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生身の、剥き出しの人間 『嫉妬 / 事件』

2022年にノーベル賞を受賞したフランス人作家アニー・エルノー。初めて彼女の作品を読みました。小説ってこんなに生身の人間を直に曝け出すことができるものなのかと圧倒されました。

『嫉妬』は若い元恋人が他の中年女性と同棲することになったことから、筆者と思しき中年女性の主人公が嫉妬に身も心も焼き尽くす物語です。
新しい彼女の名前を元恋人に聞くものの、頑なに教えようとしない彼。次第に主人公の頭の中は、元恋人の新しい彼女という未知の存在に埋め尽くされていきます。狂気すら孕んだその嫉妬心ですが、突き放したような文章には激情を掻き立てようとするような煽りはなく、感情のままに流される部分が一切ありません。

おそらく筆者自身の経験を書いているのですが、ごくごく個人的で親密な出来事を深く正確に綿密に、的確な言葉だけを重ねて描きます。恋愛、しかも自分が経験した恋愛で、決して美しい立場にはいない自身の姿をここまで徹底的に客観視し、分析し、言葉に表せる精神力に引き込まれました。アニー・エルノーは自己憐憫に浸ったり、悲劇のクイーンを気取ったり、自己を特別に見せるような衒いがありません。感情に溺れてしまわない、冷徹とも言える明晰さに強く打たれました。ドロドロ、ネチネチしがちな主題ですが、『嫉妬』にはありがちな嫌ったらしさや安っぽい甘えがありません。こんなに興味深く面白い嫉妬心を読んだのは初めてでした。


『事件』は1963年、中絶が犯罪であったフランスで違法の堕胎をおこなった、当時大学生だった筆者自身の経験を書いた小説です。どのようにして中絶が行われていたのか、私はこれまで全く知りませんでした。目を逸らすことのない生々しい描写に気分が悪くなる人もいるかもしれません。しかしこれが、筆者の生きた現実なのです。男女を問わず全ての人が知っておく必要のある物語だと思いました。


両作品を通して、個人的な経験を徹底的に分析し突き詰めて行くことで文学に昇華させる彼女の手腕にとても惹かれました。自分自身とがっぷりと組み合って、甘えや衒いに陥らず言葉に書き尽くす姿勢、その胆力は一昼夜で身につくものではありません。小説とはこういう書き方もできるのか、と世界を広げてくれる作品でした。



ところで本書のレビューを読んでいると、中絶に関して、日本に比べるとフランスは遅れているんだなあ、という主旨のコメントを書いている人が何人か見られました。果たして、本当にそうなのでしょうか。日本の中絶の現状について無知だったので、調べてみることにしました。


日本では1907年に施行された刑法によって現在でも「堕胎罪」が規定されています。1948年には優性保護法が制定され、例外として中絶が認められるようになりましたが、優性保護法の人権侵害が問題視され、1996年に母体保護法と改正されます。母体保護法により中絶できる要件は次のように規定されています。

母体保護法 第三章 母性保護
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によってまたは抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は,配偶者が知れないとき若しくはその意志を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の意思だけで足りる。

https://www.jaog.or.jp/qa/confinement/ninsinshusanqa5/


現在でも「堕胎罪」は刑法に定められており、母体保護法の要件に沿わない形で堕胎が行われた場合、女性には「堕胎罪」が科せられます。この際、妊娠させた男性は何の罪にも問われません。

日本では中絶を行う際、原則として配偶者の同意が必要とされています。世界203カ国のうち中絶に配偶者の同意が必要なのは、日本、台湾、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、シリア、イエメン、クウェート、モロッコ、アラブ首長国連邦、赤道ギニア共和国の11カ国・地域だけだそうです。

人工妊娠中絶を行なっている病院のウェブサイトをいくつか見てみたのですが、法律上の配偶者でなくとも事実婚のパートナーがいる場合はその同意を求める病院もあり、現場によって判断が分かれているようでした。妊娠したのが配偶者の子供ではない場合、その子供を妊娠させた男性と配偶者、2人分の同意書を求めると明記している病院もありました。

日本では、金属製の器具を子宮に入れてかき出す掻爬法、プラスチック製の筒などを子宮に入れて吸い取る吸引法という2種類の外科的な中絶法に加えて、2023年に経口中絶薬が承認されました。経口中絶薬が適用されるのは妊娠9週までです。2023年6月の時点で経口中絶薬を処方しているのは全国で15施設。経口中絶薬の価格はおよそ5万円、合わせて診察料と入院費などがかかるため経口中絶薬による中絶の費用は10万円程度になると見られています。国民健康保険は適応されず自己負担となります。

WHOが2021年に発表した「安全な中絶に関するガイドライン」では、掻爬法による中絶は体内を傷つけるなど安全性に問題があり女性に強い痛みを強いると指摘されており吸引法や薬による中絶が推奨されていますが、日本では今でも掻爬法による中絶が広く行われています。

妊娠12週未満に行う初期中絶の費用は健康保険の対象にはならず、全額自己負担になります。相場は10万円~20万円のようです。妊娠12週以降は中期中絶となり、身体的・精神的負担が大きくなり手術のリスクが高まりますが、出産育児一時金の申請が可能になります。

一方、フランスでは中絶にかかる費用には国民健康保険が適応され、自己負担は一切ありません。先払いの必要もありません。配偶者の同意は必要ありません。経口中絶薬は1988年に承認されていました。そして2024年3月4日、世界で初めて女性が人工妊娠中絶を行う自由が憲法に明記されることが決定しています。


以上です。インターネットで調べた情報なので、間違っている部分もあるかもしれません。気づいたことがある方は教えてください。


中絶について、たったこれだけの情報ですが調べるためには時間とエネルギーがかかりました。ここには全て書けていませんが、おかしいと思うことがたくさんあって疲れました。

でも世の中にはまだまだもっともっと知らなくてはならないことがたくさんあり、矛盾していることやおかしいことがまかり通っていると思います。当事者にならなければ気が付かないこともたくさんあると思います。そのひとつひとつを自分で調べて確認して考えるためには膨大な時間とエネルギーが必要です。さらにおかしいと思う仕組みを変えようと思うなら、考えるだけでは足りません。実際に動いて声を上げなくてはいけません。自分の日々の生活を維持しながら社会に訴えかけるということは、並大抵の覚悟ではできません。それでも動いている人たちがいる。私が今当然のように受け取っている権利は、そうして声を上げて動いた人たちがいたからこそ、与えられているものなのです。今だって世の中を少しでも良い場所にしようと声を上げている人たちがいるはずです。そういう人たちの声にもっと耳を傾け、サポートすることもひとつの有効なアクションだと思います。自分も動く必要があると強く感じました。


参考:
日本産婦人科医会 人工妊娠中絶ができる条件とは何ですか?
https://www.jaog.or.jp/qa/confinement/ninsinshusanqa5/
中絶に「配偶者同意」が必要なのは日本を含めて11か国・地域のみ(世界203か国中)
https://cdp-japan.jp/campaign/gender_equality/fact/006
NHKみんなでプラス 人工妊娠中絶で配偶者の同意は必要か 日本の産婦人科医たちの戸惑い
https://www.nhk.or.jp/minplus/0029/topic082.html
経口妊娠中絶薬 どう使う?安全性は?費用は?
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1556.html
いまだに「かき出す中絶」が行われている日本の謎
https://president.jp/articles/-/30080
進化してきた世界の中絶とこれから変わるべき日本の中絶
https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2022/11/post-201944.html
フランスが中絶権を憲法に明記 世界初
https://www.bbc.com/japanese/articles/cljlr5zrdl2o
Interruption volontaire de grossesse(IVG)
https://www.service-public.fr/particuliers/vosdroits/F1551#:~:text=Le%20co%C3%BBt%20d'une%20IVG%20instrumentale%20est%20rembours%C3%A9%20par%20l,la%20dur%C3%A9e%20de%20l'hospitalisation



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