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「ベーシックインカム後の仕事」ショートショート

ベーシックインカムがこの国で普及して十数年。

当初はいろいろと議論はあり、開始当初は混乱もあったが、5−6年過ぎたあたりでひと段落し、いまではそういう社会システムとして常識になっている。

ベーシックインカムにより、ようやく文化的最低限度の生活が下支えされ、ある意味世の中は平和になった。

最低限度がどの程度か、と導入前は不安だったが技術革新が、それを払拭してくれた。
生活維持費や娯楽費を極端に下げてくれた。
本当に働かなくても、そこそこの生活ができることで、人々は安心し、満足できた。

もっとも、一番の懸念だった労働力だったが、これもそこまで問題なくなった。

技術革新による自動化の功績が大きいとはいえ、一定数働きたい人はいるものだ。

「〇〇、昨日頼んでおいてくれた仕事、どうなった?」
「あ、はい。これです」

「お、ありがとう。さすが仕事が早いな。〇〇に任せると安心だよ」
「ありがとございます」

褒められて、気分が高揚する。
「これもやっておいてもらえるか?」
「わかりました。この前みたいな感じでいいですか?」
「ああ。そう。頼りになるな」
「おだててもなにもでませんよ笑」
「本当さ。こんな世の中なのに、わざわざ仕事をしようだなんて稀有で、しかも優秀ときたら、褒めるくらいさせてくれよ」

「ありがとうございます。でも、毎日、動画ばかりみていても暇ですから、こうやって仕事をしている方が有意義ですよ」

「そういう

そう答えてから、〇〇は任された仕事を行なった。

ーーーーーーーヴィン。

「・・・・ふぅ、今日はここまでにしておくか」

そういって、仮想空間を映し出すディスプレイを〇〇は外した。

技術革新が進んだ今の現代社会で、オフィスや対面での仕事のやり取りなど皆無に等しい。

あえてやるとすれば、いまのようなほぼ現実と変わらないやりとりができる仮想空間で体感を共有してだろうか。

いまのような、雑務のようなやりとりも「仕事」も、現実にはもう存在しない。

いまの仕事はバーチャルな、架空の「仕事」だ。

旧時代の仕事を模した「ごっこ」。

だからノルマもないし、怒られることもない。
人間関係でなやむことも、本当のトラブルもない。

人は娯楽だけでは生きられない。
仕事でより高度の自己実現を目指すひとたちも確かにいる。けれども、それは本当に一握りだ。

多くの人は、娯楽だけで過ごし、それに物足りなさを感じた人は

「ごっこ」遊びに生じる。

これに金銭は発生しない。それだったら、働けばいいんのに、と旧世代の人はいうのだろう。

けれども、わずかな金銭のために過大な疲労と心労を負わなければならない仕事に、価値を感じるのは難しい。

いや、過大な労力を賭して、わずかな金銭しか得られないとしたら、その労働をする価値などあるのだろうか?


そして多くの人は、これにより、いさかいが減ったことを実感していた。

楽になったのだ。
擦り切れるような毎日と忙殺される日々の無意味さに、きづいてしまったのだ。



うん、これがちょうどいい。

そう呟くと「仕事」後の心地よい疲労感と達成感を〇〇は確かに感じてた。


最後まで読んでくれて thank you !です。感想つきでシェアをして頂けたら一番嬉しいです。Nazy