木市は、2018年の大阪北部地震で大きな被害を被っています。
その際、「工場は」奇跡的に無事だったそうなのですが (2018.6.18 地震被害につきまして
それにしたって、一度とならず二度までも…

しかしそんな困難にも負けず、苦しい中でも従業員が生活を大切にできること、争わず、働きやすい職場を目指すことを諦めませんでした。
その歩みは着実に実を結んでいます。

そして、パプアニューギニア海産が諦めず継続してきたからこそ、数年前に私は会社の存在を知って希望を灯してもらったのです。
そんな会社を応援せずにいられるはずがありません。

もちろん応援したい理由はそれだけではありません。
なんと言ってもエビがおいしい

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※挿し絵はイメージです

普段スーパーでよく見かけるエビといえば、インド産やベトナム産などでしょうか。
パプアニューギニア産というのは私は今まで見かけたことがありません。

パプアニューギニア産の天然エビは日本ではあまり知られていないものの、とても貴重な美味しいエビだと武藤さんは語っています。

 船凍品といい、漁獲してすぐに船の上で急速凍結しています。だから鮮度が抜群、そして薬品や添加物を一切使っていません。天然だから当たり前と思われそうですが、鮮度悪化が分からなくなるような薬が船の上で使われるのが一般的なのです。
 価格だけでなく品質や味にこだわる小売店や飲食店は少なくなりましたが、そんな人たちに支えられて僕らは30年以上継続することができています(武藤さんのnoteより引用)

天然、船凍、無農薬という三拍子がそろったエビたちは一度も解凍されることなく日本へ運ばれます。
そしてパプアニューギニア海産の工場にて解凍、選別、加工、パック詰めしていくのです。

『手作業にこだわり、薬品や添加物は一切使用しない。原材料は子どもからお年寄りまでが名前をみてパッと思い浮かぶようなものだけを使う。
例えばエビフライは「天然エビ、小麦、パン粉、水」のみを使用している。水は徳島県の山の湧き水を使うなど、細部にまでこだわる』 (武藤さんのnoteより引用)

おいしさの理由は天然エビであることや、漁獲から冷凍までのスピード、無薬品であることなどもありますが、
それに加えて従業員が心地よく働ける環境が整っていることと、それによって一人一人が丁寧に真剣に仕事に向き合えているということが、鮮度や品質に大きく影響していると思います。
よく言う「作り手の気持ちが宿る」とはこういうことなのかなと思うのです。

さらに、パプアニューギニア海産は「掃除」にまでこだわります。
手洗いから容器の洗浄、床や壁の掃除にいたるまで全てを無添加石けん(シャボン玉石けん)で行っていると言うのです。

パプアニューギニア海産は「子どもや家族や友人に食べてもらいたい食べものを作る」ことを理念としています。
海産物を扱う会社だからこそ、海や大地や自然を大切に考える。
無農薬や無添加にこだわり、極力体に心に良い食べものを作りたい、そんな思いを持っています。

私も食や健康についてはわりと興味があります。
子どもたちにも、自分にも、なるべく体にいいものを選んで買いたい。
しかしオーガニックや無農薬の食品はどうしてもお値段が高いです。
日々食べる、使うものの全てを理想通りに選び買うことは今の生活ではできていません。質よりも安さで、妥協することもしばしば。
それでも、体や地球にやさしいものを使いたいという気持ちはずっと根底にあります。

だからこそ、応援している会社がそこまでこだわっているというのは、個人的にとても嬉しいのです。
従業員の立場になってみても、自分たちが作っているものに自信や誇りが持てるというのはとても嬉しいことだと思います。
その会社で長く働ける理由のひとつになり得るはずです。

自分が所属する場所やそこにいる人を信用できない、疑念を抱いている状態ってつらくないでしょうか。
例えば自分が作っているもの、販売するものは自分の大切な人にも贈りたくなるようなものか。
お客様に商品を勧めるとき、心からオススメしたい気持ちがなければそれは自分に嘘をついていることになり、そんなことをずっと続けていれば心は疲弊してしまうでしょう。
心を無にして働いたとして、それと引きかえに何か大切なものを失ってしまうような気がするのです。

 従業員のみんなは働きやすい職場になることを望んでいる。だけどもっと望んでいるのは、「会社が自分の声に生活にむきあっている」というたしかな手ごたえなんだと。
 そして会社にとって本当に必要なことも同時に分かったのです。そのたしかな手ごたえを感じた従業員がうみだす、職場の雰囲気や流れや創造であることに。
 会社と従業員は助け合うことではじめて力を発揮しますし、会社の存在意義はそこにあるのだと思います。
 今の職場はみんなで作り上げてきました。もちろん僕は経営者としての決断はしましたが、作ったのは従業員全員です。きっと一人でも欠けたらダメだったでしょうから、退職していった人にも感謝しています。
(武藤さんのnote 働き方改革の「一歩」への勘違い より)


「会社が自分の声に生活にむきあっている」というたしかな手応え
これこそが、従業員が会社に信頼を抱く大きな鍵だと思います。

お客様を大切に、と言いながら従業員のことは蔑ろにしたりするような企業は信用に欠けます。
(そして多分、それはお客様にも伝わります)
従業員にも、お客様にも、パプアニューギニア現地で暮らす人々の生活にも真剣に向き合って今のパプアニューギニア海産があります。

パプアニューギニア海産がエビ一筋で30年以上つづいているのも、そういった誠意と信頼があってこそなのだろうと私は思うのです。


パプアニューギニア海産のエビ、食べてみたいと思ったあなたへ

ここまで読んで、パプアニューギニア海産のエビに興味を持った方もいるはずです。

食べてみたいな、どこで買えるの?通販もあるの?

ご紹介いたします。
(重ね重ねになりますが、あくまで個人的に応援しているのであって関係者ではありません)

まずはこちらの全国の販売店舗一覧をご覧ください。
もしお近くに店舗がありましたら、念のため事前に確認のうえ直接店舗にてお買い求めくださいませ。

近くにない、店舗へ行くのが難しいとう方には ご安心くださいオンラインショップでも販売しています。
写真を見ているだけでもおいしそうです。
お得なセットもありますよ。
食べられませんが、著書『生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方』も取りそろえてあります。

近隣の方であれば、工場向かいの直売店TAYUCOCOで購入することもできます。

または「シール貼ってエビもらう」でゲットする方法も。
「シール貼ってエビもらう」は、一般の方が商品パッケージにシールを貼る内職をして、お給料の代わりにエビが1パックもらえちゃうというものです。

詳しくはこちら→ シール貼ってエビもらう

時期によってはやっていなかったり、今年の5月頃に工事が移転する(工場移転のお知らせ)という話もあるので、事前に問い合わせてみてくださいね。
ちなみに移転後も全従業員が継続して勤務するとのことです。

「シール貼ってエビもらう」は、400枚でエビ1パックです。
私もこれでエビをいただいて食べました。

直売所TAYUCOCOの片隅にて、流れているラジオに耳を傾けながら黙々とシールをペタペタ。

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夫と一緒に挑戦(400枚×2)したので2パックいただけました。
殻付きエビのミックスと、エビフライです。

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鮮やかな色の殻付きのエビは、茹でただけでもとても美味しい。
偏食の息子もつまみ食いが止まらずびっくり。

殻からもいいお出汁が出て、お米と一緒に炊いてエビピラフにしたら最高でした。
他にも茶碗蒸し、チャーハンなどなど… たっぷり入っているのでいろいろ楽しめます。

パプアニューギニア海産のエビは、よくエビの下処理として推奨される片栗粉や塩をもみ込んで洗うのは厳禁とのこと(わたし、知らずにやっちゃいました…)

鮮度重視の手作業によってパッキングされたエビも、片栗粉や塩で洗ってしまうとせっかくの海老本来の味や食感が台無しになってしまうとのこと。
サラッと水にさらす程度で大丈夫だそうですよ。
次はわたしも気をつけます…!
以下もご参照くださいませ。

エビをおいしく食べるコツ

エビを真っすぐに茹でる

エビフライは、ぜひ食べていただきたい一品です。

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美味しそうに撮ろうとセッティングしていたら、肝心のエビフライを少し揚げすぎてしまった感ありますが…

薄めの衣に身がギッシリのエビフライは絶品です。
家族みんなエビフライが好きなのであっという間になくなりました。また食べたいな。


ちょうどいい、距離感

パプアニューギニア海産では、ベテランさんも新入りさんも、時給は同じです。パートリーダーなども存在しません。

飲み会や忘年会の類いも(希望する人がいないので)行われず、家族旅行などのお土産も禁止、休憩室には誰とも話したくない気分のときのための「おしゃべり禁止スペース」があるなど、昇給とか従業員同士和気あいあいといった雰囲気とは遠い職場環境です。

一見するとドライで、さみしいと感じる人もいるかもしれません。
でも、ただ淡々と仕事をこなせるのならそれでいい。それがいい。そういう人にとってはとても働きやすい職場だと言えるのではないでしょうか。

競い合い、高め合い、自他ともに成長していくことを大切にしている会社も、それが必要な場合もあるでしょう。
でも、中には とにかく平凡に淡々と仕事ができることを望む人たちが、少なからずいるのです。
もっと、そんな声にも目を向けてみることから、本当の意味での働き方改革が始まるような気がしています。

個人的には、仕事においてはこれくらいの距離感が心地いいなと思ったりします。
和気あいあいも嫌いではないのですが、仕事だけの関係の人とそこまで打ち解けるのには時間がかかってしまう性格なので…

干渉も余計な詮索もしない。自分に生活があるように、他人にも他人の生活が、生き方がある。そのことをそっと受け入れる。
そこにいていい、という穏やかな心地よさがあると思います。
そしてこれは私の想像ですが、そういう環境にいる人たちは 仲間が本当に困っているときには、見てみぬ振りなんてしないのではないでしょうか。

自分の居場所がちゃんとあれば、他人のこともいちいち気にならないし、揉め事を起こそうという気も起こりにくいはずです。
みんなが、みんなに そっと優しい。そんな穏やかな雰囲気が想像できます。

これは仕事だけに止まらず、誰もが自分の生活を大切にして生きることを諦めなくていい社会になれば、もっと寛容な世の中になれると私は思っています。


だれも排除しない考え方

パプアニューギニア海産のパート従業員の多くは子どものいる母親だそうですが、母親が働きやすいことだけに力を注いでいるわけではありません。
「お母さん」が働きやすい社会は、すべての人にとっても働きやすいはずだと武藤さんは言います。

障害についても同じことが言えると思います。
例えば息子が受けていた「療育」ですが、これは障害のある子だけへのアプローチではなく、すべての子どもに対しての接し方、考え方、そして子育てに悩む人にとってのヒントで基礎であると私は感じています。

障害のある人が暮らしやすい社会は、すべての人にとっても暮らしやすい社会ではないでしょうか。
誰かを置いてけぼりにしたり排除したりしない考え方が、すべての人が生きやすい社会へ繋がると私は信じています。

武藤さんも、障害のある人とどのように社会を生きていくかということに注目しているとのこと。
まだ実際に雇用したわけではありませんが、従業員とも話し合いながら試行錯誤をつづけていくというパプアニューギニア海産、これからも目が離せません。


おわりに。わたしが応援したい会社

私はいま、運よく働けています。
仕事が上手くいかず自信を失った時期もありましたが、冒頭でも述べたように今の職場に勤めて2年が経とうとしています。ようやく安定して働けている…と思えるようになりました。

それでも、働き方については常に模索しています。
今の職場では居心地よく働けていますが、働ける日数や時間は限られています。
収入が足りず、休みの日に日払いのバイトを別で入れてその日の食費を確保するなんてことも。
それに、いつまた働けなくなるか分からない。そう思うからです。

自身や家族が突然、病気や障害を負うかもしれない。
何らかの理由で、子どもが学校へ行けなくなったりするかもしれない。
今の仕事をつづけることが困難になる日が、来るかもしれない。

仕事を失った、もしくは失うかもしれない…
そんな目の前が真っ暗になりそうな状況のときでも絶望しなくていいように、いろんな選択肢があることを知っておきたいのです。
しかし求人を眺めてみても、なかなかパプアニューギニア海産のような働き方の職場は見つからないのが現状です。

だれもが希望を失わずに生きていける社会であってほしいし、どんな状況でも働けるような、多様な働き方ができる職場がまだまだこれから増えてほしいと願っています。

どこかに一つでも成功例があるなら、それは今後増えていく可能性があります。いつかそれは自分の近くにもありふれるようになるかもしれない。
子どもや孫の代には、もっと生きやすくなっているかもしれない。
夢物語だと言われてしまうかもしれませんが、そう信じたいのです。
だからこそ、パプアニューギニア海産は私にとってひとつの目印で、希望です。

わたしはパプアニューギニア海産を応援しています。できればエビをたくさん買いたい。
定期的に購入して、日々の食卓に取り入れたい…。

しかし我が家もいろいろあってある意味「再建中」のようなものなので、近所のスーパーの冷凍むきえびでも買うのを躊躇してしまったりします。
毎日が綱渡りのようで、ライフラインの止まる不安など「貧困」にがっちり片足あるいは両足を掴まれているような状況。
そんな日々から一刻も早く抜け出したい、そのために生きることで今は精一杯です。

そんな今の私にできるのは、こうして文章にして伝えること。
パプアニューギニア海産のことをもっと知ってもらえるように、こんな働き方があることを知ってもらえるように、エビおいしそう!って思ってもらえるように。

これはパプアニューギニア海産のためでもあるけれど、自分のためでもあり、子どもたちのためでもあり、私がいなくなったあとの未来のためでもあると思うのです。
恩恵は巡りめぐるもの。もしかしたら私は受け取れないかもしれないけれど、それでも。

パプアニューギニア海産の「ファン」が増えて、エビを買う人が増えて、パプアニューギニア海産の働き方をヒントに自分の会社でできることを考えるきっかけになったら嬉しいです。

パプアニューギニア海産の働き方がメディアで取り上げられ話題になる度に、「冷凍だからできた」「大きな会社では無理」などという声をちらほら見かけます。
そういう固定観念があるうちは確かに無理かもしれません。

例えば保育所のように、子どもの年齢や人数に対して保育士の配置基準(人数)が定められているような職場では、確かにフリースケジュールは難しいかもしれません。
万が一だれも出勤しない、人数が足りないとなってしまっては大変です。怪我や事故に繋がりかねません。

でも、パプアニューギニア海産の働き方をそのまんま真似をするのではなく、大切なのはそれぞれの会社がどれだけ従業員の(生活の)ことを考えて、働きやすい環境を目指し試行錯誤しているかだと思うのです。
そのためにできることは、その会社によって違うはずです。

パプアニューギニア海産の働き方はとても魅力的ですが、何よりも魅力的なのは(決して表面的なアピールで終わらずに)従業員にとって本当に働きやすい職場を目指して動いている、それぞれの生活を大切に思っているということ。

私がパプアニューギニア海産の働き方や、武藤さんの考えに魅力を感じる一番の理由はそこだと思うのです。
そして海や自然を大切にし、パプアニューギニア現地の人々の生活にも寄り添いながら経営していることも、応援したくなる理由のうちです。

自分にも大切にしたい生活があるように、目の前にいる人の生活を、ほんの少し想像してみる。思いを寄せてみる。
その生活を尊重するために自分(会社)ができることは何か、考えてみる。
それはきっとどんな会社にも、そして仕事以外のどんな集団生活においても、出来うることだと思うのです。

(なんて、ずいぶんと偉そうなことも書いてしまった気がしますが…
私も人のこと言えない部分がたくさんあるので、まずは身近な、目の前の家族との関係から見つめ直していきたいです)


パプアニューギニア海産の歩みを見ていると、
職場も、社会も、世界も、自分の生活も、きっとまだ良くしていけると思えてきます。

自分に何ができるのか、何をしたらいいのか、すぐには思いつかないかもしれないけれど…

とりあえずは、自分や誰かの「生き方」に想いを寄せて… 今日も生きてみようと思います。

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【参考にした文書、リンク】

好きな日に働くエビ工場・パプアニューギニア海産とは

好きな日に働ける「フリースケジュール」の定義を考えた

好きな日に休むエビ工場の11の改革

オーガニック、水産工場だからこそ、無添加石けんを使う

働き方改革の「一歩」への勘違い

体調が悪くて、でも頑張って、なのに文句はつらいから

他、武藤さんのnoteの数々

パプアニューギニア海産のHP→株式会社パプアニューギニア海産

リクナビnextジャーナル→ 好きな日に働き、好きな日に休む。嫌いな作業は“やってはいけない”──「小さなエビ工場」に大逆転をもたらした“会社のルール”とは

他にもYahoo!ニュース等参考にしたページがあったのですが、記事が削除されていたため割愛しております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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