人種差別が当たり前の世界で生きる
私は、ヨーロッパとアジアの間にあり旧ソ連の構成国だったジョージア(旧名:グルジア)という国に住んでいます。
この国には人種差別が当たり前のように存在しているので、今まで見てきたことや感じてきたことについて書きたいと思います。
震えるほど憎んでいる人に「人種差別は良くない」と言えるか
2008年に隣国ロシアとの戦争を経験しているジョージアには、その戦争で家族や故郷を失った人も沢山います。
2022年にウクライナとロシアの戦争がはじまったことで、彼らの怒りや悲しみの気持ちが再び強まりました。
あるジョージア人とその話をしたときのことが印象に残っています。
彼は、真っ赤になりながら震えた手でスマホのGoogle翻訳に文字を打ち込みました。(英語よりジョージア語のほうが伝えやすかったのだと思います)
そこに書いてあったのはこんな言葉でした。
「私たちは2008年の戦争で自分の国を守ることができませんでした。心が痛いです。ジョージア人にはロシア人とは違う明日があります。ロシア人は、全員ではないですがほとんどが自分たちのことを最高だと思っているから好きではありません。そして彼らは、私たちの土地を奪っていることを認めません」
※ 「自分たちのことを最高だと思っている」
ジョージア人はときどきロシア人のことをこのように形容します。他にも聞いたことがあるのは「偉そう」「当たり前のようにロシア語で話しかけてくる」「ジョージアをロシアの属国だと思っている」「帝国主義的な態度」など
※ 「土地を奪っている」
ジョージアにはアブハジアと南オセチアという2つの自治区があり、ロシアによって国としての独立を承認され、ジョージア国内にありながら実質的に別の国として成り立っている現状があります。多くのジョージア人はこれをロシアによる国土の占領とみなしています
ジョージアに住んでいると、日本で学んできた「人種差別は良くない」とか「文化の違いを尊重しよう」という考え方や投げかけがまったく通用しないと感じることがあります。
ジョージアのようにまだ戦争で血が流れた記憶が鮮明に残っている国において、人種差別うんぬんという話をすること自体がナンセンスなのではないかと思えてしまいます。
もちろん、「悪いのはごく一部の人間だけで、ロシアの一般の人々に罪はないよ」と言うジョージア人にも出会いました。
泊まった宿でジョージア人の宿主とロシア人のお客さんが肩を寄せ合いながら戦争の報道を見ている姿も見ました。
でも、「ロシア人は全員嫌い」「肩を寄せ合うなんて絶対に嫌」と言う人もいるのが事実です。
ジョージア人がロシアに反感を持つ理由
ジョージア人のロシア人への感情は、細かく聞いていくと結局は人それぞれなのですが、大きく分けると世代と地域で分かれています。
世代でいうと、ソ連の時代を実際に経験した世代(30代以上)はロシアに好感を持っている人が多く、ロシア語を母国語と同じように話せる人が多いです。
ソ連崩壊から現在にかけて生まれた世代(20代以下)はロシアに反感を持っている人が多く、ロシア語をまったく話せない人も多いです。
地域でいうと、首都のトビリシより黒海に面したバトゥミというリゾート街は親ロシア派が多いそうです(これはバトゥミに行ったロシア人からよく聞く話です。他の地域の傾向についてはまだ調査不足で分かりません)。
では、ジョージアのなかで反ロシア感情がいちばん強いといわれている首都トビリシに住む若い世代のロシアへの反感はどこから来るのか?
今までジョージアの友人・知人に聞いた話はこんな感じです。
「ロシア人がジョージアにいること自体が危険だからやめてほしい」
(※ 2022年の戦争開始後、ジョージアのロシア人人口が急増。過去にロシア政府が「自国民の保護」を理由にジョージアやウクライナに侵攻したことがあるため)
「ロシアとジョージアの関係はロシアに有利にできていて不平等だから」
(※ 例えば、2023年までロシア人はジョージア入国にビザが不要だったのにジョージア人はロシア入国にビザが必要だった、など)
「ソ連崩壊から今までを見ていて、ロシアと仲良くしていても経済が良くならないということが分かった」
「ロシアよりヨーロッパやアメリカと関係を深めたほうがジョージアの未来にとって良い」
一方、ジョージアに住むロシア人たちにも意見を聞くことがありますが、ジョージアの若者たちに賛同する人もいれば、少しネガティブな見方をする人もいます。
下記は実際にあるロシア人から聞いた言葉です。
「不遇な人たちほど強く立ち上がるということです。ジョージアではソ連が崩壊してから30年間不況が続いていて、彼らは経済を復活させることができなかったので、EUが助けてくれることを期待しているのでしょう。ロシアの影響から解放されるために、彼らはロシア人を嫌いにならなければいけないのです。それは彼ら自らの考えではなく政府のマーケティング戦略、いわゆるプロパガンダによるものです」
彼の言うことも一理あるのかもしれません。
ただ、「不遇な人たちほど強く立ち上がる」というところに、ジョージア人たちが言う「ロシア人は偉そう」ってこういうことなのかな?と感じてしまった自分もいました。
でも、彼がネガティブになってしまう気持ちも分かります。
歩いていたら冷たい目で見られたり、お店に入ろうとしたら扉に「ロシアは占領者!」と書いてあったりするのが、ジョージアに住む彼の日常なのです。
首都トビリシで見た差別
首都トビリシの街には「ロシアのクソ」「ロシア人は帰れ」などの落書きが溢れています。
多くのレストランやお店には「ロシアはジョージアの領土を20%占領している」と書かれたステッカーが貼られています。
通りやお店で誰かがロシア語で騒いでいると、ジョージアの人たちが睨んだり悪口を言ったりすることがあります。
ジョージア人と知り合うと、「ロシア人のこと好き?」と聞かれることがよくあります。(その後に続く言葉は大抵「私は嫌い」)
フェイスコントロールのあるイベントやクラブで、ロシアやベラルーシ国籍の人は会場に入れなかったり、他の外国人にはない特別な審査が設けられることがあります。
ジョージアに暮らす外国人の友達をコンサートに誘ったら、「コンサートは興味あるけどロシア人が経営している店だから行きたくない。ロシア人が嫌いなわけじゃないけど、ロシアのビジネスをサポートしたくない」と言われたこともありました。
ジョージアの友人の集まりにロシア人やベラルーシ人が呼ばれることはほとんどありません。また、ロシアの友人の集まりではジョージア人はほとんど見かけません。
(この状況を「パラレルワールド」と表現する記事を読んだことがあります。両方の集まりに呼ばれる私は、ときどき本当にパラレルワールドを行き来しているような気分になります)
ジョージア人、ロシア人、ウクライナ人が一堂に会するパーティーに参加したこともありましたが、泥酔したロシア人が大声で叫び、ウクライナの女の子が「ロシア人は国だけじゃなくてパーティーも壊す」と呟いていました。
自分の生まれた故郷が攻撃を受けている真っ只中にあるウクライナの子がそう言う気持ちはもちろん分かりますが、泥酔してしまったロシア人にも戦争のことやジョージアで受けた差別など飲みすぎてしまった理由があったのかもしれないと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
ジョージアに住むロシアの友人たちからは、お店の店員さんに冷たい態度をとられる、警察に所持品検査をされた、などの話を聞いたことがあります。(私は両方とも経験がありません)
あるロシア人は「アメリカのBlack Lives Matterのムーブメントに共感を覚える。最近はブラックミュージックをよく聴いてるよ」と言っていました。
私は戦争を支持しているわけではありませんが、どんな理由でも差別を受けることは精神的にかなりキツいことだと思います。
首都トビリシには、差別を受けたロシア人が、そのストレスでさらに嫌われるようなことをしてしまう、というループもあるように感じています。
人種差別が当たり前の世界で生きる
最初のほうにも書きましたが、こんな環境に生きていていると、「人種差別は良くない」とか「文化の違いを尊重しよう」という言葉はまったく役に立ちません。
日本出身の私は、この件においてただの完全な第三者で、ただ両方の話を聞くことしかできません。
ジョージア人の集まりでロシア人の悪口を聞き、ロシア人の集まりでロシア人の悲しみを聞き。
聞いた話に対して、賛同も否定もできず、その場で何も言えないことがほとんどです。
「人種差別は良くない」という言葉が通用しない世界で、私は毎日のように言葉を失っています。
ときどき自分をイソップ童話のコウモリのように感じることもあります。
そういう自分を無力だと感じたり責める気持ちになることもありますが、最近は、これでいい、これが自分の役割だ、と前向きに思えることも増えてきました。
そう思えるようになったのは、「COTEN RADIO」という歴史を学ぶラジオが、ロシアがウクライナに侵攻した1ヶ月後に緊急収録した「ウクライナとロシア」の回を改めて聞き直していたときに、「当事者ではないということはひとつの特権である」という言葉に出会ったからです。
日本は他国に比べてこの戦争から少し距離があるからこそ、俯瞰して、冷静に、フラットに、それぞれの視点から見ることができる、という話でした。
あともうひとつ、ジョージアの首都トビリシに「UZU House」という有名な参加型のコミュニティスペースがあるのですが、それをつくったけんじさんという方が、「日本人には対立したり相反するものの間に立ったりつなげたりする性質があるんじゃないかな」と言っていました。
ジョージアだけではなくドイツや日本などでも国籍や世代を越えた場づくりをしているけんじさんがそう言っていたので、説得力がありました。
このふたつの言葉から、私は、現在のなんとも言えないどっちつかずの第三者の状態を、少し肯定的に捉えられるようになりました。
ただ、ここから何ができるかは、今も考えている最中です。
考えているうちに、もうすぐウクライナとロシアの戦争がはじまって2年という月日が経とうとしています。
せめて目の前にいる人の気分だけでも癒すことができるように、自分なりに行動していきたいと思っています。
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