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時代が変わるということ。

ある日母とカフェに出かけ、そのお店で人気のある店員さんをこっそり紹介した。

母はこう一言、「時代は変わったのね」と。きょとんとする私に母は続ける。「昔はみんなの憧れるかっこいい男の人といえば、筋肉を鍛えた強い人みたいな感じがあったのよ。でもほら彼って、違うじゃない?殴り合いの戦いはできないけれど、僕は、言葉で、歌で、あなたを愛して守ってみせます。ってそういうタイプじゃない?」

その店員さんは、本当はどうなのかもちろん知らないが、いわゆる草食系というか文化系というか、そういう見ためだった。

世代観とかそういうことなのか、確証はない。でも母ははっきりと、そこに時代の変化を感じたらしい。「へぇ〜」と適当な返事を返した私に、「そういう自由な価値観で人が輝いていける世界っていいね。」と母。

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流行を作り出すものとして、ファッションだったり、歌・歌手だったり、テレビ番組だったりがある。今ならSNSもそこに入るだろう。人生のうち、価値観がちょうど形成されるときに、カッコいい!可愛い!イケてる!とされていたもの。そんなものに生涯ずっと憧れているのが人間なのかもしれない。

母の時代よりは確かに、誰でもが、どんなことでも活躍できるようにはなった。その意味で多様な価値観が認められる世界になってきたというのは事実だろう。それでも私はそう手放しに喜べるほどの自由を感じない。

「時代が変わる」の本質は、ただ流行が終わって始まっただけなんじゃないか。そうも否定的なのは、不自由さを感じてるからなんだろうか。周囲に流されているように感じているからだろうか。

そうやって、斜に構えた態度で人生について振り返ったあとに、なんとも都合の良い解釈を思いついた。

カッコいいや可愛いの基準が、時代によって変わるとしたら、運命の人とまだ出会っていないのにはきっと意味があるかも。時代がまだ、追いついてないのよ。と。

いい人いないの?という問いへの、定番の答えになりそう。


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最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。