だからお父さんの言うことを聞いておけばよかったんだ!

うちは、子どもが決めたことを尊重する家庭ではなかった。私は、本当は小学校の先生になりたかったのだが、「これからの社会、子どもが少なくなっていくのに、そんな不安定な職業につくなんて…!」と猛反対された。(当時は、1990年代。)

私は、しぶしぶ、経済学部に入った。国立の…。父が大好きな、ブランド「国立」。国立を卒業すれば、将来安泰…。そんな神話が、うちにはあった。

父も母も、私の合格をとても喜んだ。だから当時の私は、「これでいい。」と思った。でも、「経済って何を学ぶんだろう?将来は、何になるんだろう?」と不安な気持ちも大きかったのを覚えている。

そして、私の就職時期は、超氷河期。四大卒の女性は、当時、とにかく煙たがられた。「四大卒を採るなら、短大卒の方が人件費がかからない…。しかも、どうせ結婚して辞めてしまうなら、短大卒の若い人材の方が、まだ、長く働いてもらえる…。」そんな理由で、四大卒の女性というだけで、採用試験は、不合格ばかりだった。

父は、地元では有名な会社のお偉いさんに、コネクションを使い、私を入社させようとしていた。

確かに、就職活動は、不合格ばかりで、とても心細かったけれど、私の心の中の、小さな何かが、叫んでいた。

「これ以上、父の言いなりにならない。」

多分、そう叫んでいたのだと思う。

その後、私はとある会社から内定をもらうことができた。そして、父のコネの会社には、就職しないと告げた。父は、とても悔しそうだった。何度も、考え直すように言われたが、私の心の中の小さな何かが、抵抗を続けた。

その後、私は、自力で内定をもらった会社に就職。ところが、もともと、一般企業のOLになるなんて、私の人生のビジョンにはなかったから、戸惑うことばかり。休みの日には、思わず、愚痴もポロリとこぼれてしまう。

例えば「女性社員は、男性職員より先に来て、机の掃除やお茶の準備をしなければならない。嫌だなぁ…。」「完全週休二日制っていうから、祝日は休みかと思ったら、土日休みだけだったなんて、聞いてないよ…。」なんて…。

そんなことをつい漏らすと、父は、決まって、私にこう怒鳴った。まるで、鬼の首を取ったかのように…。

「だから、お父さんの言うことを聞いておけばよかったんだ!」

すべては、父の言う通りにしなかったせいだ…。そう言わんばかり。

もちろん、母は傍観者。父がこれ以上暴走するのが怖かったのだろう。

その時の私は、無茶苦茶、悔しくて、腹立がたって、いたたまれなかった。でも、何故か、父に「それは、違う。」と反論できなかった。

私のやるせない気持ちは、いつも父の暴言で、覆いかくされ、見えなくされてしまっていたように思う。

父が亡くなって、私も結婚し、実家を離れて約20年。ようやく、「お父さん、それは、間違っているよ。」と、notoに書けるまでになった。

呪縛から逃れるために、だいぶ時間がかかったが、気付けて良かった。しかし、さぁ、母の介護をどうするか…。気付けても、問題を解決するまでには、まだ、まだ時間がかかりそうだ。


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