連載小説「オボステルラ」 5話「彼方星の下で」
5話 彼方星の下で
その日の午後から、一同は動き始めた。
長兄・次男・三男の体力組は、集落の方へ水を届けた後、リカルドの計画に沿って押し車を使って石を集めに行った。
リカルドはアドルフとゴナンを伴って、現地調査へと赴く。
「俺はこっちにいても役に立たないから、石運びの方を手伝うよ」とゴナンは渋ったが、ゴナンの体が心配だった2人は無理矢理引っ張った。
そうしてゴナン達がやって来たのは、泉よりも少し西側にある荒野。といっても、ここもかつては緑が生い茂る草原だったのだが。
「さっきアドルフさんがおっしゃっていたのは、ここですか?」
「ええ、言われてみれば確かに、この付近は割と最近まで枯れていない草が採れていたんですよ」
アドルフにそう聞き、リカルドは少しくぼんだ一帯へと進んだ。土を触ったり、手持ちの木のスコップで少し掘ってみたり。太陽を見て、何かの道具を取り出しては方角を図ったりもしている。アドルフは興味津々でいろいろと質問する。2人とも楽しそうだ。
「ゴナン、来てごらん」
退屈そうにしているゴナンに気付いて、リカルドが呼んだ。
「恐らくなんだけど、枯れた泉とお屋敷様の井戸は、水脈が違うと思うんだよね。泉は北東側の方からだと思う。あっちの地域も干ばつが続いていると聞いているから、山に水が無いんだろう」
「井戸の方は、川と大本は同じということですか?」
「うーん、でも、川の水もずいぶん減っているようだったし、なんとも言えないけど…、この感じだと、お屋敷様のところの水脈に近いのは間違いなさそうかな。もしかしたら、真西の方角かもしれない。あちらの高地は、何か気候が変わったような話は聞いていないから」
北の広大な山地、そして西の高地、それぞれの向こうには隣国・エルラン帝国の領土へとつながっている。
「他所の天気の話、どうして知ってるの?」
「まあ、旅先の宿やバーで知り合った人から聞いたり、かな…? 今は周辺の国と争いは起こっていないから、国境を越えて旅や商売をしている人が多いんだよ。僕もここに来る前はエルラン帝国の方にいたしね。まあ、逆に人の行き来が少ないこの村の情報は、まったく届いていなかったわけだけど…」
「へえ…」
隣国から旅をしてきた、というスケール感に、ゴナンが目を輝かせて話を聞いている。
「この土、触ってみて」
30cmほどスコップで掘った土をすくい上げて、ゴナンに持たせた。
「しっとりしている…」
「湿気があるね。ここは、行けるかもしれない。少し窪地だから、そこまで深く掘らなくても水が出るかも」
アドルフもワクワクと土を触った。
「…なるほどなあ。そうやって水脈を予想するんですね。村人が元気なうちに早く知っていればなあ…」
どれだけ知識が豊富でも、この村にいるだけではどうしても限りがある。リカルドはふと、疑問に思っていたことをアドルフに尋ねた。
「そういえば泉が枯れ始めたとき、井戸を掘ろうという話にならなかったのですか?」
「もちろん、なったさ」
アドルフは両手で土をもてあそびながら、吐き捨てるように続けた。
「この村で水脈を探すのは、占い婆さんの役目なんですよ」
「ああ…」
ん?とリカルドは疑問を抱く。
「でも、この村には井戸はないですよね? これまでに占い師さんが探し当てた水脈は?」
「過去にあったかは分かりませんが…。最近だと、1つだけありますよ。お屋敷様の家の中の井戸です」
「なるほど…」
アドルフは両手ですくった土をザザッと下に落とす。
「なまじ実績があったものだから、その婆さんが占った場所を5~6箇所は掘ったかなあ。何にもでなかったけど。挙げ句の果てに、掘った穴の土が崩れて埋まってしまう人が出てしまう有様で」
「周りを固めながら掘らないと、崩れてしまいますから」
だからこそ、リカルドは兄達に大量の石集めを依頼している。
「で、その婆さんも半年前に死んでしまって、占いの後継ぎがいなかったから、だれも水脈を探すことができない、ということになんです」
兄弟達が触れがたい村の掟なのだろう。この村人達はずっとそうやって、生きてきたのだ。
「ここ、水出るかな?」
ゴナンがリカルドに、真っすぐな質問を投げてきた。アドルフは少し複雑な表情をする。水が出ても出なくても、きっと村の何かの感情を掘り起こすことにもなる。
「正直、最終的には掘ってみないと分からないんだ、こればかりは。でも、最善を尽くすよ」
そうして、ニコッとアドルフとゴナンに笑いかけた。
「出なかったら、また次を掘ればいい。命が続く限りね」
冗談なのか本気なのか、笑顔でそう語るリカルドに、ゴナンは少し空恐ろしさを感じていた。
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それから数日かけて、石を集め、現地を調べて掘る場所を決め、掘る道具をなんとか調達する、という作業を、極力、村人やお屋敷の方に感づかれないように行った。
水を集落に届けつつ、リカルドはアドルフとゴナンを伴ってお屋敷様も度々訪問した。ゴナンの家にきちんと定期的に水や食材が届くように、念押しのためだ。といっても、ゴナンには3人がただの世間話をしているようにしか見えないのだが…。
(兄ちゃんも悪い大人じゃないか…)。
持て余していると、いつも3人を迎える門番の壮年の男性が、部屋の隅からじろりとゴナンを見てくる。ニコリともしない。警戒されているのか、良く思われていないのは間違いなさそうだ。
「あの屋敷には、週に1度、どこからか食材の便が来ているようだね。それだのに村人からも水と交換で食べ物を集めるなんて、強欲なお方だ」
お屋敷からの帰り道、リカルドがそう分析していた。そもそも、そんなに頻繁に人の出入りがあるのならば、この村の惨状をどこかに訴えて救援を求めるくらいのことを、しても良いだろうに……。
「週に1度も? なんでそう思うの?」
ゴナンが首をかしげる。
「新鮮な果物が届いていたろう? あれが出てきたのが大体、そのくらいのルーティンだったからね。あまり日持ちがしない果物があるから」
「他の食材も、新鮮なものが多いですよね。その上、この村では手に入らないものばかりです。いったいどこから運んできているんだろう」
「うーん、僕が思うに…」
アドルフがリカルドとまた、何やら難しく話し始めた。ゴナンはなぜかこちらのチームかのように振り分けられているが、こうなると1人、用なしだ。2人の会話に耳を傾けつつ、とぼとぼ歩く。
「マルルの実は、ゴナンがお屋敷様の家で気に入って食べてたのを見て、また仕入れたんじゃないかなあ。卿も可愛らしいところがあるね」とリカルド。
「あの、すごい甘かったピンク色の実? あれは、なんなんだ。すごい、甘かった!」
珍しくゴナンが興奮気味に声が大きくなり、アドルフを驚かせた。リカルドも思わず破顔する。
「ふふ、あれは結構な高級品なんだよ。僕も滅多には食べられないな」
「そうなんだ…。この機会が終わったら、もう一生食べられないんだろうな…。もしまた、出してもらえたら、大事に食べよう」
しみじみと呟きながら、心地が悪かったのかターバンをよいしょとずらすゴナンに、リカルドが何かを言おうとしたが、アドルフの方を見て言葉を止めた。代わりに、少し困ったような笑みをゴナンに向けた。
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夜。この家では、とてもささやかではあるけども、晩餐の時を過ごすのが定番になっていた。干ばつが訪れる前のように。
少しの食事をして、各々が思い思いにひとしきり語り合う。
いよいよ翌日から、井戸掘りを本格的にスタートする計画だ。それぞれが寝床に向かう中、またしても気分が高揚したリカルドはこっそり外に出て、件の酒小瓶を開いた。あの日以来、2回目。
今日もまた彼方星がよく見える。
「ああ、キレイだなあ」
(ユートリア卿の弱みを握って食糧得て、と、少し罪悪感があるけども…)
しかし、今の村の状況を考えると不謹慎でもあるが、この村での日々はリカルドにとってかけがえのないものになっていた。そもそも、彼が何週間も1箇所にとどまること自体が珍しいのだ。その上、滞在先に深く関わっている。いつもは時に追われるように、次の旅先へと急いてしまう。
「何してるの?」
ゴナンが背後から急に現れ、わわっとリカルドは驚いて声を挙げた。
「ゴナン、まだ起きてたんだ」
そういえば最近ゴナンは、あのハンモックでぐったり寝ていることが少なくなってきた。朝も早く起きている。まだまだ痩せて骨と皮ではあるけども、なんとも、健やかだ。リカルドは自分の隣に座るよう促す。
「ちょっと、悪い大人の飲み物をね」
「すごい、透明なお酒、初めて見た」
先日のアドルフと同じように、琥珀色の瞳に好奇心を湛えて瓶を見る。流石に一口どうぞ、とはいかないが。
「明日からいよいよ、井戸掘りが始まるね」
「水、出るかな?」
「それはやっぱり、掘ってみないと分からないよ。ただ、なるべく確率が高そうな場所を、時間をかけて選定しているから、出てほしくはあるね」
そうか…、とゴナンは少し考える。
「…彼方星にお願いする? あの星が願いを叶えてくれるんじゃ無かったっけ?」
赤い星を見上げて、ゴナンが尋ねた。
「卵じゃなくて、彼方星? そういう言い伝えもあったかな」
「兄貴達がよく星を見て、話したりしてるから」
アドルフだけでなく、兄達も皆、星に興味があるらしい。もしかしたら、亡くなった父親は星学にも精通していたのかもしれない。
ゴナンは、少し言いにくそうに続けた。
「…今日、帰り道に何か言いかけていたのが、気になって」
「あ…ああ、気付いてた?」
リカルドは器に入れたキィ酒をぐいっとあおって、ゴナンの方を見る。
「いや、あれはね。ゴナンがマルルの実は一生食べられないかもって言ってたけど、その気になれば食べる機会なんてこれからいくらでもあるよ、って、言いたかったんだよ」
「?」
「…つまり、例えば、僕と一緒にこの村を出て卵を探しに行ったりしてさ、その旅先で、マルルの実だけじゃない、もっと珍しい食べ物と出会えるし、いろんな景色や国や、人や…」
「……」
村を出て、卵を探しに、リカルドと旅に出る。相変わらずゴナンにとってはおとぎ話のような絵空事だった。ただ、1ヵ月前までは、そんな絵空事を思い浮かべることすら、なかった。
「……なんでリカルドさんは、俺にそんなことを言うの? 初めて会った日にも、同じ事を言ってたけど」
兄のアドルフを誘うのならまだ、わかる。兄がこんなにも楽しそうに誰かと話をするのを見るのは、初めてだった。同じ事が好きで、何かを知ることの喜びを分かち合えて、感性が合っている。傍目に見ていても、よく分かった。
「うーん、そうだね…。ゴナンが、何も欲しがってなかったから、かな?」
リカルドは、あえてアドルフに答えたのとは違う言葉を選んだ。
「?」
「何かが欲しい、とか、何かをしたい、とか。夢、とか…」
「俺も、ご飯や水は欲しいと思ってるし、体が大きくなって狩りや畑で役に立ちたいと思っているし…」
「ああ、うん、それはとても大事なことなんだけど」
うーん、どう伝えればいいかな、とリカルドは悩む。
「欲っていうか、野心っていうか。叶えたいことがあって、そのために一生懸命になって、辛くて逃げたいことがあったり、苦しいことがあったり、たまに楽しいこともあったり…。その繰り返しで、自分の人生っていうものが積み上がっていくと思うんだけど」
琥珀の目が、じっと、語るリカルドを見つめている。
「ゴナンは、まだ何も始まっていないまま、この干ばつで命を削り取られていってるように、感じたんだ…」
「…何も欲しがらないのは、よくないこと?」
「いや、決して悪い生き方ではないよ、特にこの村ならね。否定してるわけではないんだ。ヘタに欲がありすぎると、お屋敷様みたいになったり、その弱みにつけ込む悪い大人が出てきたりするわけだしね」
いたずらっぽく微笑むリカルド。
「…ただ、ちょっともったいないなあと、感じてしまうんだ」
「もったいない?」
思わず口にした言葉に、リカルドはハッとした。
「ごめん。最後は余計な一言だった。これは僕のエゴというか、要らないお世話だね。まだ君は15歳で、時間はたくさんあるんだからと、つい羨んでしまって」
「……」
しばし、無言の時が流れる。困ったように頭をかくリカルド。ゴナンが沈黙を破った。
「……でも、それは兄ちゃん達もじゃないの?」
「うーん、お兄さん達は、もう大人だってこともあるけど、この村で生きていくことに、何かの使命を持って日々を過ごしているような気がするんだよね。そう感じるだけだけど」
それはアドルフも含めて、だ。だからこそ、リカルドは彼を旅には誘わない。
ただ毎日を生きるだけでも必死にならなければならないこの村に、あれだけの人物達があえて居続けていることからして、何かの確たる意志を感じる。そしてそれが、この村を支配しようと言った類のものではないのが、不思議ではあるのだが。
「まあ、いろいろ言ったけど、僕がゴナンを気に入ってしまっているってことだな、きっと」
そういってリカルドは、ははは、と笑った。冗談なのか本気なのかお酒の戯れ言なのか、わからない。もう一口、キィ酒を口にする。
「リカルドさんは、叶えたいこととか、逃げ出したいこととか、あるの?」
「まあ、それはあるよ。大体、誰にでもあるものさ」
「でも、『鳥の卵を得た者の夢が叶う』ってのは、信じてないんでしょ」
リカルドがお屋敷様に話していたことだ。
「そう、だから自分の力でどうにかしなければいけない…。のだけど、『卵で夢が叶わない』という証拠がどこにもないのも、まごうことなき事実なんだ」
「うん」
「…僕は、鳥と卵の伝承が、広い世界中にほぼ同じ形で広まっていることの不思議を解明しようと、旅をしているわけだけど」
「うん」
「……もしかしたら、もしかしたら、万が一の確率で、その伝承が事実だからこそ同じ言い伝えとして広まっているんじゃないかと、本当に、ほんのちょっとだけ、期待している心もあるんだ。だから、卵を手に入れたいし、鳥を追っかけている」
「…うん」
リカルドの表情が、穏やかではあるけども、ピリリと熱を帯びたようであった。
「…ねえ、旅って、どういう風にするの? 他所の街には勝手に入っていいの? 宿ってどんな場所? いつもテントに寝るんじゃないの?」
「…今日は、なんだかよくしゃべるね…」
「うるさいなあ、知りたいんだから、教えてよ」
少しふくれっ面にはなったが、ゴナンはまだまだ眠くないようだった。これまでの何かを取り戻すかのようにいろんな質問が出てくる。リカルドも楽しくなって、酒を飲むのも忘れてゴナンの質問に答え続けた。彼方星はまだ宵闇の南空に在る。
この夜、ゴナンは生まれて初めての夜更かしをした。
↓次回の話
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