ジョージ・オーウェルの動物農場を読んで
動物農場には、貧しいものの最期という短編が収録されている。
精神病院というものが、異常者、社会不適合者を「治療」するというよりは、「保護という名の隔離」としての機能を持っていた時代のイギリスを舞台にした話しである。
小説の内容は、人としての尊厳を奪われた主人公が、人を管理しとりあえず生きるように面倒を見る仕事を、あくまで賃金を得るための手段として、冷徹に振る舞う医師や看護師について嘆いている。
自分が利用価値のない家畜のように扱われるというのは、何とも耐えがたいことではないだろうか。読んでいて、現代日本の労働者と被ることがある。
仕事である。
命令されたのだ。
冷酷でも従わなければ金がもらえない。
そしていつか、自分のしていることが非人道的なものだと自覚することすらなくなっていく。
それが社会の常識だと、あほらしい勘違いをしながら。
5年前、閉鎖病棟で、私の額を無言でひっぱ叩いた、美しいブラウンの目を持ったクソババアは、何もかも、家族のことも、自分のいる場所も、もしかしたら名前すら分からず死んでいくのだろう。ほんのり悪臭の漂うあの病室で。
戦争、災害、殺人は、確かに悲劇だ。でも大抵の正常な人間は死ぬその瞬間まで、ある程度自由がきき、自分だけの小さな幸せを持ち、宇多田ヒカルの桜流しの歌詞を引用するなら、「Everybody finds love in the end」ということで何かしらの愛を見つけるのだ。人間でなくとも、花でも、鳥でも、犬でも、プラチナの指輪でも。
しかし、病気になってしまえばそんなの無理だ。理由もわからず患者として死にゆく体や脳に恐怖しながら、ひどい痛みに苦しみながら、そしてもちろんそれを背負うのは紛れもない、その人、私、あなたなのである。
死んだあとのことは分からない。
でも病に冒され死にゆく過程は、神が与えた最大の苦しみなのだと私は思う。
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