そもそも…

そもそも、私は、子どもの頃から、ありのままの自分でいてはいけなかった。なんだか、改めて日本語してみると、「なんじゃこりゃ?」っていう感じだけど、ありのまま、素のままの自分では、両親に認めてもらえない気がしていた。

ずっと、物心ついた時から…。

私が生まれる一か月前に、我が家では大事件が起きた。…らしい。お腹の中の私は、記憶が全くない。

二番目の兄が、不慮の事故で亡くなったのだ。4歳11か月…。とても、賢く、正義感にあふれ、優しい子どもだったそうだ。

兄が亡くなって、私が生まれてきたものだから、必然的に、私は兄の生まれ変わりとして、育てられた。

「自分は兄の変わりなのだから、賢く、優秀でなくてはならない。そうでないと両親に愛してもらえない。」そんな、プレッシャーを受けて育った。

普段はとても優しい二番目の兄が、大きくなった母親のおなか(おなかの中には私が入っていた…。)を、ある日ポコポコと叩いて、「ちくしょう…。」と叫んだことがあったそうだ。まるで、自分が亡くなって、私が代わりに生まれて来ることを予期していたかのように…。なんていうエピソードを、物心ついた時から、一番上の兄に聞かされていたから、さらに私は、「ああ、もう、生きていてごめんなさい。そもそも、存在自体が悪じゃん。」と追い詰められていった。

もっともっと、頑張らなくては。死んでいった兄のために、そして両親の期待を裏切らないために…。

でも、今考えれば、心は悲鳴を上げていたのだと思う。私は、小さいころから、すぐにお腹が痛くなる子どもだった。小学校低学年の時、お腹が痛くなって、頻繁に早退したのを覚えている。

そして、決定的なのは、私の子どもの頃の写真は、一枚も、本当に一枚も笑っている写真がない。

多分、子どもなりに、辛かったのだと思う。

そんな話を、社会人になってから、母にしたことがあった。実は、子どもの時、辛かったんだよ、と。

しかし、母は、私の気持ちを受け止めることは勿論なく、「あんたを、お兄ちゃんの代わりだと思ったことは一度もない!」と、繰り返し突っぱねた。

思えば、いつも私の本当の気持ちは、母親の正論によってかき消されていた。

私は、ただ本当の私の気持ちを受け止めてほしかっただけだったんだけれどねぇ…。

やりきれない気持ちは受け止められることなく、ただ、頭ごなしに、正論で私を納得させようとする母の親としての対応は、申し訳ないけれど、受け入れられない。

そう、今なら、そう言えるのだが、子どもの頃は、もちろん、マインドコントロールされていたから、「お母さんもかわいそう…。もっと頑張らなきゃ…!」と無邪気に思っていたに違いない。

しんどい…しんどかった…そんなお話。




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