心の中に住む小人のお話。
感情がかき乱される。涙が勝手に溢れ出てくる。心の不穏を怒りでしか表現できない。ただただ、どこまでも気分が落ち込んでいく。
あのできごとのせいかな、というくらいには、原因はわかっていた。でも言葉にして認めるのが怖くて、それを端的に人に伝える良い言葉も知らなかった。でも、心を落ち着かせないとどうにもお勉強は進まないし、仕方がなかった。ボロボロの心でペンを握って手帳に書いた。
思いつく限りに書いた。
わからないからなんども書いた。
ひどい言葉もいっぱい書いた。
とにかく、自分の感情をコントロールしたかった。そのために、どうしてそんな感情がでてきたのか全ての理由を言葉にしようと書いた。これまでの人生で最も多くのひどい言葉を私に浴びせたのは、私自身だったと思うくらいに、いろんなことを書いた。出てきた言葉をみて自分がどう感じるかもしりたかった。
こう考えていた。
というよりも、仕方なくこうするようになって、うまくいったので繰り返していたのを、誰かに説明するために、こう言葉にした。
「心の中のもやもや貯金がたまってくると、バグが起きて、身体のいろんなところで不調をきたし始める。その時、私の身体はウイルスに乗っ取られたような状態になっていて、勝手に気持ちがどんどん増殖していくものだから私を律するのが私だけじゃなくなって、そうして、ついにはいうことをきかなくなる。
もやもや貯金を言葉として紡いであげられたとき、それが作品として実を結ぶ。小人さんがせっせと本を製本している感じ。そうしてそれは、取り出し可能な1つの物語となって私の中の本棚に収められるようなる。そのために、何もかも吐き出して言葉にあてはめて整理する。それがわたしにとっては、ウイルスも私自身もリセットする方法なんだ。」
***
そうやって自分と向き合った頃があったから、いまの私がある。あの頃よりずいぶんと私の心は穏やかになった。
穏やかになったといったけれど、やっていることは全然変わらなくて、心の中の小さな劇場で、小人さんたちがいろんな物語を次々に紡いでいる様子を、微笑ましく、楽しめるようになっただけなように思う。
心の平穏を守るため、自分を律していたいと思い、言葉を頼った。言葉はいつも応えてくれた、鮮やかに。
それでも、人の心のすべてを言葉で表してしまおうというのが無駄なことに思えるほど、心はゆたかだった。
日々起こるできごとを言葉で書いたら、毎日毎日似たようなことばかりである。
でも私たちは、そのいちいちに、心を揺らす。
そうしてまた似たような物語が生まれるわけだけれど、私たちにとってはそのどれもが大切な思い出。簡単に言葉になんてしてしまいたくない思いにかられる。
こういうとき、言葉に向き合ってきたからこそ、大切に大切に、言葉を温めることもできる。
「こころ劇場」
今日の演目は、落語です。なんて言われた日にはお話のオチを考えて。
今日はオペラです。するとすぐに気分に合わせたオーケストラの演奏が始まって、気持ちが歌になって飛び出して。
今日は朗読劇です。そう言われたら、何度もなんども言葉をたしかめて、あの時の気持ちに違和感のないように。
「こころ劇場」の小人さんたちといくつもの物語を楽しむ人生。
そうしていつかは。
あの人が言う。
あなたの言葉に惹かれてしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。