キーリングからひとつ、キーを外す
外出する時にもつ鍵。
キーリングにかかるのは、ひとつは自宅の鍵。もうひとつは実家の鍵。
およそ実家を出て十数年となる。
ただ実家が近くということもあり、キーリングに二つつけて束にして過ごしてきた。
まぁいつ帰るかわからないが、帰る際に見つけるのも面倒だ。
つけておいて、荷物になるものではない、ということで、実家を出た際につけて、ずっと付けていた。
その鍵はいつしか、意味をなさなくなっていた。
なぜならもう、その鍵で開けるべき扉はもう、どこにもないのだ。
比喩、というわけではなく、もう本当にあるはずの場所に行っても、無い。
正確にはその風景をまだ見ていないのだが、すでに扉はないはずだ。
さびしい、というものではない。
そういう感傷ではないのだが。
ないのだ。
なくなったと知っていたはずなのに、後生大事に鍵を肌身離さずもっていたことに気付いて、少し滑稽に思えたのだ。
そんな自分と、その行為に。
そうしておくのが当然だったので、そうしていた。
案外、そういうことは多いのだろうな、と思えた。
毎年訪れる、父の日。まったく親不孝なことに、父の日に贈り物を成人してから贈った記憶がない。
毎年、父の日が近づくたびにーー
ーー送らないでいい、と、そうおもってきた。
それを後悔しているというわけではない。
なにかをしておけば、心が軽くなったとも思わない。
けれども、今年の父の日。
もう、そう思う必要もないんだな、と思った。
と同時に、ジャラリと鳴る鍵がもう不要なものだと、気づいたのだ。
その鍵を使うことは2度とないだろう。
なにせ、使いようがないのだから。
家について、キーリングからひとつーー鍵を外した。
そしてーー机の引き出しにそっとしまった。
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